宣誓。
私たちは野球を愛しています。
私たちは野球に出会い、
野球に魅せられ、
野球によってさまざまな経験を重ねて、
この場所に立っています。
(中略)
青春のすべてをかけて戦うことができる幸せと喜びを、
支えてくれるすべての皆様に感謝しながら、
野球の素晴らしさが伝わるよう、
野球の神様に愛されるように、
全力で戦うことをここに誓います。
これは7月8日に神宮球場で行われた東西・東京大会(東東京、西東京)の合同開会式で行われた、早稲田実業高の清宮幸太郎主将の選手宣誓です。
「愛している」なんて言葉は、長年生きている人でも、そうそう何回も使う言葉ではないでしょう。錦野旦さんの「空に太陽があるかぎり」、河合奈保子さんの「愛してます」、DREAMS COME TRUEの「LOVE LOVE LOVE」くらいでしょうか。まあ、これらは歌ですから。
純粋に「愛してる」というのは、この清宮幸太郎選手か100年に1人の逸材・棚橋弘至選手くらいでしょう。
別の意味で、この言葉を多用して、芸能界などでは自爆してしまっている人もいるのですが・・・
さて、自分の子どもに抱く感情として、「好き」「恋している」という表現ではなく「愛している」という表現になると思います。自分の伴侶に対しては・・・人それぞれだと思います。
では、自分の仕事については「愛している」と胸を張って言えるかどうか・・・これも、人それぞれだと思います。
野球によって、さまざまな経験を重ねることができるということは、とてもありがたいことですし、今までの人生の中での一つのピークにもなるでしょう。だから、そんな経験をさせてくれた野球に感謝する表現として、「愛している」という言葉を使ったことだと思います。
私たちも自分の仕事に対して純粋に「愛している」と言えることもあろうかと思います。むしろ、そう言えなければ、仕事と自分の関係が上手く行っていないのかも知れません。「その仕事の神様に愛される」のかも知れませんし、「愛していない」のかも知れません。
綺麗ごとかもしれないが、でき得るならばそんな気持ちで自分の仕事と向き合いたいものですが。
高校野球は全国優勝する1校以外は、すべての選手が敗けて終わります。
観ていても解りますが、敗けると言うことは辛く、そして悲しいことです。清宮選手がどんな終わり方をするのか、まだ解りませんが、そんな結末が待っているかも知れない高校野球を「愛している」という思いで終えられるのであれば、幸せな事だと思います。
それは試合に勝った負けたの話ではなくて、「愛している」と思えたことで、短い間ではあるものの、厳しかった高校野球に対して、「打ち克った」と言えるのだと思います。
なお、私は過去、日常の中で「愛しています」という言葉を使ったことはまずなかったと思う。