「大岡裁き(おおおかさばき)」とは公正で人情味のある裁定・判決のこと。
一般的に「大岡政談」という名前で呼ばれている講談や脚本や小説などで、江戸時代中期の名奉行といわれた大岡忠相越前守(おおおかただすけえちぜんのかみ)さんが下す判決のことです。
有名な話としてご存じの方もいらっしゃると思いますが、「実母継母詮議の事(子(ども)争い)」というものがあります。
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ある所に子どもがいました。
子どものお母さんは(通常の場合は)一人ですが、どういうわけなのか、自分の子どもだと主張する女性が二人いました。どちらも「私こそがこの子の母親」と引きません。
二人の言い争いは収まらず、大岡越前さんの奉行所でついに決着することになります。
大岡越前さんは二人に、
「その子の腕を一本ずつ持ち、それを引っ張り合いなさい。勝った方を母親と認めよう」
と言います。その言葉にしたがって二人の女性は子どもを引っ張り合いました。もちろん、腕を引っ張られた子どもはたまらず、「痛い!痛い!」と泣き叫びます。
すると、その声を聞いて哀れに思ったのか、片方の女性が手を離し、引っ張り合いは終わります。
そして、手を離さなかった女性は子どもを連れて行こうとしますが、大岡越前さんは、
「ちょっと待った!その子は手を離したこちらの女性の子どもだ」
と言います。もちろん、引っ張りきった方の女性は納得しません。何しろ、自分は引っ張り合いに勝っていますのでね。しかし、大岡越前さんは
「私は『引き寄せた方が勝ち』とは言っていない。それに、本当の親なら子どもが『痛い!』と叫んでいる姿を見てどうして続けられようか」
と言いました。大岡越前さんは、お母さんの愛情を見切っていたのでした。
これにて一件落着。
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この「大岡政談」には16のエピソードがあるそうですが、「三方一両損」 「石地蔵吟味の事」などのほとんどが創作ものだそうで、
大岡越前さんは「旗本(はたもと:江戸幕府に仕える武士の役職)」の家に生まれ、「書院番(しょいんばん:将軍に仕えて警備や雑用などをこなす役職)」「徒頭(かちがしら:将軍警固役の徒士たちを統率する役職)」「目付(めつけ:政務全般を監視する役職)」などを歴任してきます。そして、徳川吉宗さんが将軍に就任して「享保の改革」が始まると、江戸の町奉行、寺社奉行を務め、最終的には大名にまで上りつめた方です。
私は実際に会ったことなどはありませんが、決して威張らず、法を重んじつつも人情も忘れない公正明大な人物だったそうです。
さてさて、現代では法も整備されており、また非常にお堅いイメージがある裁判ですが、ときには大岡裁きのような話もあります。
■2013年3月14日 東京地方裁判所
「どうぞ選挙権を行使して、社会に参加してください。どうぞ胸を張って、いい人生を生きてください」
選挙権を剥奪されたことが憲法に反すると、女性が訴えを起こした裁判。
女性は先天的な病気があり、成人してから仕事を続けながらも、政治のニュースに興味を持って選挙での投票を続けてきたといいます。ただ、お金の計算などで負担がかからないようにと、両親は女性に財産を管理する成年後見人を付けました。当時の公職選挙法は成年後見の付いた有権者は選挙権を失うことになっていたため、裁判となりました。
この裁判で、「(原告に)選挙で投票できる地位にあることを確認する」という判決主文が読み上げられると、傍聴席にいる支援者たちから拍手が湧き、最後に「どうぞ選挙権を行使して、社会に参加してください。どうぞ胸を張って、いい人生を生きてください」と裁判官は語りかけました。
ちなみに、この判決をきっかけとして国会で公職選挙法が改正され、成年後見を受けている国民の選挙権が奪われるとの条項が削除されることになったのです。
これにて一件落着。
■2003年10月29日 大阪地方裁判所
「もうやったらあかんで。がんばりや」
スーパーで万引きを繰り返していた母親の裁判。
パートで働きながら育ち盛りの2人の子どもを抱え、数年前に家出をした夫の借金の返済まで強いられていたそうです。
この件を裁くことになったのが、「なにわの人情裁判官」として呼ばれた知られる杉田宗久裁判官。この母親に対して杉田裁判官は日常生活の中で反省を深めるべきだとした判断し、懲役刑に執行猶予を付ける判決を出して、いったん釈放することを認めました。
杉田裁判官は判決後に母親が退廷するとき、一段高い裁判官席から身を乗り出し、被告人の手を握りながら、「もうやったらあかんで。がんばりや」と優しく声をかけ励ましています。
母親はその場にしゃがみこんで、泣き崩れたそうです。
■2003年10月29日 大阪地方裁判所
「もうやったらあかんで。がんばりや」
スーパーで万引きを繰り返していた母親の裁判。
パートで働きながら育ち盛りの2人の子どもを抱え、数年前に家出をした夫の借金の返済まで強いられていたそうです。
この件を裁くことになったのが、「なにわの人情裁判官」として呼ばれた知られる杉田宗久裁判官。この母親に対して杉田裁判官は日常生活の中で反省を深めるべきだとした判断し、懲役刑に執行猶予を付ける判決を出して、いったん釈放することを認めました。
杉田裁判官は判決後に母親が退廷するとき、一段高い裁判官席から身を乗り出し、被告人の手を握りながら、「もうやったらあかんで。がんばりや」と優しく声をかけ励ましています。
母親はその場にしゃがみこんで、泣き崩れたそうです。
これにて一件落着。
ちなみに杉田裁判官は2009年に小室哲哉さんによる著作権譲渡詐欺事件(大阪地方裁判所)で、求刑懲役5年に対し、懲役3年執行猶予5年を判決を下した方です。しかし、残念ながら2013年に杉田裁判官は57歳の若さで亡くなっています。
どんな状況であろうとも罪を犯すことはいけないことです。また、裁判所のお世話にはなりたくないものです。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。