母がフィリピン人、父がオーストラリア人の間で生まれ、6歳のころからボーデザートゴルフクラブでゴルフを習い始めました。2015年はファーマーズ・インシュランスオープンで優勝。8月の全米プロでは20アンダーという大会新記録でメジャー初優勝を果たします。その後フェデックスカッププレーオフのザ・バークレイズとBMW選手権で優勝し、現在、世界ランク1位のプロゴルファーのジェイソン・デイ選手です。
「もしも、あのとき父が死んでいなかったら、今日のこの勝利はなかった。父が死んだとき、ひとつのドアが閉まった。でも、そのあと、別のドアが開いた」
今年の全米プロを通算20アンダーというメジャー4大会史上のベストスコアで制覇したデイ選手の言葉です。
デイ選手は家族に可愛がられながら、幸せに暮らしていました。経済的には豊かではなかったそうですが、6歳の時にお父さんがゴミ捨て場に置いてあったゴルフクラブを持ち帰って来て、「どっちが先にうまくなるか競争だぞ」と一緒に夢中になってゴルフクラブを振っていました。
しかし、12歳の時にお父さんがこの世を去ったとき、突然、その日々は終わってしまいました。
「ひとつのドアが閉まった」
お父さんの死という現実を受け入れられず、学校に行けば殴り合いの喧嘩をして、夜な夜な悪友たちと飲酒に喫煙。荒れた日々を過ごしていました。
でも、ゴルフが盛んなボーディングスクール(全寮制の私立学校)のことを知り、そこに行きたいとお母さんに言い出しました。
「もちろん、あの子は、その学校の学費がどれほど高いかは知りませんでしたけど、あの子自身、立ち直りたいと思っていた。だから私は、そのためにできることなら何でもしました」
とデイ選手のお母さんは当時のことをそう語っています。
お母さんは家族4人が住んでいた家を二重抵当に入れて、デイ選手の学費を捻出しました。そのため、家の生活はとても貧しくなり、壊れた芝刈り機を直すお金がなく、ナイフで庭の芝を刈り、湯沸かし器がなく、やかんで沸かしたお湯がシャワー代わり。お母さんは3つも4つもやかんを持ってきたけど、一つのやかんのお湯が沸くまで、5分も10分もかかったそうです。
「母も姉たちも、たくさん犠牲を払ってくれた。そのおかげで僕はボーディングスクールに行けた」
そして、寮生活の中でゴルフの腕を磨き、そこでコーチをしていたコリン・スワットンさんと出会い、そのスワットンさんがデイ選手の父親代わりとなり、今ではデイ選手の相棒キャディになっています。いろんな人々の助けを得て、プロゴルファーになり、米ツアー、そして世界の舞台へと活躍の場を広げて行きました。
「もうひとつのドアは、そうやって開いた」
2008年から米ツアーにデビューし、2010年のバイロン・ネルソン選手権で初優勝を挙げ、メジャー4大会でもたびたび優勝争いに絡んだ。
「でも、チャンスに近づいては逃した」
これまでメジャー20試合に出場し、トップ10に9度も入りながら未勝利でした。2013年のマスターズでは、最終日の16番で首位に立ちながらアダム・スコット選手に勝利を奪われ、グリーンジャケットを羽織った初のオーストラリア人の称号は永遠に奪われてしまいました。
今年も全米オープンでは優勝争いの真っただ中で持病のめまいに襲われ、本領を発揮できずに9位。全英オープンでは72ホール目のバーディーパットが数cmだけカップに届かず、プレーオフ進出を逃していました。
「でも、そういう惜敗がなかったら、今日のこの勝利はなかった」
受け入れ難かったお父さんの死。度重なる惜敗。辛いもの、苦しいものを糧にして前を向いてきたそうです。
「父が死んで、ひとつのドアが閉まった。そして、もうひとつのドアを開いてくれたのは、僕の母……」
笑顔で饒舌だったデイ選手が「my mom……」と口にした途端、声を詰まらせてしましました。
デイ選手のお母さんは直に試合を観戦したことは一度もないそうです。「息子のウイニングウォークを目の前で見たくはないのか、ウイニングパットを沈めた瞬間、祝福のハグをするのが楽しみではないのか」と尋ねられると「それは、もはやジェイソンの妻の役目。私はジェイソンが、ただ健やかでいてくれたらそれでいい」と答えたそうです。
夫の死後、40歳を超えてから運転免許を取り、いくつもの仕事を掛け持ちながら必死に働いて3人の子どもを育て上げ、不良化していたデイ選手の「別のドア」を開いて世界へと送り出した母は、その息子が高額賞金を稼ぐトッププレーヤーになった今でもコツコツ働くことを止めてはいないそうです。
全米プロ最終日、デイ選手がジョーダン・スピース選手と競い合っていた米国の日曜日の午後。お母さんが独りで暮らすオーストラリアは月曜日の朝。お母さんは職場でパソコンを開いては、米ツアーのサイトを眺めて息子のスコアをチェックしていたそうです。
「夏休み明けの最初の出勤日だったから、仕事が忙しくてなかなかパソコンを見る時間がなかった。スコアもなかなか更新されなくてドキドキしたけど、今どうなっているんだろうってチェックするのが楽しみでした。あの子がメジャーで優勝する日を、ずっとずっと首を長くして待っていました」
優しい笑顔で語ったそうです。
2015年12月1日。
今年もあとわずかです。今年はどんなドアを開けましたか? 来年はどんなドアを開けましょうか?
開いたドアに気が付いていないだけかも知れませんよ。
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まっくろくろすけ
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