100年前の1915年8月18日。
大阪・豊中球場で第1回全国中等学校優勝野球大会が開催されました。
第1試合は鳥取・鳥取中(現・鳥取西高校)と広島・広島中(現・広島国泰寺高校)でした。
両チームの整列・礼のあと、当時の朝日新聞社村山龍平社長が羽織袴の和礼装でマウンドに立ち、史上第1球を投じました。
ボールはまっすぐに鳥取中・松田重勇簀さんのキャッチャーミットに収まり、ストライクが宣告されました。
(左端は鳥取中のピッチャー鹿田一郎さん)
何故か始球式で投じられたこの第1球がそのまま、先頭バッターの広島中・小田大助さんに対する初球としてカウントされ、小田さんはこの打席で三振したのが、現在に続いて来た高校野球100年の幕開けでした。
それから100年経った2015年8月20日に決勝戦を迎えます。
「悲願の白河の関を越え」
仙台育英高の決勝進出によって、優勝旗が初めて白河の関を超え、東北勢初の全国制覇の可能性が見えて来ました。
過去、東北勢は夏の甲子園では今年を含めて8回決勝に進出しています。
1915年 秋田中(秋田)
1969年 三沢高(青森)
1971年 磐城高(福島)
1989年 仙台育英高(宮城)
2003年 東北高(宮城)
2011年 光星学院高(青森)
2012年 光星学院高(青森)
2015年 仙台育英高(宮城)
既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、東北勢が初めて決勝に進出し、全国制覇に一番近かったのは第1回大会の1915年の秋田中です。秋田中は京都二中(京都・現鳥羽高校)との決勝戦で、1-1で迎えた延長13回にサヨナラ負けを喫しました。
次に1969年に太田幸司さん(元近鉄バファローズ)擁する三沢高(青森)が、愛媛・松山商高との決勝戦で、延長18回を戦い、決着つかずに翌日再試合。再試合では2-4で敗れてしまい、全国制覇まであと一歩のところで涙をのみました。
その後も、エースの大越基さん(元福岡ダイエーホークス)を擁した1989年の仙台育英高、当時二年生だったテキサス・レンジャーズのダルビッシュ有選手が東北高、阪神タイガース北條史也選手、千葉ロッテマリーンズ田村龍弘選手が在学中の光星学院高が2011年と2012年と好選手とともに決勝進出を果たしましたが、いづれも優勝旗は手に出来ませんでした。
大学野球選手権では1991年、2004年と東北福祉大学が全国制覇しています。
2006年にTDK硬式野球部(秋田県にかほ市)が都市対抗野球大会においても東北のチームで初制覇し、「黒獅子旗は白河の関を越えた」と言われました。
2013年には東北楽天ゴールデンイーグルスが創設9年目にして、シーズン初制覇、日本シリーズ優勝し、「東北の人々に夢と希望」を与えてくれました。
次はいよいよ「深紅の大優勝旗の白河の関を越え」る時です。
「神奈川を制するものは全国を制す」
優勝すれば 1970年以来45年ぶり。こんなに長い時間、夏の甲子園優勝から遠ざかっているとは思いませんでした。
1970年夏は東海大相模高にとっては2年連続2回目の甲子園出場でした。まだ、甲子園新興校という感じで、厳しい戦いを勝ち上がって決勝へと進出してきました。
二回戦 5-4 唐津商業(佐賀)
準々決勝 7-6 (延長10回) 滝川(兵庫)
準決勝 3-2 岐阜短大付属(岐阜)
決勝は後にプロでも活躍する新美敏さん(元広島東洋カープほか)を擁する大阪・PL学園高。
二回表に2アウト二・三塁から相手のワイルドピッチ、センター前タイムリーで2点を先制。しかし、その裏にスクイズで1点を返されます。四回表に2アウト一塁から3ベースで1点追加するとPLはその裏に1点を返します。まさに1点を巡る攻防が続きます。
五回表1アウト一・二塁からタイムリーヒットで1点、さらに満塁と攻め立て内野安打などで2点を追加して突き放します。また六回表にも3ベースで2点を追加し、8-2と6点差に広げます。しかし、その裏に3ベースで1点返され、なおも1アウト二・三塁からタイムリーヒットを打たれてこの回2点を奪われます。
なんとか突き放したい東海大相模高は七回表に3ベースで1点を追加。2アウト三塁となった後、また3ベースが出て、この回計2点を追加。八回裏にPL学園高は2アウトからの4連打で2点を返しますが、反撃もここまでで、東海大相模高が神奈川県勢として、10年ぶり3回目の優勝を果たしました。
1998年の横浜高以来の優勝旗を神奈川へ持ち帰る準備は出来ていると思います。
その仙台育英高と東海大相模高は春夏通じて、甲子園初対戦です。
2015年の100年前の「プレーボール」はストライクで始まりました。
1915年の100年後の「ゲーム」 はどんな形で終わるのでしょうか。