日本高校野球連盟(日本高野連)は2月20日に大阪府大阪市内で理事会を開き、新潟県高野連が今春の新潟県大会での導入を目指していたピッチャーの球数制限について、再考を求めることを決めました。新潟県高野連は昨年12月に、投球数が100球に達したピッチャーはそれ以降の回では投球できないルールの導入を表明し、各都道府県高野連が管轄する公式戦で初めての取り組みに注目が集まっていました。
日本高野連の決定は、ある程度予想は出来ました。日本高野連は「関係各所と意見交換を重ねてきた。大多数の学校は部員集めに苦慮しており、強豪校との差が広がる可能性が高いことなどから、勝敗に影響をおよぼす規則は全国で足並みをそろえて検討していくべき」との意見で統一したとのことです。ただし、新潟高野連の動きを受けて故障防止策を本格化させるとのことで、事務局は「新潟が一石を投じた。未来の高校野球発展には避けて通れない。重く受け止めるべき。選択肢はいろいろある」と球数制限に限らず対策を探ると表明し、今年4月に「投手の障害予防に関する有識者会議」を立ち上げるとのことです。
ただ、この有識者会議の発足はいいと思いますし、実際に1年以内に答申内容を固めるとのことですが、「タイブレーク制」でさえも、議論が起こった2013年から甲子園に導入するまでに5年もかかっていますので、今回はどこまで続くのやらです。
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日本高野連は、慎重論の根拠として「部員不足の連合チームが増加し、各校野球部の部員数に二極化が見られ、部員数が20名以下の加盟校が全体の約4分の1を占める現状では、投球数制限に踏み込むのは慎重であるべき」を挙げています。確かに現在の高校野球は有力な私立高に選手が集まる一方で、一部公立高の選手数は減少の一途をたどっており、少子化の影響も加わって各県で合同チームが増えています。すでに戦力格差は広がっているのですから、それを問題とするのならば、戦力格差をなくすことを高野連は考えなければならないでしょう。日本高野連がその努力もせずに、戦力格差が広がるのを放置したままで、さらに戦力格差が広がるから、「球数制限」はできないというのは本末転倒だと思います。現実は「球数制限」があろうとなかろうと、合同チームなどは「試合に出るのが精いっぱい」なのですから。
また、よくわからなかったのが、「今回のような勝敗に影響を及ぼす規則については全国で足並みをそろえて検討するべきではないか」というくだりです。「高校野球は教育」という日本高野連が「勝ち負け」にこだわっていることが垣間見れます。そもそも「球数制限」は「勝ち負けよりも健康を優先」という発想から出た改革案なのですから。
さらに、「なぜ100球なのか」や「科学的な裏付けがない」という意見も出ていたそうですが、それは、私には何も考えていなかったところに、外から具体的な改革案を付き突かれての出てきた詭弁にしか思えません。「球数制限」は、「多くの球を投げれば、故障のリスクが高まる」という医学的な根拠に基づいていますし、別に100球でなくても、90球でも70球でもいいと考えます。もちろん「投球過多のリスク」はあくまで「可能性」であり、投げ続けても故障しないピッチャーもいます。しかし、近年、野球選手の健康障害について多くの症例が集まり、統計的にも「投球過多のリスク」が証明されつつあります。だから、ほとんどの国の野球では「球数制限」が導入されています。米国では、MLBが「ピッチスマート」という厳格な「球数制限」のルールを導入し、野球少年の健康障害の予防に乗り出しています。特に骨や筋肉が発達途上にある10代に過酷な投球をすると、不可逆的な障害を負う可能性は高いでしょうから、球数を厳格に管理した方がいいとのことです。
また、「球数制限」に関する反論の中には、「試合だけで球数制限をしても仕方がない」とか「球数制限をすれば、わざとファウルを打って相手ピッチャーの球数を増やす『待球作戦』が横行する」という意見もあります。それは、そのとおりであり、それを含めて考えなければならないことです。
今回、新潟県高野連が日本高野連に投げ込んだ「球数制限」は、単純にその制度の導入にとどまるだけではなく、高校野球が「勝利至上主義」から「子どもの健康第一主義」「スポーツマンシップ尊重」などへと方針を転換する考え直すきっかけにもなる、歴史的1球になって欲しいと思います。