昭和の前半の将棋界に木村義雄さんという名人がいました。
木村さんは1912年に東京の本所(現; 墨田区)に生まれの生粋の江戸っ子になります。木村さんは下町の庶民の家庭で生まれ、その暮らしは裕福というにはほど遠いものだったそうです。そのためか、ハングリー精神には溢れており、幼いころに将棋を覚えると、すぐに強くなったそうです。
現役時代の木村さんは「勝負師」と呼ばれ、指し手の中で棋力が図抜けて高く、溢れんばかりの闘志を隠すことなく、徹底的に勝ちにこだわり、あらゆる手段を講じようとしていました。また、ちょうど実力制名人戦が始まり、第1期名人戦に優勝し、1938年に名人の地位に就きました。戦前は「不敗将軍」と呼ばれ、横綱の双葉山と並び称される存在だったそうです。
そんな木村さんは勝負師であり、江戸っ子であり、粋な人だったそうです。芹沢博文さん(故人、九段)は修行時代、木村さんの鞄持ちをしていたことがあるそうです。その際に見た姿を、後によく語っていたそうです。河口俊彦さん(故人、八段)は
>(前略、木村は)うな重が出されると、蓋を取って茶を注ぎ蓋をする。ややあって蓋を取り、うなぎをポイと捨て、茶漬けにお新香をおかずに、さらさらと食べる。それが通の食べ方で、木村はそうしていたとか。うなぎをポイと捨てるところがいい、と芹沢はそこをくり返した。 (河口俊彦「評伝 木村義雄」『将棋世界』2014年1月号)
と寄稿していました。
うな重なのに、うなぎを食べずに捨ててしまうとは。江戸っ子はそういうものなのでしょうか?
いやいやいや、もったいないです。今からでもうなぎを取りに行きたいくらいです。
勝負の合間に食べるものとしてはお茶漬けは良いかも知れません。このような食べ方を発送するとは凡人には思いも付きません。
確かに、現在も蕎麦屋では「ぬき」があり、「カモぬき」「天ぬき」と「かも南蛮のそばなしバージョン」「天ぷらそばのそばなしバージョン」というものがあります。関西で言う所のうどんの「肉吸い」でしょうか。
それにしても「余計なものはいらない」っていうことなんですね。
それに近い話が2004年の名人戦での羽生善治さんです。第6局の2日目に対局者から昼食の注文を取る際の品書きの中に、天ざるそばがありました。羽生さんはそれを指で示し、「天ぷら抜きで」と注文したそうです(ざるそばはなかったのかい!?)。
(中国の日本料理屋で「天ぷらうどん」を頼むと、「天抜き」でした)
羽生さんも「食べない物は注文しない。余計なものはいらない」ということなのでしょう。
名人の考えることは哲学的過ぎます。
私のような凡人が同じことをやると、変人扱いされてしまうことでしょう。