世界三大レースの一つ、第101回インディアナポリス500(インディ500)で、佐藤琢磨選手(No.26 アンドレッティ・オートスポーツ)が日本人初優勝という歴史的快挙を成し遂げました。今まで日本勢最高位は2003年の高木虎之介さんの5位でした。
このニュースは、普段、モータースポーツなど取り上げることが少ない日本のTVニュースなどにおいても報道されるほどの注目度の高さがあります。
インディ500の決勝レースは毎年5月最終月曜日・メモリアルデーの前日の日曜日、すなわち5月24日から30日までの日曜日に開催されます。インディアナポリス・モーター・スピードウェイのオーバルトラック1周2.5マイル(約4.023km)を200周、走行距離500マイル(804.672km)で争います。800kmと言えば、東京から広島までの距離です。そこを4時間余り、平均約220mphを超えるスピードで走ります。
第1回開催は1911年。F1モナコGP(開催日程の都合上、近年はモナコGPと同日に開催されることが多い)、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつに数えられています。
今年でインディカー・シリーズ参戦8年目を迎える佐藤選手にとって、このインディアナポリス・モータースピードウエーはゲンのいい場所です。2004年のF1シリーズ米国グランプリでは3位となり、表彰台に上がっています。2012年のレースでは最終周まで優勝争いを演じていました。ただ、このときは追い抜きにいった第1コーナーでクラッシュ。「やり残した仕事をしたかった」とのことです。
33台がだんご状態のまま、1周約4キロの楕円コースを最高時速400km/hで200周をぐるぐる回ります。そんなもののどこが面白いの、と思うかも知れませんが、単純だからこそ、抜きつ抜かれつの大接戦が観られます。佐藤選手はリスタート後の残り6周で2位に進み、次の周でインディ500で3勝のH・カストロネベス選手を捉え、トップに立ちます。史上6番目の僅差となる0秒2011差で逃げ切ると、両手を突き上げ、総立ちになった最大40万人とされる観客からは「サトウ」コールが巻き起こりました。
佐藤選手のお父さんは2011年6月に亡くなっています。お父さんは佐藤選手が小学生の時にがんを発症し、それでも弁護士と言う多忙な中で、病魔を抱えたまま毎年の家族旅行を欠かしませんでした。佐藤選手が10歳の1987年に初めて日本グランプリ(鈴鹿)を生観戦。2位になったアイルトン・セナさん(ブラジル、故人)に魅せられ、早稲田大学入学後にレースを始めた遅咲き選手です。その最大の理解者だったお父さんの口癖は「一度始めた以上は、最後までやり抜け」だっとうそうです。そして、40歳でついに頂点に立ちました。
なお、このインディ500ではレース勝者がシャンパンではなく、ミルクで祝福されるのが伝統になっています。その由来は1936年に3度目の勝利を飾ったルー・マイヤーさんが、バターミルクの一気飲みを披露したことでした。その様子は映画や新聞をとおして全世界に流れ、それを見た乳業メーカーのデイリー・インダストリー社が、1946年に500ドルの賞金をつけて勝者にミルクを振る舞ったことが、始まりとされています。
その後、一時中断されていたミルクですが1956年に復活して以来、インディ500勝利の恒例行事として親しまれています。ただ、この慣例が一度だけ破られました。1993年、ブラジルでオレンジ農園を経営するF1の元世界王者エマーソン・フィッティパルディさんが2度目の優勝を飾った時、ミルクのかわりにオレンジジュースの一気飲みをしたそうです。
佐藤選手が優勝した当日に投稿したブログのタイトルは「ありがとう」です。
(原文ママ)
「ずっと夢を追いかけて
それが今日叶いました
信じることって本当に大切
たくさんの応援を本当にありがとう!!
心から感謝しています」
夢を追い続け、40歳になって、ようやく夢が叶えられました。
そして、まだまだ速くなりたいと上を目指します。
夢は自分が諦めなければ、いつの日かきっと叶えられることを教えられた朝でした。
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