野球小僧

初心忘るべからず

昨年14歳でプロデビューし、29連勝で将棋界を盛り上げた藤井聡太五段が1月14日(このときは四段)、「朝日杯将棋オープン戦」の本戦トーナメントで佐藤天彦名人と初対局し、勝利を収めました。公式戦でタイトル保持者に初めて勝ち、2月には羽生善治二冠との対局を予定しています。

デビュー戦から29連勝、30年ぶりの最多連勝記録更新という藤井五段の活躍は将棋界の枠を超えて、全国的に注目され、テレビ・新聞・雑誌などで大きく報道されています。

藤井五段の盤上盤外での言動や話題は、今や社会現象にもなっており、今年の正月の新聞には新春企画として、藤井が登場する対談記事がいくつも掲載されました。

藤井五段はまさに「スーパー中学生」(もうすぐ高校生)といえる存在ですが、日常の素顔はいたって普通だそうです。ご両親も特別な教育は施さず、息子の成長を幼年時代からずっと見守ってきただけとのことです。

現在は名古屋大教育学部付属中学の三年生で、昨年は将棋に専念するために高校に進学するかどうか迷っているという話題もありましたが、昨年10月に「すべてのことをプラスにする気持ちでこれからも進んでいきたいです」とコメントし、同じ大学の付属高校に進学する意向を表明しました。

藤井五段の計り知れない才能と強さについて、「将棋の神の子」(「神の子」は山本KID選手も言う)「100年に1人の天才」(「100年に1人の逸材」は棚橋弘至選手も言う)などの表現で絶賛する声があります。

でも、天才ではないでしょう。それに最初から強かったわけでもありません。何かの偶然によって、才能が開花したと言えるでしょう。

藤井五段は5歳のときにお祖母さんから将棋を習いました。駒の動かし方しか知らないお祖母さんと指してみると、すぐに勝てるようになります。お祖母さんより少しは強いお祖父さんにも勝ちました。何事も負けず嫌いだった藤井四段は、勝つことのうれしさで将棋にのめり込んでいきます。

私たちにも思い当たる節があると思いますが、人生ではふとしたきっかけで方向性が定まることがあります。藤井五段の場合、お祖母さんとお祖父さんに勝ち続けたことで将棋の世界に進んでいきます。その後、棋士養成機関の「奨励会」に10歳で入会、月2回の例会日には愛知県の自宅から大阪・福島の関西将棋会館まで、お母さんがいつも付き添います。そんな日々が小学校を卒業するまで続き、親子は勝負の明暗をともに分かち合いました。

昨年6月に63年間に及んだ現役棋士生活を終えた加藤一二三・九段は、1958年に18歳でA級八段に昇進して「神武以来の天才」と呼ばれました。その加藤九段は5歳のとき、近所の子どもたちが将棋を指しているのを見て自然に覚えました。

次兄や子どもたちと指してみると、ほとんど負けませんでした。やがて勝ってばかりで面白くなくなり、ほかに相手もいないので将棋をやめてしまいます。それから数年後、加藤九段は新聞の将棋欄の記事をたまたま読んで将棋の面白さに引かれます。それを知ったお母さんは、将棋愛好者が集まる近所の将棋クラブに「行ってみたら」と加藤九段に勧めます。結果的にお母さんのその一言がきっかけとなり、加藤九段は将棋への世界に進んでいきます。

羽生竜王は6歳のとき、近所に住む小学校の同級生に将棋を習いました。当初はなかなか勝てません。七夕の短冊には「勝てるように……」と願い事を書いたくらいです。やがて勝てるようになりましたが、同級生はお父さんの転勤によって転校しました。将棋の相手を失った羽生竜王は、仕方なくお母さんや妹と指しましたが、まったく勝負にならなりませんでした。羽生竜王は勝勢になると将棋盤を逆にして敗勢側に回りますが、それでも勝ってしまいました。

今年のお正月にNHK・BSで放送された「一・二・三! 羽生善治の大逆転将棋」という番組の中で、プロ公式戦の投了局面から羽生が敗者側を持ち、著名人が勝者側を持って指すという企画がありましたが、これは羽生竜王のエピソードを基にしたものです。羽生竜王は小学生の頃、週末にお母さんに連れられて地元の繁華街に出掛けたが、とても退屈な思いをしていました。そこで、お母さんは買物をしている2時間ほど、託児所に預けたつもりで将棋クラブで指させることにします。そんな日々が続くうちに羽生竜王は驚異的に強くなり、将棋の世界に進んでいきます。

偶然かも知れませんが、藤井五段、加藤九段、羽生竜王が将棋を始めたり、棋士を目指していたりする頃のエピソードに共通するのは家族。特にお母さんの考えや行動の後押しです。

以前は、将棋好きのお父さんが子どもに教えるケースが多かったようですが、現代では将棋のよさを理解しているお母さんが子どもに奨励することが多いそうです。東京・千駄ヶ谷の将棋会館の道場では週末、多くの子どもたちが将棋を指しに来ていますが、付き添いの保護者は大半がお母さんだそうです。子どもが将棋に興味を持ったり強くなったりするには、お母さんの存在がとても大きいといえそうです。

羽生竜王は昨年12月に竜王のタイトルを通算7期獲得して「永世竜王」の称号を取得しました。すでに取得している名人・王将・王位・棋聖・棋王・王座の永世称号を合わせると、「永世七冠」という前人未到の偉業を達成したことになります。日本政府は1月5日、永世七冠を達成した羽生竜王に「国民栄誉賞」を授与すると正式に発表しました。羽生竜王は1989年に竜王のタイトルを獲得して以来、現在まで通算のタイトル獲得は最多記録の99期を数える。28年間にわたる長年の蓄積した実績が評価されたといえるでしょう。

また、羽生竜王は1996年2月にすべてのタイトルを独占して「七冠制覇」を達成しました。しかし5カ月後に棋聖のタイトルを失って、四冠と三冠の時期が長く続きました。羽生竜王は七冠の可能性を問われたとき、「正当な競争原理が働けば難しいと思います」と率直に語っています。勝負の厳しさについて、羽生竜王本人は強く認識していました。昨年の秋には、若手棋士に敗れて王位と王座のタイトルを失い、ついに一冠に後退します。羽生竜王の不調説や限界説まで取りざたされますが、心機一転して巻き返し、竜王のタイトルを奪取したところに羽生竜王の強さとすごさがあります。

羽生竜王は永世七冠の記者会見で「将棋は深くてまだわからないところがあり、自分が知っているのはほんのひとかけら」と語っていました。それは謙遜ではなく、さらに進化を目指していく探究者の決意かも知れません。

それは昨年の「NHK紅白歌合戦」の番組の中でビデオ出演したときに、「初心忘るべからず」という言葉を口にしています。この言葉は一般的には、物事に最初に取り組んだときのひたむきな気持ちを忘れてはならない、という意味です。

でも羽生竜王は、「必ずしも昔のことに限らない。(永世七冠を取得した)現在が新たな起点なのです」と言っているのかも知れません。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
将棋を覚えた時期は・・・覚えていません。でも、叔父さんと将棋をやって、いつも負けていたことを覚えています。

中学三年の時のクラブ活動は将棋でした。高校三年の秋に将棋同好会を作りました。
PCの将棋ソフトも持っていましたが・・・

初心忘れるべからず=「必ずしも昔のことに限らない。現在が新たな起点なのです」・・私は、毎日がこれです。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

小学校低学年のころ父から将棋を教わりました。
近所に将棋倶楽部はなく母は将棋には無関心でした。
中学時代は友人と二人で休みの日に対局し勝手に名人・棋聖・王将などの称号を争っていました。
某社になる前職場の愛好者たちと勝手に自らに称号を付け(私は竜王)昼休憩&定時後にリーグ戦を行い最強位を争っていました。
その頃は将棋ソフトも5つ位持っていましたが・・・

初心忘れるべからず=「必ずしも昔のことに限らない。現在が新たな起点なのです」・・改めて目から鱗です。
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