私のブログにお越しいただいてありがとうございます。新型コロナウイルスによってお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、罹患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
また、日々新型コロナウイルスと戦っている医療関係など、私たちの命と生活を守るために働いてくださっている関係者の方々に、心からの敬意と感謝いたします。
どうか、みなさまとご家族、関係者の方がご健康であっていただければと思っております。1日でも早く流行が終息の方向に向かうことを願っております。
「シェルブールの雨傘」は第17回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した、1964年のフランス映画です。全編音楽のみで地の台詞が一切ない、映画としては画期的な形式のミュージカル映画であり、主題曲は世界中で大ヒットしました。
私は映画は観たことがないので、語ることはできませんが、この主題曲は聴いたことはあります。
一時期、昔の海外映画のテーマ曲集のCDをよく聴いていた時代がありました。
さて、日本は梅雨の季節を迎えます。
電車内の忘れ物で、圧倒的に多いのは傘です。特に、手軽で安価なビニール傘の場合、失くしたら大変なことになるほど重要性が高くはないのが、忘れやすい理由なのでしょう。それでも、ちりも積もれば山となりますので、お金も無駄には出来ません。
忘れ物は、予定の記憶(展望的記憶)に関係しているそうです。電車に乗って傘を手すりに掛けたら、「降りる前に傘を忘れない」と、一応は考えています。ただ、電車に乗っている間、ずっと傘のことを考え続けていることはありません。朝ならば、お昼ご飯のこと、夕方ならば夕飯のこと…、週末ならば休日のことなど、別のことを考えたりすると思います。
その後、電車を降りるときに、傘のことを自発的に思い出さないといけません。これを展望的記憶と言います。その記憶を思い出さなかったら、展望的記憶の失敗といえます。つまり、忘れたのではなくて、「思い出さなければいけない記憶を、思い出し損なった」というのが正確なことなのです。あらゆる忘れ物をする理由はこれで説明がつくそうです。ただし、実際のところ、必要なときに記憶を思い出すのは、とても難度が高いことなのだそうです。
この前提で、電車内に傘を置き忘れない対策があります。
その1つは「高価な傘を使う」ことです。
大事なものは、当然のことながら、大切に扱います。確かに安い傘だと「また買えばいい」と思ったりしてしまいますし、簡単に手に入ります。私の場合、高価ではありませんが、岐阜の道の駅で買った「和風の傘」と香港で買った「セブンイレブンの傘」を使っています。電車に乗る機会は少ないのですが、手に入りにくいこともあり、大切に使っています。
そうはいっても、ですので、お金がかからず、一番いい方法は「傘をどこにも置かない。ずっと持ち続けていること」です。単純ですが、この対策が一番です。
人の注意力には限界があります。多くのことに同時に注意を配ることは難しく、どこかに注意がいくと情報処理のリソースが足りなくなり、ほかが疎かになってしまうものです。
だからこそ駅に着く前、とくに駅区間が短い路線では一駅前のタイミングで、ゲームや動画閲覧、読書など、それまで熱中していた活動をやめて、降りることに備え、余裕を持つこと。それが傘に限らずすべての忘れ物を防ぐひとつの手になると思います。
ちなみに、私の「セブンイレブン傘」ですが、以前、香港の大規模デモのニュースにおいて、警察からの放水や催涙弾の防御の際に目にすることがありました。
ソーシャル・ディスタンスとして、傘を開いた距離感がいいとも言われていますが、傘は正しく使用されることを望みます。
♬最後には 笑えるように
日は沈んでも、また、今日も日が昇っています。たとえ、雲で隠れていたとしても。
最後には 笑えるよう、自分の歩むべき道を見つけることができるように、新しい朝を迎えたいと思います。
また、明日、ここで、お会いしましょう。