♪ 雲はわき 光あふれて
天たかく 純白のたま きょうぞ飛ぶ
「栄冠は君に輝く」は1948年に朝日新聞社が歌詞を募集し、合計で5252もの作品が寄せられたそうです。
入選したのは加賀道子さん。当時23歳、石川県根上町(現能美市)で郵便貯金の仕事をしていた方です。
道子さんは当時のことを「職場に電話がかかってきて、ウワァッちゅうてびっくり。朝日新聞の方が『宝くじに当たったようなものですね』といわはった」と語っています。
その賞金は5万円。当時公務員の初任給の10倍以上という大金でした。
しかし、実は本当に作詞したのは、道子さんと婚約していた大介さんでした。
当時、大介さんは短歌や演劇の会を主宰し、脚本を書いていたプロの執筆家でした。でも、「賞金目当てと思われるのが嫌や」と道子さんの名で応募したそうです。
「夫は『絶対、本当のこといっちゃだめだ』って。はいはい言うよりしかたなかった」と道子さんは語っています。
また、当時新聞記者などに作詞のきっかけを聞かれ、「スポーツが好きですから」と話だけでした。
20年後の1968年第50回記念大会をきっかけに大介さんは真相を公表しました。
また、「苦しめたな」と道子さんをいたわったそうです。
作曲は早稲田大の応援歌「紺碧の空」や阪神タイガース「六甲おろし」、読売ジャイアンツ「闘魂込めて」などを手がけた古関裕而さん。誰もいない甲子園のマウンドに独り立って曲を作ったそうです。道子さんは大介さんの死後、大会に招かれてスタンドで古関さんと初めて出会い「いい歌詞ですね」と話しかけられたそうです。
根上町と言えば、ニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜さんの出身地です。
松井さんが甲子園で活躍した年、道子さんは友人から誘われて、松井さんの自宅を訪ねたことがあるそうです。「この歌、大好きです」という松井さんからサインをもらい、年賀状も来たそうです。
道子さんの長女の新川淑恵さんは2003年の甲子園で開会式を見たそうです。
歌手森山良子さんが唄った「栄冠は君に輝く」を聴いて「ああ、父は生きている」と思い、涙が止まらなかったそうです。
厳格で無口だった大介さんとは、淑恵さんが大学一年のときに亡くなるまで、あまり話さなかったそうです。その後、淑恵さんは小学校の先生になり、2007年から母校の根上町浜小学校の教頭先生になりました。「夢に向かって生きろ、そういわれている気がします」とのことです。この浜小学校は松井さんの母校でもあります。
道子さんは夏が来ると趣味のカラオケで「栄冠は君に輝く」を唄うそうです。
♪ たまのいのちにかようもの 美しくにおえる健康
この三番の歌詞が一番好きだそうです。
「やりたくても野球ができなかった夫の思いがこもっている」
農家の次男に生まれた大介さんは少年の頃、裸足で野球をしていたそうです。
そして、試合でのケガがもとで16歳の時に右足のひざから下を切断することになってしまいました。
それでも、大介さんは松葉づえで自宅前の浜小学校に行き、子どもたちの野球をみつめていたそうです。
1973年、58歳という若さでこの世を去りました。
この詞に恥じぬこと無きよう、100年の集大成に期待するとともに、今まで敗れ去った168,016人球児の栄冠を心に刻んだ、代表49校のすべての球児の健闘を祈ります。
(高校総体の男子新体操もお忘れなく)