野球小僧

海峡を越えた野球少年

日本の夏の風物詩。高校野球。

お隣の国、韓国においても1970年代から1980年初頭にかけて、韓国高校野球は日本の甲子園大会に匹敵するほどの空前の人気を誇っていました。また、同時に日本の高校野球もかなり注目されていました。

特に一番の注目だったのが、1981年の夏の甲子園で兵庫・報徳学園高校のエース金村義明さん(元中日ドラゴンズほか)が優勝投手になり、韓国の人々にとって在日同胞の英雄として新聞がこぞって一面トップで書き立てたそうです。そして秋に韓国高校選抜チームが日本高校選抜チームを自国に迎え、3勝0敗で日本チームに勝利し、「韓国の高校野球は日本より強い」と言われるようになりました。ただ、翌1982年に韓国プロ野球が発足すると、韓国高校野球は、一時的な熱狂ほどではなくなったそうです。

現在、日本では4000校以上の野球部が参加していますが、韓国では50数校のみだそうです。それで、どのくらいの大会が行われているかというと、全国大会が9つも開催されているそうです。

その中でも四大大会と言われるのが、「黄金獅子旗全国高校野球大会(主催・東亜日報)」、「大統領杯全国高校野球大会(主催・中央日報)」、「青龍旗全国高校野球選手権大会(主催・朝鮮日報)」、「鳳凰大旗全国高等学校野球大会 (主催・韓国日報)」になります。その中でも、黄金獅子旗大会と鳳凰大旗大会だけはすべての高校に出場が義務付けられています。

特に鳳凰大旗大会は夏休みに行われ、日本での夏の甲子園のようなもので、夏の甲子園に出場できなかった在日同胞選手による選抜チームが参加していました。元々は1956年に始まった在日同胞学生野球団の祖国訪問試合です。日本での選手権大会で敗れた在日の高校球児たちが集まり、韓国各地で試合をし、日本の先進的な技術を伝えるというのが、きっかけでした。そして、この遠征は1971年からは鳳凰大旗争奪全国高校野球大会に参加するという形で1997年まで続きました。

この映画では、両親が北朝鮮に渡り、政治の狭間で苦しみながら1950年~1960年の韓国を代表する外野手として活躍した、東京の日体荏原高校出身の裵寿讃さんと、鳳凰大旗の大会で準優勝した1982年のメンバーの話を中心に展開するのですが・・・

1970年代後半から1980年代前半の広島東洋カープの連覇に貢献した福士敬章(本名; 張明夫)さん。鳥取県立鳥取西高等学校では、エースとして1968年夏の甲子園県予選準決勝に進出しますが、米子南高に惜敗。同年のドラフト外で広島東洋カープ、大洋ホエールズとの争奪戦の末、読売ジャイアンツに入団。同期のドラフト1位は武相高校の島野修さん、また、甲子園準優勝の静岡商高の新浦寿夫さんがいます。

2年目の1970年に一軍昇格を果たし、開幕第4戦に先発で起用されるなど期待は大きかったものの、結果を出せませんでした。
1973年にトレードで南海ホークスへ移籍すると、ローテーションの一角に成長し、7勝を挙げてリーグ優勝に貢献。日本シリーズで、第三戦に古巣ジャイアンツ相手にも登板しました(この時の登録名は松原)。ちなみにトレードの際に「移籍して活躍したら返す」という条件があったようですが、本人が復帰を拒否したそうです。
1977年にカープの希望により、トレードで移籍。先発ピッチャーとして活躍し、15勝を二度マーク。1979年と1980年の連続日本一にも貢献し、カープ黄金期の一翼を担いました。ちなみに、1979年の日本シリーズの有名な「江夏の21球」の直前に投げていたのは福士さんでした。しかし、1982年にわずか3勝に終わると同年限りで退団し、1983年に本名の張明夫の登録名で、創設2年目の韓国プロ野球・三美スーパースターズに入団し、同年30勝(年間チーム100試合)の活躍でした。

当時の韓国プロ野球は日本の二軍と社会人の中間くらいの実力だったそうです。日本のプロ野球で活躍していた福士さんが活躍することは、それほど難しいことではなかったと思います。

それよりも福士さんを待っていた祖国での生活、在日韓国人の置かれた立場の厳しさです。日本での在日韓国人の方への差別は、しばしば問題になりますが、韓国へ戻れば同胞として歓迎されるのではないかと考えていましたが、必ずしもそうではないそうです。韓国社会では言葉も生活スタイルも完全な日本人だけに、差別されていたそうです。

福士さんは2005年4月に日本で亡くなっていました。

日本で通算91勝、韓国でも54勝。いわば、日韓野球の架け橋、大功労者といえる存在でした。

亡くなった部屋の壁には「落ち葉は秋風を恨まない」と書かれた紙が残されていたそうです

秋風に舞い落ちる葉は、自分を揺らした風を恨んじゃいない。
    「風が吹かなければ落ちなかったものを」などと恨みごとをいいたがるのは、過去を振り返りたがる心狭い人。
            しかし、落ち葉は秋風に吹かれてさらさらと舞い散っていく。
                落ち葉は恨まない。その潔さがいい。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
韓国へ渡って30勝したところまでは記憶にありました。ただ、その後はあまりニュースにも上がらず。

日本と韓国という近くて遠い関係の中で、いろんな苦労があったと思います。本当に。

私も「落ち葉は秋風を恨まない」生き方をして行こう・・・
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

遂にNPBコミッショナーを超えてワールドコミッショナーへの道ですか?

私としては松原明夫の方が馴染み深いですね~
鷹・鯉当時は県出身として米田哲也・松原明夫が双璧だったような・・
実は兎時代はよく知らないんですが^^;

若くしてお亡くなりなったんですよね。合掌
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

最新の画像もっと見る

最近の「高校野球」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事