1990年6月からTBS系で放送された「徳川埋蔵金発掘」シリーズ。
もともとは大橋巨泉さんMCの「ギミア・ぶれいく」という番組の企画から始まり、コピーライターの糸井重里さん中心に発掘チームが結成され、穴を掘りまくっていました。約2年半にわたって10回の発掘作業が行われ、自称超能力者の協力などで埋蔵場所を推定し、大掛かりな発掘をしていました。今でも心が純粋な私は全部ではないもののよく見ていた記憶があります。今思えば、1970年代後半からテレビ朝日系で放送されていた「水曜スペシャル」での川口浩さん率いる「川口浩探検隊シリーズ」的な盛り上げ方をしていたような感じです。
現場で作業に取り掛かったスタッフは最大90名で、重機7台を投入したという一大プロジェクトは、総額3億5000万円の費用が投じられていたそうで、バブル期のTV局ならではのお金の使い方です。
そもそも、この企画にあたって当時、祖父・父・子の三代に渡って埋蔵金の発掘に挑戦する「水野家」という存在がありました。
この水野家の初代・智義さんが埋蔵金発掘に目覚めたのは1883年だったそうです。きっかけは、自称かつて幕府の武士だったという男から、一通の手紙を受け取ったことだそうです。その内容は、徳川幕府再興のために隠された軍資金360万両(約200兆円)の手がかりが書かれていたものだそうです。智義さんはもともと武家の生まれで、幕末には徳川幕府に従軍して薩摩・長州とも戦ったことがあったらしいです。
智義さんは当時、両替商として成功していたのですが、事業で得た資金を御用金の発掘に充てることを決意します。1890年には黄金の徳川家康像を発見。その後も、近所にあるお寺の縁の下で、埋蔵金の在りかを記したとされる銅板を入手するなど、手がかりになりそうなものはいくつか発見されるも、肝心の埋蔵金については金貨一枚も見つかっていません。
以降、三代にわたって埋蔵金発掘作業が行われているとのことですが、TBSの企画は終了しています。
ちなみに、この徳川埋蔵金は幕末の江戸城明け渡しの際、鑑定奉行だった小栗忠順さんが幕府再興の資金として、自身の故郷である赤城山の山中に隠したという説です。
ほかにも、旧三国街道(国道17号)や旧沼田街道(国道120号、国道401号)沿いにも、幕末に大量の物資が運ばれたとの目撃談が残っており、複数箇所に分散して埋蔵された可能性もあるとのことです。
なお、この埋蔵金は発見したとしても全額発見者のものにはならないようです。
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今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。