高校生史上最速163km/hのストレートの岩手・大船渡高のエース右腕・佐々木朗希選手。今や高校野球ファンのみならず、NPBやMLBまでまだ巻き込んでの大フィーバーとなっています。
5月17日開幕の春季県大会や夏大に向けて、岩手県高野連は異例の対応を必要としました。
1. 球場常設以外の駐車場大幅確保
2. 組み合わせ抽選会前に設定してある試合会場(3会場)の大船渡戦組み替え
3. 球場外に報道受付設置および取材証の発行
4. 報道各社のテレビカメラ台数や人数の制限
5. テレビカメラや写真撮影位置のエリア限定
岩手県高野連も大変なことです。
岩手県といえば、シアトル・マリナーズの菊池雄星選手、アナハイム・エンゼルスの大谷翔平選手という剛腕ピッチャーを輩出しています。
その岩手県とは、東北地方の北部(北東北)に所在し、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と境界を接しており、面積は15,275.01km2、日本の都道府県としては、北海道に次いで2番目に広い面積を持っています。全人口およそ125万人のうち、100万人以上(7割強)は、内陸部の北上盆地に集中しています。盆地と海岸部以外は山地や丘陵地が多く、緑豊かな県です。県庁所在地は盛岡市です。
約1000年の昔、奥州藤原氏三代の時代に岩手県は日本一栄えた地域のひとつでした。しかし、これが滅亡して以降は長い間に渡って歴史の表舞台に出てくることは稀でした。江戸時代の幕藩時代は、現在の岩手県の前身にあたる地域は伊達藩の北部と南部藩の南東部で構成されていました(このため県内において、呼称としての「南部」は地理的な意味とは逆に県北部を指す場合があります)。また、岩手県内で陸前に該当する地域は釜石以南の三陸地方のみです。南部(県北)地域は陸中に当たります。
「岩手」という名称は、県庁の置かれた盛岡市の所属郡名「岩手郡」に由来しています。その起源については、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事に倣うとされています。
ちなみに、「岩手」の名が文献に登場するのは、「みちのくから都に献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」という大和物語の一説の鷹の名「岩手」が初めてだと言われています。帝は、岩手を失った悲しみを「言わないことが言うことより気持ちが勝る」の意味で、「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたそうです。
岩手県人の特長として、朴訥で口下手、引っ込み思案だけど真面目な努力家タイプの県民性を持っているとも言われています。詩人の高村光太郎さんは、「岩手の人 沈思牛のごとし」(岩手の人)と詠み、上滑りを嫌い、時間をかけて地道を積み上げる人たちであると評しています。
歴史上いろいろ苦労の多い地域だったこともあり、出身者にも調整役として手腕を発揮する人物を多くいるようです。日本初の政党内閣を率いた原敬さんや、首相として対外強硬派の圧力をかわし続けた斎藤実さん、実質的な日本の最高権力者とも看做された小沢一郎さんなどが岩手県の出身だったりします。
一方で、河童や座敷童などと言った有名な妖怪たちのルーツが遠野市だったり、幻想的な小説を幾編も綴った宮沢賢治さん、「総門谷」の高橋克彦さんなど、意外にファンタジックなものを大事にする土地柄でもあります。
そんな、岩手県を語る際に無視できないのは、やはり47都道府県で北海道に次ぐ2位の面積です。本州でトップで、四国4県分の面積があります。よって、おのずと背の高い人とか、多種多様な人間がいます。また、沿岸部と内陸部では文化も異なり、方言もいろいろです。
偉人が続々と出る土地柄でもあり、総理大臣は1位の山口県、2位の東京都に続き、3位の4人(斎藤実さん、原敬さん、米内光政さん、鈴木善幸さん)です。いずれも旧帝国大卒などではなく、地道に実績を積み上げて上り詰めたという共通項があります。岩手県は明治維新の際に、新政府軍に反発した賊軍と呼ばれ、苦難の道を歩みました。だからこそ勤勉に真面目に頑張るしかないという風土があるそうです。それが、今の若者の中にも生きているのはないかと言われています。
また、高校野球の現場に流れる空気も、大器がのびのびと育つ要因とも言われています。菊池選手、大谷選手がいたときも、当時、花巻東高の佐々木洋監督は「みんなで勝つんだ」というチーム作りをしていました。チームで勝つんだという育て方をする指導者が多いということもあるようです。
すごいピッチャーの存在で各校も頑張り、切磋琢磨して岩手県のレベルアップにつながっていくことでしょう。