才と徳とを兼ね備へたるを聖といひ
才ありて徳のたらざるを賢といひ
徳ありて才のたらざるを君子といひ
才ありて徳なきを小人といひ
才も徳もなきものを愚人といふ
【「国家百年の大計」 これは おとぎ話か ~ 政権争奪の渦中にあって思うこと の巻】
「愚公山を移す(ぐこうやまをうつす)」は、
中国・戦国時代の典籍「列子」にみえる説話。
あの毛沢東が演説の中で取り上げてから
広く知られるようになった。
■次のような話である。
太行山・王屋山が、現在の位置にあるのは、
愚公という老人が自宅近くの山を邪魔に思い、
家族総出で山を崩し始めたのが始まりだった。
愚公の行為を見ていた智叟(ちそう)という人物が、
「山を人力で崩せるはずなどない。
あなたのようなバカなことをするヒトは珍しい。
齢90を過ぎては、死ぬまでに
山の万分の一も崩せるものではないではないか」
と、あざけった。
すると、愚公は
「キミは名前に似合わず、
実に話の分からない頭の固い男である。
山は増えないのだから、
子々孫々この事業を続ければ、
小さくなっていくばかりであろう。
いつかは山を移動することができる。
どうして努力を惜しむことがあろうか」
と自信満々に答えた。
さて、毛沢東は1945年6月の演説で
「日本」と「中国国民党政権」を二つの山に、
「中国共産党」を愚公に たとえて、
「どんなに敵が強力に見えても、
我々が山を崩し続ければ、
天帝にあたる中国人民は
我々を支持してくれるのだ」
と唱えた。
そして訪ソ時、
スターリンに この伝説を紹介すると
かの独裁者は いたく興味を示し
「私たちが手を組めば、
山を移す以上のことが
必ずできますよ」
と答えたものである。
◇
政治弾圧と冷戦のイデオロギーの時代。
記憶から消え去ってしまうほどの
遠い日の昔ばなしではない。
混迷と不安な世情のなか、
さて、麒麟が来るや、否や。