【「粟田神社」 ~ 境内参拝自由の愉しみ の巻】
三条通を東にゆくと、
東山三条交差点から蹴上へと
緩やかな上り坂になる。
途中、神宮道をこえると南側に参道入口がある。
平坦な道を過ぎ、鳥居に着くと、
その先に長い石段が続く。
平安末期、刀鍛冶が粟田口氏を名乗り、
その子孫たちも名刀製作に没頭した。
これにちなんだ神社は、青蓮院の保護により
色絵陶器、粟田焼の発祥の地ともなる。
境内から眼下に岡崎の緑や平安神宮の朱塗り鳥居が見える。
根を詰めた職人が、しばし手を休めて眺望したのであろう。
三条通 京都市を東西に貫く主要な通りの一つ。平安京の三条大路に位置する。東は山科区四宮から西は嵐山(渡月橋)に至る。鴨川の三条大橋は、東海道五十三次の終点。東海道の京の出入口の部分は、「京の七口」の一つである「粟田口」と呼ばれ、粟田神社は旅立ちの神として信仰を集めた。
粟田焼 京都の陶器づくりは、天平年間(729~49年)に行基が東山・清閑寺に窯を築いたのが始まり。江戸初期から作陶が本格化し、三文字屋九右衛門が開いた粟田口焼が粟田焼の起源となり、東山一帯の音羽・清閑寺・清水などに築かれた窯が清水焼として発展した。