【創業は易く守成は難し ~ 君主たるもの 柔軟であれ 意固地では務まらぬ の巻】
全て業(事)を起こすのはたやすいが、
これを持ちこたえ、
基礎を固めていくことは
なかなか容易ではない。
中国・唐の名君 太宗がある時
侍臣たちに向かって
「創業と守成とは、
どちらが難しいであろうか」
と問うた。
房玄齢(ぼうげんれい)は
「世の乱れておる時は
群雄が諸方に起こり
互いに力を持って相争うので
それら群雄を征服して
天下を統一せねばなりません。
よって創業の方が困難と思います」
ところが魏徴(ぎちょう)は
「昔から帝王の地位を得ることは
非常に困難辛苦によるものであり
しかしまた、これを失うのは
実に安逸のためです。
こうみますと
創業より守成が難しいと考えます」
と答えた。
太宗は、双方の識見に深くうなづき、
「房玄齢は朕とともに創業の辛苦をなめてきたから
創業の苦しみを重く見るのは当然である。
今は、その難しい問題もようやく一段落ち着いた。
そうして守成の困難な時期にあることから
これからまさに諸卿とチカラを合わせて努めたい」
と語られた。
こうして中国史に残る善政を永く敷いたのである。
房玄齢(578~648年) 太宗の謀臣として「玄武門の変」で活躍し、権力奪取を助け、「貞観の治」の立役者の一人となった。正史編纂にも関わり、「北斉書」などを総監した
魏徴(580~643年) 若い頃から高祖、太宗の唐朝の基礎を築いた皇帝2代に仕えた俊才にして懐刀。特に太宗への直諫(直に諫めること)で知られる。二人のやりとりは「貞観政要」に数多くみられる。