囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

桃源郷よ、末永く

2021年02月25日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 

世話人をつづけていくワケ

 ~ 事なかれ主義でも一年、鬼になっても一年

 ~ 時代おくれになりたい。 の巻】

 

 

中韓では頭脳を使ったスポーツ、日本ではゲームあるいは芸事

というのが囲碁のおおまかな捉え方である。

「勝った負けた」でいえば、昭和から平成の初めまでは

日本が世界一だったが、やがて韓国、そして中国に後れを取る。

プロの世界じゃ巻き返しを狙うのが常道であるが、それもよし。

 

わたしの周りの趣味の世界は、また別の価値観で動いている。

勝ってよろし、負けてもまたよろしとしたものだ。

素人碁はどうやっても楽しめるのでなければ楽しみとはいえない。

 

「100人碁会」は、三十年ほど続いた地域の奇跡の桃源郷であるが、

右肩上がりの規模拡大から一転、新型ウイルス騒ぎで存亡の危機にある。

3密回避のための「20人上限」で、昨年6月から細々と続けている。

退会を申し出る会員が後を絶たず、視界不良のまま光は見えず。

 

1年続けた世話人も、まもなく2年目に入る。

新年度からさらに「あと2年」のおつとめに入ることになりそうだ。

仕事を続けながらなので、土曜碁会に行けない日もある。

全うするには、世話人仲間のほかの5人の協力を願うだけ。

幸い、今回は全員がメールができ、姿勢にも期待が持てそうである。

 

さて、会員名簿や各種データをよくみると、

平均年齢は思っていた以上に高い。

100人碁会での「2021年度の満年齢」を調べると

90歳以上が5人、88歳以上となると15人ーー。

わたしなど会社で最高齢に近づいているが、

碁会では逆に最年少であり、小僧の類い。

先輩諸氏、アタマもカラダも若く元気なのである。

だが今後、このゾーンばかりが膨らむ公算大で

手放しで歓迎とはいえない。

 

ここに、いくつかの当番義務を従来通りに課すことが

できるのか、できないのか、頭の痛いところである。

しかも永年在籍・長寿・人命救助表彰や弔意金支給など

碁とは直接関係なく、運用面で功罪相半ばするがしかし

存廃論議にはデリケートな制度が手付かずで残っている。

また会長だけではく役員のなり手もなくなってきた。

いうなれば、沈黙の不発弾を体内に抱えているのだ。

 

目指すべきは、もはや規模の維持・拡大ではない。

こじんまりしていても会員の居心地を大事したい。

勝ち負けより楽しい時を過ごすことを第一としたいのだ。

日本の企業社会の価値観を振り返ると、

昭和は右肩上がりの規模の追求だったが、

やがてROE(自己資本利益率)重視となり、

規模より中身の充実変わっていった。

働くヒトにとって「職場の風通しや空気感」こそが大事である。

そのあたりは、趣味の会であっても同じだろう。

 

京都や大阪で碁会所の閉鎖が続くなか、

近場で、ダダ同然で、好きな趣味を楽しめる、という

親睦の場があるのは極めて貴重であり、

どこにでもあるものではない。

 

先人の熱意で発展してきた趣味の会を

ここで潰してしまっては、

二度と立ち上げることはできない。

 

高段者が少なく初二段・級位者が多い碁会だって、そう悪くない。

「ズルしない」「マナーを大事にする」「愉しい気分で家路に向かえる」

夢のような世界だが、やりようによっては夢じゃない

こんな「お約束」のある会ならば、自分のことを後にしても、

お世話させていただく価値は十分にある、としたものである。

 

 

 


「時代おくれ」  
    作詞・阿久悠
    作曲・森田公一

♪ 不器用だけれど しらけずに
純粋だけど 野暮じゃなく
上手なお酒を 飲みながら
一年一度 酔っぱらう
昔の友には やさしくて
変わらぬ友と 信じ込み
あれこれ仕事も あるくせに
自分のことは 後にする
ねたまぬように あせらぬように
飾った世界に 流されず
好きな誰かを 思いつづける
時代おくれの 男になりたい



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