囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

「思い上がり」に喝

2020年06月16日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 

誰だって 生まれつき 碁の高手だったワケじゃない の巻】

 

 

■囲碁は「敷居の高い遊戯」です。

ルールは簡単、しかし概念・運用は複雑。

覚えても長続きしないケースが多い。

運よく一度、一定レベルで習得してしまえば

棋力は長く維持されます。

五段が十年も打たなくても

五段のままで打てる、といいます。

感覚と技術の「忘れにくさ」という特質からです。

身についた力は蓄積され、高度化しますし、

棋力とともに上達意欲も強くなります。

 


■逆に、これは弱かった頃をいつしか忘れ

その頃の気持ちまで分からなくなるという面も

あわせ持つようです。

ヒトの記憶のあいまいなこと。

都合の悪いことは「忘れっぽい」。

そして、初心・初級に親切でなくなる。

碁の解説でも強い人ばかりが注目を浴び、

難解な感覚や言語が飛び交って

弱い人を遠ざけてしまいます。

言葉の端々に出る上から目線の物言いに

反感・反発が生じていきます。

当ブログでも碁の技術論に偏すれば

たちまち極端に閲覧者が減ります。

日本の碁の衰退には、

碁の特性が起因しているのではないか。

こう思う様になりました。

 

■最近 新しい小さな碁会を立ち上げました。

勧誘するなかで「置かせ碁は打ちたくない」

という高段者がおられました。

本人の主義・主張・信念でしょうから、よしとしましょう。

でも、わたしからすると、こちらから願い下げです。

頭を下げてまで、入っていただく理由は

1ミリだってありません。

 

■ほんの一握りのプロやアマ強豪は別として

地域碁会には「親睦」という大きな眼目があり

それが「愉しみ」の起点になります。

新型コロナウイルスとの共生時代が

長く続くとみられているなか

たとえ「小人数の碁会」であっても

ちいさな灯を絶やすことなく

細くとも長く愉しみの一点を求め

続けていきたいものです。

 

 

 

 

碁の強いやつは悪人だ    坂口安吾

 

 



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