囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

昭和天皇と私 1

2020年11月05日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 

侍従長・入江相政の随筆「古典逍遥」より(抜粋) の巻】

 

■南伊豆早春

両陛下のお供で、伊豆の須崎へ行く。

藤沢、辻堂、このあたりに限ったことではないが、

東海道の沿線もすっかり変わった。

(中略)

下田の駅からまもなく海。

吉田松陰は、長州の萩からここまでたどりつき、

アメリカの船に載せてもらって、

国禁を犯してこの浜からアメリカに渡ろうとした。

私の祖父は、明治五年にドイツに行き、農芸化学を学んだ。

心臓を病み、志しなかばにして七年に帰国、

そしてすぐこの世を去った。

私なんか全く意気地なしで、昭和四十六年に、

それもひとりでいくのではなく、

両陛下のお供でというのに、外国行きは気が重かった。

先人にたいしてはずかしき極み。

でもいよいよ行ってみれば、驚きがつづき、楽しいことばっかり。

(中略)

 

 生きたるもの蓋しや無けむ極北は大空も海も凍て果てにつつ

 

今日、両陛下のお車に陪乗しながら、

松陰のひそんだあたりが目に触れた時、

わが身のだらしなさを、祖父に恥じ、松陰に恥じた。

「玉泉寺」という看板、ハリスはこの奥にいた。

そして「駕籠で行くのは お吉じゃないか」、

日本の黎明の世の話である。

 

         ◇

 

思い返すと、わたし(漂流男)も20年ほど前、

中国・天津にひとりで行ったっきり、だったか。

渡航は、このところ、とんと、ご無沙汰。

空港のタクシー乗り場では日本語も英語も通じず、

漢字なら分かるだろう、と筆談でホテルへ。

翌日、現地通訳と会うまで、大変だった。

「よく、何事もなく、たどり着きましたね」

某法人会長(党幹部)や、別の現地法人社長(日本人)から

お褒めに預かった。

 

新型コロナ騒ぎもあって、もう海外には行かないかもしれないな。

映像メディアの発達で、あちらの様子が見られないワケではないが

自分の足で、目で、鼻で、耳で、指先・舌先で感じるのは全く違う。

そう思うと、せっかく世界が狭くなってきたというのに、

逆戻りしたかのようで、遠く感じるのに一抹の寂しさがある。

 

在宅勤務の「おうち生活」が増え、定着して久しいが、

これから見ることのないかもしれない世界のことを

ぼんやり考えるようになっている。

 

 

 


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いりえ・すけまさ 明治38年、東京生まれ。昭和4年、東大文学部卒。学習院で教鞭をとる。侍従になり、同44年に侍従長、60年死去。座談の名手で、硬軟織り交ぜたユーモア、機知あふれる語り口に定評があった。著書に「いくたびの春」「侍従とパイプ」「天皇さまの還暦」など多数。「古典逍遥」は没後の1986年初版。遺稿となった書下ろしを多数収録している。1300円。

 

 



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