【ロケ地になった洛西の寺社
~ 京都にみいだした江戸の情景 の巻】
かつてキネマの天地がここにあった。
京都市中心部の西方、太秦(うずまさ)周辺には
映画製作各社の撮影所があり
右京区・西京区、さらに先の一帯は
時代劇の絶好のロケ地になっていた。
「わざわざ京都で撮影する利点は
撮影所のオープンセットがしっかりしているのと
優秀な技術スタッフがいるのと
セットの図面を美術の西岡善信さんが引いてくれる、
いろんな意味で魅力がありました」
(鬼平犯科帳など多くの時代劇を企画推進した故・能村庸一プロデューサー)
「大沢池」に屋形船を浮かべれば「隅田川」になり
「御室・仁和寺」の八重桜は「浅草寺」の春景色となる。
密偵や盗賊が「大井川」に飛び込む絵を撮るのに
「嵐山・中之島の太鼓橋」は絶好のロケーションである。
そして、鬼平犯科帳のエンディングシーン。
ジプシー・キングス(仏)のギターの音色に彩られ
江戸情緒たっぷりのカットが次々と映し出される。
「浅草寺」の雷門を思わせる参道の賑わいは
実は「嵯峨釈迦堂」の仁王門越しに撮られている。
◇
◆光明寺(京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1、境内参拝自由、紅葉時期500円)
大岡越前、必殺仕置人、必殺仕事人、水戸黄門、鬼平犯科帳、遠山の金さん、子連れ狼など(他にも多くの時代劇のロケ地となっている)
総門の高麗門をくぐり抜けると
一段一段の奥行の深い階段で構成する
長く緩やかな絵画的構成の参道が現れる
木々が枝を低く重ねて石積みの階段に垂れ
春夏の濃い緑、秋の紅葉を愛でる極上の光景
名シーンの数々を想い出す向きもあろう
劇場的な石段をのぼり終えると
目先は宏壮な本堂・御影堂である
現在の建物は宝暦3(1753)年の再建
応仁の乱や山崎の合戦などで焼失を繰り返し
他の建築の多くも江戸後期につくられた
帰路は方丈から薬医門に至る道をゆく
石畳と砂利敷きの小径も閑静なたたずまい
嵯峨野の絵画的光景にも似た趣きがある