囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

「惻隠の心」伝説/中

2020年08月04日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 

「木谷道場」というキセキ ~ 明治の気骨、現代碁の屋台骨を支える の巻】


最後の世襲制名人、本因坊秀哉に挑み、

「5目勝ち」をおさめたのは木谷実七段である。

最終関門「挑戦者決定リーグ」を5戦全勝で優勝し

名人以外の全棋士の頂点を極め、挑戦権を得た。

「名人引退碁」は空前絶後の大掛かりな対局。

昭和13年6月から年末までの半年余り、

計15回打ち継いだ歴史的大一番だった。

持ち時間は各40時間。

木谷の考慮時間は34時間19分。

秀哉名人の19時間57分を大きく上回った。

 

観戦記者に川端康成が選ばれ、

新聞連載後に名作「名人」となり

木谷の名声をさらに高めたが、

彼の歴史的功績はもう一つ、別の大きなものがある。

いわゆる「木谷道場」の英才教育。

名棋士であると同時に、不世出の“教育者”だった。

大竹英雄、石田芳夫、加藤正夫、武宮正樹、小林光一、趙治勲――。

弟子たちは綺羅星の如く、碁界の中枢を形成していく。

一門の彼らは、長く主要タイトルを寡占した。


木谷は寡黙の人。

内弟子たちに多くの言葉を掛けない。

研鑽を眺めるだけで、批評を与えることは稀だった。

頻繁に棋風を変えた木谷は「求道の人」であり、

その真摯さは一つ屋根の下で生活する若者に

自然と浸透し、奇跡の一門となったのである。


この大事業には、

美晴夫人の存在なくしては成し得なかった。

夫人は碁を打たなかった。

ひたすら生活の全ての面倒を見ていたのである。


「私は碁を知らない方がいい、と思っています。

子供たちを大勢預かっていますでしょう。

皆、専門家になるための勉強をしても、

どうしても差が付きます。

碁を知らないと、成績を気にせずに

どの子にも公平に接することができます」

 

奇跡の道場が姿を消して半世紀近くになる。

預かった子どもたちの幸せを願うことが

自分の幸せである

という天使の心の「お母さん」がいた。

太い筋の通った夫妻の人間観が、

この世界をよく支えたのである。

 

 

木谷實(きたに・みのる、1909~75年) 神戸市出身、鈴木為次郎名誉九段門下、九段。呉清源と共に大正期から活躍し、20世紀碁界最強レベルと評価されている。一方、自宅を木谷道場として多くの内弟子を抱えた。弟子たちはタイトル戦線を席巻し、孫弟子を含めプロ棋士50人以上、段位合計は500段を突破している。



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