ウイルス 自分自身では増殖できず、他の生物の細胞を利用して自己を複製させる極微小な感染性の構造体を持つ生き物。ウイルスは他の生物と共生しているのだが、その生物の生命を脅かすのみならず、生物と生物との間の交流を分断するところに深刻な存在悪が潜んでいるのである
【「おもいやりの心」はココロをつなぐというキセキ ~ 政(まつりごと)をなすとは、細かな心配りのことなり ~ ああ、こんな主(あるじ)に仕えたい ~ 任命責任の取り方 の巻】
織豊時代の加藤嘉明は「賤ケ岳の七本槍」の一人。
智勇兼備の知将だったが、風流の心も深く
名器を愛玩することで知られていた。
ある時、
客をもてなすために秘蔵していた「盃」を
係の侍が誤って壊してしまった。
十個のうち、一つだけである。
侍は切腹を覚悟し、過ちを詫びたところ、
嘉明はただちに残りの九個を取り寄せると
自ら全てを粉々に打ち砕いてしまった。
それから静かに侍に向かい、こう言った。
「十のうち九つを残しておけば
のちこれを使う度に、その数を足らぬのは
いつの日、お前が誤って壊したことを思い出す。
どの様な名器であってもこんな器具のため
人の罪をあとあとまで忘れないのは
誠に心ないわざと思い、
この様に打ち砕いたのだ。
決して立腹してやったのではないから
夢にも心を痛めてはならない」
そう諭したという。
◇
「惻」は傷のすこぶる深いこと。
「隠」は痛みのはなはだしいこと。
孟子の言葉に
「惻隠の心、仁の端なり、羞悪の心、義の端なり」
とある。
人の身体に四つの手足があるように、
心にも惻隠(あわれみいたむ心)
羞悪(悪を恥じ憎む心)
辞譲(譲りあう心)
是非(よしあしを見わける心)の四つが
本来的に備わっていて、
これら四つの芽生え(四端)を、
それぞれ仁・義・礼・智という完全な徳へと
大切に育てあげねばならないといった。
最初にあげた惻隠の心は
「いたわしく思うこと」あるいは
「あわれみ」などの形容として
頻繁に使われるようになっているが、
しかし、これをして透徹した心境に達するのは
現代人には容易ではなかろう。
なき人の形見の髪を手にふれて
つつむに余る涙かなしも
豊臣秀吉