【いさめてくれる者を重用する の巻】
江戸の初め。
ある日のこと、
紀州和歌山の初代藩主、徳川頼宣が
その佩刀(はいとう)の利鈍を試そうと
囚人を引っ張り出しては
斬り捨てて快哉を叫んでいた。
その時、儒臣の那波道円が側にいたので
頼宣が「中国にもまたこのような快剣があるか」
と自慢そうに言えば、
彼は「はい、やはり干将莫耶というのがありまして
この切れ味は決して殿様の刀に劣りません。
そうして夏桀、殷紂という暴君がおりまして
その残酷なこともまた殿様に劣りません。
だから後世に至っても暴君のよき例(たとえ)と
されております」といった。
頼宣はムッとして
ただちに奥に入ってしまった。
その夜となってから
道円を召し寄せ
「今日の行いは大いに誤っていた。
まことに悔悟の情に堪えぬ。
それにしても、
よく余をいさめてくれたな」と
その忠誠を深く賞賛したという。
徳川頼宣(よりのぶ)家康の十男。常陸国水戸藩、駿河国駿府藩を経て、1619(元和5)年、紀伊国和歌山55万5000石に転封。紀州徳川家の家祖となる。8代将軍徳川吉宗の祖父にあたる。覇気に富む人柄だったと伝えられている。