子供が受験生で、自分のその当時を振り返ることが多い最近です。
何になりたかったとか全然考えてなかったなぁ。行った先でなんとかするくらいで。
我が子と同じで、好きなことに熱中していて、行ける高校に行けたらいいな、くらいにしか考えていませんでした。
中2の数学の時間なんて最悪で、一番後ろの席で、トランプでピラミッドを作って遊んでいました。
とはいえ、ヤンキーだったわけでもなく、定期テストに向けてコツコツ勉強するタイプでした。
当時、「ウルトラクイズ」が大好きで、習ったことをクイズ形式にして自主勉をしていました。
その甲斐あって、普通の上くらいの成績でした。
でも、テストが終わるのと同時に忘れるタイプなので、3年の終わり頃はもうちんぷんかんぷんでした。
そこで高校受験。
親の送迎はなし、交通の便が悪い田舎。体育で水泳がないのがラッキーという理由で、
家から自転車で5分の商業高校にしました。
あまりにも近くて、何度も寝坊しました。寝坊してズル休み何度もしました。(子供には言えない)
商業高校では、当然まわりの子も同じような成績なので、ちょっと勉強すれば上の番数がとれました。
かと言って、大学受験の受験勉強はうんざりだし、当時は「就職氷河期」。ほぼ現実から逃げるような形で専門学校を選択しました。
そもそも家は裕福ではないのが分かっていたので、自分で学費は返す!働いて学費は返すから借金してくれと親に頼み込みました。
親になった今思えば、父も半信半疑だったと思います。私がぐうたらな生活をしていたので。
そうと決めたら、どうせやるなら!!!地元で一番厳しいビジネス系の学校にしよう!
担任の先生にも厳しいぞと言われましたが、そんなに言うなら行ってみたいと怖いもの見たさで決めました。
実際の専門学校生活は、今現在知識として残っている資格はほとんどないので恥ずかしくて人に言えませんが、
入学時は何も秀でておらず目立たない生徒だったのが、卒業時には女子で一番の量の資格がとれたと思います。よく広告に使われてました。
睡眠時間を削って本当によく頑張りました。当時の言葉でいうと「資格マニア」。
学歴では大学生にはかなわないけど、資格で勝ちたいと思って頑張りました。
頑張れば合格できる成功体験を積んで、誰でも知っている企業の地元営業所に就職できました。
就職難もさらに悪化し、「就職超氷河期」と言われていました。
それも22時頃電車で帰ってきた私を駅まで迎えに来てくれた父や、母の手助けがあったおかげだと今になって思います。
その後約束の学費をさっさ返済し、車も親がローンで買った車を譲り受け、残りのローンも自分で払いました。
当然旅行に行くお金などありません。友達と地元で飲むのが楽しかったのでそれはそれで満足していました。
今の息子に将来の選択肢がなんて話してもピンと来ないのは当たり前ですね。
でも、自分で決めたことはしっかりやり遂げることは伝えたいと思います。
本気になったら、その気になったら、1番をとれる遺伝子は持っているはず!と背中を押してあげたいです。
主人もそうでしたから。
今までに成功体験をしていないのが、いまいちエンジンがかからないことにつながっている気がします。
得意な英語は3級がとれましたが、すでに準2級を持っているバスケ部員もいますし、先日2級に受かった子もいると耳にしました。
何をやるにしても、可もなく不可もなくで、よく言えば、オールラウンダー。
夏休みも2週間を切っています。
塾を変えて、ほぼ毎日最終時間まで自習室で自習をしています。
行くまでがなかなかで、行ったら行ったでノッてきて最後までいるようです。
どこでどう芽が出るのか、これからの息子を見守りたいと思います。