koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

天地人-第12回「命がけの使者」

2009年03月22日 21時58分11秒 | 天地人

兵糧が無い,とはこれ如何に・・・。
勘定奉行たる樋口父が居たにも関わらず,これは大失態です。
最後の望み,とばかりに,兼続は春日山の裏手の桑取へ向かい,地侍集団の桑取衆を味方にすることで兵糧の確保を図りますが・・・。


しかし,これっていつの設定なんでしょうね・・・。
一応,御館の乱の時系列を追ってみると以下のようになります。


3月  9日 謙信倒れる。 
      13日  謙信卒去
      14日 柿崎晴家暗殺される。
            この間,景勝春日山城の本丸を接収。景虎三の丸へ。
      24日 景勝,後継者たることを公式に発表。
5月  5日 大場(上越市)にて,両軍激突。
      13日  三の丸より景虎退去。上杉憲政館(御館)へ入る。
      17日 景虎春日山を攻める。
      22日    同上


・・・ということは,春日山の兵糧が欠乏したのは,景虎退去以降ということになりますので,桑取の雪解け水はさすがに終わっているということになります。
で,その桑取ですが,現在の上越市大字大渕から増沢にかけてと思われますが,春日山の裏手どころか,頸城の山系の尾根道を分け入った桑取川流域の集落と思われます。
番組後半で紹介されたのを見ると,今なお鄙びた地域のようで,日本の原風景の一つを留めているような雰囲気があります(立派な日帰り温泉施設もあるようで・・・)。
しかし,尾根道歩いて3日というのは,どうなんでしょうね・・・。
私は思わず「走れメロス」を思い出してしまいましたが・・・。
でも,史実かどうかは別として,兼続は初めてまともな仕事をしましたね・・・。


景虎としては,当然実家の北条家を頼ります。
しかし,小田原から越後は遠いので,北条は姻戚関係にある武田を動かそうとします。
勝頼の側近は,長坂釣閑斎か跡部大炊介,と思いきや,高坂弾正昌信でした。
あれ,高坂ってこの時既に死んでいたのでは・・・,と思って調べたら,5月8日に没しています。
今にも倒れそうな状況で,必死に勝頼を諫めて上杉との同盟を強く主張していましたが,北信の海津城に居た筈なのに,病躯を押して甲斐の躑躅ヶ崎館に来ていたということでしょうか・・・。
上記の日に海津城で没していることを考えると,かなりの無理があると思うのですが・・・。


さて,御館の乱はまだまだ終わりません。
北条(きたじょう)高広・景広父子の上州侵攻。
さらには,武田勝頼の信越国境進出。
多分,来週は兼続が武田へ捨て身で乗り込み,勝頼を買収するくだりでしょうが,どのよう美化されているか,ちょっと見物です・・・。


天地人-第11回「御館の乱」

2009年03月15日 22時12分39秒 | 天地人

さて,御館の乱です。
そもそも,謙信には家督を継ぐべく二人の養子がおり,そのいずれを家督にするつもりだったかは確かめようがありません。
後世から見た我々は,勝利者である景勝こそ正統という意識が強くなりすぎるきらいがありますが,果たして当時はどうだったのでしょう・・・。
私なんかは単純に考え,他の大名の血が入った景虎を後継にすると,実家である小田原北条氏の発言力が増すので,ここは姉の子でもあり長尾の血が入った景勝を・・・なんて思っていましたが,そんな簡単なものではないでしょう・・・。


景勝方になったのは,越後国人衆です。
特に大身の直江兼綱とか山吉景長といった謙信の近習や旗本上がりが多く含まれていた模様です。
対する景虎方は,前関東管領上杉憲政が健在でした。
したがって,上杉一族はすべて景虎の味方でしたし,上州を押さえる北条(きたじょう)高広・景広父子勿論,小田原北条一族が後ろ盾ですから,それだけでも優位に立っています。また,甲斐府中(甲府という呼称は江戸期以降でしょう・・・)の武田勝頼,羽州米沢の伊達輝宗(独眼竜の父),同大宝寺の武藤義氏,奥州黒川の蘆名盛氏といった関東・東北の有力大名が加わっていました。


このあたりから推察するに,謙信は景勝に越後を,そして自身の旧名を授けた景虎には関東管領の名跡を継がせようとしていたのでは,という説が現実味を帯びてくるような気がします。
自身の存生中は全く問題の無かったことですが,結果的には罪作りなことをした,という感は否めません。


・・・で,ドラマでしたが,何と斬り込んできた景虎を仙桃院が何とか宥めたものの,退っ引きならない状況に追い詰められた景虎は遂に挙兵を決意。
仙桃院は婿の景虎の元へ身を挺して戦を止めるべく赴き,華姫は景虎のもとを離れぬと決意。
それにしても,あれではどう考えても兼続が御館の乱の元凶となってしまいます・・・。でもって,いつの間にあんなに強くなったんだ・・・。
刀創を振るうことすらできなかった筈なのに・・・。


史実同様,景虎は春日山城の三の丸を退去。
世に言う御館の乱の幕開けとなります。
景虎が陣を張る御館-つまり前関東管領上杉憲政の館-は,自らの正当性を示すものということでしょうが・・・。
そのあたりの説明が皆無なのは???です・・・。
そんでもって,兵糧が無くなりましただと・・・。
勘定奉行親子がそろっていて何をしているんだか・・・。


でもそれ以上にぶっ飛んだのは,播磨の書写山で茶を点てている男・・・。
笹野秀吉と一緒にいるということは,軍師の竹中半兵衛(この頃かろうじて存生していたのでは?)か,黒田官兵衛か・・・と思いきや,明智光秀とは恐れ入りました・・・。
丹波攻略の最中ではないのか・・・。
ま,面白いから良いものの,私が子供の頃敷居が高かった大河ドラマのイメージは木っ端みじんに・・・。


天地人-第10回「二人の養子」

2009年03月08日 21時49分10秒 | 天地人

ようやくストーリーが動き始め,面白くなってきた感がありました。


しかし,何と強い柿崎。
首筋を斬られても,腹を突かれても,泉澤幹久に袈裟懸けにされても数分間は暴れ続けていましたから・・・。
弁慶の立ち往生に匹敵します・・・。
パパイヤ甘糟が,転がりながら槍を避けていたのにはついつい笑ってしまいました・・・。


で,景虎を唆したのは遠山で,先に本丸を押さえさせたのは何と兼続父,という設定にたまげました。
確かに,本丸には金蔵,武器蔵,兵糧蔵があるでしょうし,景勝方が葬儀直後にそこを押さえたのは事実でしょうが,それを敢えて兼続の献策とせず,理財と計数に明るい樋口父高嶋弟(惣右衛門)の発案だったとしたのは,どんなものでしょう・・・。
兼続はこの年数えで19。
微妙なところではあります・・・。
柿崎の暴挙について,景虎を失跡する兼続。
これでは,御舘の乱の原因は兼続,ということになってしまいます。
お船に諭されてようやく気づく兼続。
知将の印象は絶無です・・・。


前後しますが,柿崎は確かにこの時期に横死しています。
・・・ということは,景勝派が柿崎を陥穽に嵌めたとも十二分に考えられます。
だから,謙信の遺言が嘘であることを楯に,柿崎が殴り込みをかけてきたというのはちょっと短絡的に思われます・・・。
むしろ,景勝暗殺を虎視眈々と狙う柿崎を,兼続がヒットマンを放って闇に葬り,死体を景虎方に見せて糾弾した,ぐらいのことは如何に「義」を重んずる家風の上杉家でもあり得た話でしょう・・・。


最後は,自分で景勝が有利な状況を作っておきながら(それも独断で),景勝と景虎を対立させてしまいました,と仙桃院に言い訳する兼続。
そこへ乗り込んで,否斬り込んできた景虎。
 無茶苦茶ですが,次回が楽しみになってきました・・・。


それにしても,謙信はどちらに家督を継がせるつもりだったのでしょう・・・。
今となっては想像するより他はありませんが,そのあたりを御舘の乱ともども述べてみたいと思うのですが・・・。
いかんせん知識不足・考証不足は否めません・・・。
次回,語ることができるのでしょうか・・・。


天地人-第9回「謙信死す」

2009年03月02日 21時05分36秒 | 天地人

いつも視聴した当日にエントリしていたのですが,今回は諸々の事情で1日後になってしまいました。


さて,謙信は厠で倒れたと伝わっていますが,そうなるといくらなんでも格好が悪いので琵琶を弾じて,好きな酒を飲みつつ・・・ということになったのでしょう。
謙信の最期には諸説があって,飲み過ぎと塩分の獲り過ぎ(梅干しが酒肴だった)による脳卒中というのが定説のようですが,厠の下に隠れていた信長が放った刺客に刺された,とか,信長にヒ素を盛られて毒殺とか,婦人病(女人説有り)とか,いろいろと言われています。
倒れたのが3月9日で,4日間昏睡した後に薨去した訳で,その間意識を回復することは無かったとされています。
ですから,勿論
「かねつぐ・・・」
と呼んだのは創作になるでしょうし,
「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」
「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」
といった辞世の句も,以前に詠んでいたか後世の創作ではないでしょうか・・・(なかなか味わいのある句のような気もしますが・・・)。


いずれにしても謙信の頓死は,上杉家を大混乱に陥れます。
何よりも家督が決まっていません。
景勝方(明椿尼と仙桃院)が枕元にいたので,
「景勝を世継ぎに」
と,謙信が遺言したという嘘を咄嗟に言ったのでしょうが,それを兼続にまで知らせるとは,どういうことでしょう・・・。
数えで19の若造が,如何にお気に入りとはいえ,謙信の枕元に居るのも???です。
二度と泣かぬ,と言った兼続ですが,さすがに師匠でもある謙信の死には動じないわけにはいなかかったようです・・・。


でもって,突然殴り込んできた柿崎。
景虎派と目されていた柿崎は,この時期に暗殺されたことになっていますので,帳尻を合わせるために登場させたように思われてなりません。
これが御舘の乱の端緒となるのですが,いよいよ来週は景勝vs景虎となるのでしょう。
最初に景勝が春日山城(あのCG合成はどう見ても変です)の本丸を押さえ三の丸の景虎に対したのですが,そのあたりがどう描かれるか楽しみです・・・。


天地人-第8回「謙信の遺言」

2009年02月22日 19時37分36秒 | 天地人

いきなり手取川から始まってしまいましたね。
TVを付けた状態で,珍しく食事の支度など手伝ったのが仇となり,いつの間にやらチャンネルが地上波アナログに切り替わっており,冒頭とタイトルバックを見逃しました・・・。


今回も飽きずに楽しく見ることができましたが,やはり突っ込みどころ満載でした。
手取川の戦いは,以前も述べましたようにその真偽すら定かでない訳ですが,上杉の視点で描くと必然的に圧倒的大勝となるのはやむを得ないと思うのですが,織田軍3万とは大仰すぎます。
信長の本隊3万は,はるか後方に居たと思われますし,前線にいた柴田勝家勢は1万8千と言われますが,秀吉の出兵拒否もあってもっと少なかったと思われます(秀吉はこれで信長の勘気に触れ,長浜城に蟄居して,どんちゃん騒ぎをします)。
さらに,織田軍(というか柴田勢)が手取川を渡河した時点で,七尾城の落城と謙信が松任城入城の報が入り,慌てて柴田が退却命令を出したところに上杉軍が襲いかかり,散々に打ち破ったとされています。
ですから,織田vs上杉の一大決戦が行われ,寡兵の上杉が神技的な戦法で織田の大軍を散々に破ったというものではなく,飽くまでも局地戦に過ぎず大局を決するものではなかったと思われます。
だいたい雨の中増水した川を渡河したら鉄砲が役に立たないことぐらい,歴戦の柴田は承知の筈です。
もし手取川の戦いが実際に行われたとしたら,やはり情報戦で織田方が遅れをとり,七尾落城と謙信の松任城着陣を知らずに渡河させてしまったということではないでしょうか・・・。
でもって,上杉勢が追撃しないのも当然です。
謙信は中原に興味は無く,飽くまでも関東を欲した訳ですから・・・。
さらに,上述の通り蟄居している筈の秀吉が,信長に面と向かって意見を述べているのも明らかに考証不足です。


蟄居と言えば,蟄居を解かれ春日山城へ出仕のかなった兼続ですが,春日山の上田衆からは歓呼をもって迎えられていました。
しかし,良かったね,と素直に喜べないのが天の邪鬼な私。
何で兼続があのように人望があるのか,今までの中身からは全く解せません。
おまけに弟与七まで連れて行って仕官させる・・・。
そんなにうまくいくものでしょうか・・・。
さらには,倒れる寸前の御屋形様にこれ以上もないような賛辞をいただくし・・・。
否,謙信の薫陶を受け,さらには寵童説まで出るほどのお気に入りであったのは事実と思われますが,やはり今までの内容からは,,残念ながら兼続の優れた資質は見えてきません・・・。


阿部謙信,楽琵琶弾きながら倒れていました・・・。
さすがに厠で倒れたとはできなかったということでしょうか(下から信長の諜者に刺されたという説もあり),来週で見納めとは残念です。
突っ込みどころ満載の今年の大河ですが,阿部謙信と吉川晃司の信長は予想外に(失礼!!)良かったことは特筆ものです。
再来週あたりから御楯の乱になるのでしょうか。
実質的な兼続初陣となるでしょうから,そこからの活躍とストーリーの動きに注目していきたいと思います・・・。


天地人-第7回「母の願い」

2009年02月15日 20時19分56秒 | 天地人

今日も6時から見ました。
七尾城攻防戦の最中に,関東の不穏な形勢を告げられる謙信。
七尾城からあっさり離れて,関東に向かことを告げますが,景虎は猛反対。
まずは織田を蹴散らしてから,関東へ向かうことを進言するも聞き入れられません。
実家である小田原北条氏の動きに対し,実に複雑な立場にあるだけに,関東出兵にあっさり賛成する筈ありません。
あっという間に関東を抑え,能登に帰陣する謙信。
TVは便利です・・・。


しかし,この時期,謙信は関東に兵を出しているのでしょうか・・・。
天正5年3月に,北条氏政は確かに上野に兵を出しているので,おそらく春日山に帰って,上田衆等,上越国境の諸氏に命じて北条を牽制させることぐらいはしたと思われますが・・・。
でもって,七尾城攻めの敵は・・・。
あれでは,誰もが織田勢が七尾城に籠もっているように思うのではないでしょうか。
辛うじて,本編終了後の「天地人紀行」において,能登守護畠山氏という解説が為されましたが,この時の七尾城主は前年に急死した畠山義隆の子である畠山春王丸でした。
尤も,実権は家臣の長続連が握っており,城内で流行った疫病で春王丸が死ぬと,内部からの裏切りによって落城。
長一族は,信長への援軍要請で城を出た続連長子連龍以外は,殆ど落城に際して命を落とします。
この七尾落城に際して,謙信が詠んだのが有名な「十三夜」(月下の陣)です。


「霜滿軍營秋氣 数行過雁月三更 越山併得能州景 遮莫家郷憶遠征 」
 霜は軍営に満ちて秋気清し 数行(すうこう)の過雁(かがん)月三更(つきさんこう) 越山併せ得たり能州の景 さもあらばあれ家郷の遠征を憶(おも)うを


というものです。
この場面は入れて欲しかったと思いました・・・。


さて,今回も兼続から話が逸れました・・・(汗)。
上田の荘に蟄居させられた兼続は,雲洞庵に籠もりますが,どうも心静かに・・・という訳にはいかぬようです・・・。
北高全祝の言にも耳を貸さぬようですし,母危篤の報にも最初は動きませんでした。
結局,全祝和尚の言を聞き入れて,今際の際には辛うじて間に合いますが,母の最後の言葉は聞くことができず,悔いを残してしまいます。
そして四十九日の法要の日。
久々に会ったお船とのやりとりと,母の幻影を見たことで吹っ切れた様子です。
今までしょっちゅう泣いてばかり居た訳ですが,これを機に柔弱ではなくなるのでしょうか・・・。
直江兼続というと男臭い武将を勝手に想像していましたが,果たしてどうなっていくのでしょう・・・。


次回は遂に謙信が倒れるのでしょうか・・・。
あのごつい阿部謙信も間もなく見られなくなると思うと残念です。
残念と言えば,直江景綱もあっさり居なくなってしまいました。
御館に杯を賜っていたので,飲んで大丈夫なんか・・・と思っていたら,3日の後・・・ということでした・・・。
宍戸錠を大河ドラマで見たのは,73年の「国盗り物語」での柴田勝家役でしたが,こうした猛将・豪将といったごつい役の似合いますね。
また,猶子となった山下真司を見て,時の移ろいを感じました・・・(自分もだろ)


・・・ということで,今回も楽しませていただきましたが,どうもホームドラマ的な感じは否めません。
御舘の乱あたりから緊張感が出てくるのでしょうか・・・。
願わくは,原作からかなり乖離しながらも,最後まで飽きさせなかった一昨年の「風林火山」のようであって欲しいのですが・・・。


天地人-第6回「いざ,初陣」

2009年02月08日 21時01分31秒 | 天地人

のっけから恐縮ですが,題名の兼続初陣は本当に織田勢との戦さだったのでしょうか・・・。
だいたい手取川の戦い自体が実際に有ったかどうか疑問視されています。
柴田勝家をはじめとする織田勢の主立った武将に,戦死者が居ないこともそのことに拍車をかけます。
おそらく勝家には,与力として前田利家と佐々成正が付けられていたと思いますが,上杉軍の圧勝と聞くこの戦いで織田勢の戦死者が伝わっていないのも不可解です。
世に多い上杉ファン(=信長嫌い)は手取川の戦いは有ったと信じたいでしょうが,どうしても疑問符が付きます。


話が兼続から逸れました。
謙信による七尾城攻略は天正4(1576)から翌年に渡りますが,手取川の戦いは七尾城落城の時期である天正5年9月と言われています。
今日の放送では,越中に攻め入り織田軍を蹴散らし,加賀から能登へという設定のようでした。
当然のことながら,能登の七尾城へ向かうには越中を通るわけですが,いきなり織田勢と遭遇して・・・というのもどんなものでしょう。
出てきた織田勢は木瓜の紋所の旗印でしたが,百歩譲って仮に織田勢が越中に居たとしても,柴田勢(もしくは前田・佐々勢)だった筈です。
したがって,木瓜の紋所を付けていたかどうか甚だ疑問です。
遡ること2年の元亀3(1872)年,一向一揆平定のため謙信は越中に出陣していますが,この時神保・椎名といった地侍たちは謙信に対抗しています。
思うに,この時期の越中・加賀は織田と上杉の緩衝地帯というか,双方が隙あらば狙っているような場所だったのではないでしょうか・・・。
上杉贔屓としては,何としても「義に反する信長を討つ」と謙信に言わしめたいのでしょうが,謙信にとって欲しいのは京都ではなく,あくまでも関東だった筈ですし・・・。


・・・と,どうしても兼続に話題がいきません(汗)
つまり,この時期の兼続は,はっきり言って何もしていない,というか歴史の表舞台には全く登場しておらず,つまり初陣もまだだったのではないでしょうか・・・。
言ってしまえば,兼続の初陣は,謙信没後の所謂「御館の乱」ではなかったのでしょうか・・・。
つまりこの2年ごということで・・・。
それにしても,兼続弱すぎです・・・。
敵を討てるかどうか,という葛藤は間違いなく有ると思うのですが,山中(石動から倶利伽羅峠にかけてでしょうか)での遭遇戦とはいえ,騎乗しない甲冑武者同士の白兵戦が有ったのでしょう・・・。
足軽も居たようではありましたが・・・。
ま,逆に言えば,この極めて柔弱で軽い兼続が,蟄居・閉門を経て,さらには御館の乱によって立派な軍師となっていく過程が描かれると良いのですが・・・。
前回の視聴率は24.7%。
スマスマは勿論サザエさんをも凌ぐ好調ぶりを維持していますが,果たしてどこまで続くか,見物ではあります・・・。


天地人-第5回「信長は鬼か」

2009年02月01日 19時29分41秒 | 天地人

今日もBS-Hiで視聴。
ですから,こんな刻限にエントリができる訳です。


何と饒舌な信長様。
余程兼続が気に入ったということでしょう。
しかし,兼続はこの当時数えで15です。
使者であったら末席でしょうから,当然信長の御前になど出られる筈はありません。
ま,おねいさんの手引きで・・・ということでしょうが,あり得る話ではないでしょう・・・。
でもって,斬れと秀吉に命ずる信長。
助ける佐吉。
めでたく関ヶ原への伏線が形成・・・と,出来すぎた展開。
それに,堺の豪商の娘という設定(実は真田昌幸の娘)のおねいさんに佐吉はタメ口きいている・・・。
よく分からんぞ・・・と思ったのは私だけでしょうか・・・。
(信長様の絶対の命令を秀吉はどう取り繕ったのでしょう・・・??)


春日山の御屋形様は,深い悩みを抱えて毘沙門堂にて飲んでばかり。
何せ毘沙門天に誓って女色を断つ,という常人ならざる方ですから,その心中は誰にも推測できません。
お側に仕えるお悠が実に哀れですが,ん・・・待てよ,女人を近づけぬ謙信の傍に何故居るんだ・・・,とあらぬ突っ込みをしてしまいます・・・。
この謙信のピューリタンぶりをどう捉えるかが古来意見の分かれるところでしょうが,海音寺潮五郎原作(そして昭和44年の大河ドラマである)「天と地と」では,女人を愛すことの出来る人間として描かれていました・・・。
男としての最大の楽しみ(退場!!)を自ら封印するとは並大抵のことではないので(私なんか当然無理,というかそんなこと微塵も考えたことすらありません・・・笑),女性説とか男性機能欠損説(厩橋城を攻めた際に,局部に矢を受けたからとか・・・)とかいろいろと有るのでしょう・・・。
勿論,世に多い上杉贔屓の方々はそんなこと信じないでしょうが・・・。


そして,いよいよ兼続の初陣が迫ります。
一人悩んだ御屋形様は,信長を討つことに心を決めます。
軍神とも言うべき御屋形様を前にした評定の席で,今こそ武田を討つべし・・・とか,信長許すまじ・・・とはならんような気がするのですが・・・。
出陣を見守る留守居の人々は,抜き身の刀を手に勝ち鬨を上げますが,はっきり言って密集していて危険です。
しかも,明らかに竹光と分かる刀でしたし・・・。


うーん,次回は戦なので少しは変化に富んだ展開となりそうですが,脚本と演出何とかならんでしょうか・・・。
キャストの演技が良いので面白いことは面白いのですが,頼むから「功名が辻」みたいにならないでもらいたいです・・・。


織田対上杉というと,七尾城攻防戦と手取川の戦いでしょうか・・・。
手取川の一戦についてはいろいろ有るようですが,いずれその段になったら述べてみます・・・。


しかし,あのOPのタイトルバックは見事です。
実写映像をバックに,必要最低限のCG。
フルCGだった「篤姫」や「功名が辻」とは大違いで,一昨年の「風林火山」同様,実写メインがやはり良いです。
ただ,兼続が「愛」の旗を背負っているのだけは,ご勘弁願いたいですが・・・。


天地人-第4回「年上の女」

2009年01月25日 19時55分02秒 | 天地人

視聴率好調で,三週連続で20%超えということですが,果たしてどこまで続くのか疑問になってきました。
妻夫木くんで人気取れるのかという疑問と,そろそろホームドラマ的な進行に??と思うことが多くなってきたからです・・・。
現時点で新潟,やがて会津・置賜ローカルヒーローというのも地味です。
同様の作品は,過去に「炎立つ」(ほぼ奥州限定)「花の乱」(ほぼ京都限定),「毛利元就」(広島・山口限定)等,幾つかありましたが,いずれも視聴率が取れずに終わったきらいがあります(勿論,作品の価値と比例するものではありません)。


しかしあの2人,妻夫木君にしても常盤貴子嬢にしても,実年齢÷2という役どころなのはちょっと無理があるのでは・・・と思ってしまいます・・・。
「そなたに女はまだ早い・・・」
って言われてもなぁ・・・・・。
当時は,多分悪い仲間によって悪いところ(否,楽しいところと言うべきでしょう・・・笑)に連れて行かれて・・・というのがパターンでしょうから,おねいさんに言われても,ふざけるな,と一喝するのがせいぜいでしょうか・・・。
それに,府中まで馬首を並べて・・・とは現代のツーリングでしょうが,当時お堅い御屋形様の国でそのようなことが出来たでしょうか・・・。
でもって,都合良く降る雨。
都合良く有る廃屋。
都合良く鳴る雷(尤も,何も起こる筈ありませんが・・・)。
ベタベタな展開に,さすがに眠くなりました・・・。
あの砂浜は,ご当地の柿崎海岸でしょうか・・・。
鉛色の日本海,というイメージを見事に出していました。
天気がよいと,海の色はずっと明るいのですけどね・・・。


長澤まさみ嬢が着ていた南蛮服は,ポルトガルの礼服とのこと。
洛中洛外図屏風を持ってきた信長の使者,という設定も何をか況んや・・・という感じです。
で,真田昌幸の娘という設定なのだから,無理がありありです。
多分兄に当たる幸村(正しくは信繁)は兼続と同年配ですから,10代で信長の使者に大抜擢・・・なんて,あり得ることではないでしょう・・・。


ま,いつも以上に突っ込んでしまいましたが,どうも不謹慎とは思いつつも,戦がないと萌えませんね・・・。
その点,一昨年の「風林火山」は程良い緊張感があって退屈しませんでした。
脚本・演出の差でしょうか・・・。


因みに,前述の洛中洛外図(今一方はこちら)ですが,狩野永徳作という国宝の上杉本を10年前に米沢で見ています。
あの当時は,米沢開府400年を目前にして第一次直江ブームとも言うべき盛り上がりを呈していましたが,その後縁あって米沢には幾度か泊まりで足を運んでいます。
そのあたりのことも,いずれ機会を見て述べることが出来たら・・・と思います。


天地人-第3回「殿の初恋」

2009年01月18日 20時46分50秒 | 天地人

題名見て,
「う゛,例によって軽いノリの色恋の話か・・・」
と,正直言って見る前から引き気味だつたのは確かだったのですが・・・。


えーと,朴念仁景勝と大きなお世話様兼続のお話でした・・・。
景虎様はさすが関東の大大名の御曹司(後北条は一応平氏だから,御曹司ではなく公達か・・・) で,舞も達者でギャル人気も抜群なのに対して,景勝くんは晩熟で芸事にも興味がないせいか,春日山城の奥御殿ではかなり分が悪いようでございます。
それを救わんと,お節介者の兼続が走り回る・・・。
とにかく,思い切り笑わせてもらいました。
毘沙門天の一字を旗印とする武門の上杉家が,こんなで良いのか・・・,とついつい突っ込みます。
何か,来週は南蛮服を着た長澤まさみ嬢が出て来るようですし,そちに女はまだ早い,とか兼続が言われているようだし,一体どうなるのでございましょう・・。


しかし,終わりの「天地人紀行」で言っていましたが,兼続の養父たる直江実綱の領地は長岡市矢板にあったということでした。
私なんか単純に地名を拾って,直江は上越市(直江津というくらいだし),柿崎はその隣あたりが領地と思っていました・・・。
やはり,上杉家のことをもっと勉強しなければなりません・・・。


妻夫木くんと幹久くんが妻女山から逃げ帰り,高坂弾正が妻女山に居たのは,信玄が死んだから,と御屋形様に言っておりましたが,高坂は上洛戦に従軍せず最前線たる海津城を守っていたわけですし(勘助亡き後),信玄が死んだことを数えで14のがきんちょが気付く筈もございません・・・。
で,妻夫木くんより幹久くんのほうが,ああした軽い役は上手いようで・・・。
阿部御屋形様は,出家しても凄みがあって○ですね。
安座して琵琶鳴らしてましたし・・・(開放弦でアルペジオ弾く奏法って有るのだろうか),首からストラップで提げていたがっくんとは大違いです。
常盤貴子嬢を初めて見たのは,多分15年前の「悪魔のKISS」だったと思います。
例の(??)お宝映像のやつですが,あれから15年たって今回の役柄は,あの変な髪型同様ちょい無理があるんでは・・・とついつい思ってしまいました。
で,寡黙な若殿が惚れてしまうとは・・・。
妙に気を回して仲を取り持とうと画策して玉砕する兼続・・・と,一体何なんだ・・・。


すぐ泣くし大はしゃぎするし,どうも現時点では妻夫木君の兼続に感情移入できないでいます・・・。
ま,周囲を固める上田衆や春日山衆の大ヴェテラン陣が,ドラマを締まったものにしているのが救いです。
とにかく宍戸錠の直江実綱は極渋で,格好良い限りです・・・。


・・・でもって,先週ストーリーブック(上)買ってしまいました。
一昨年の「風林火山」以来ですが(「功名が辻」の(下)はついぞ買わなかった・・・),今から読んでみることにします・・・。


天地人-第2回「泣き虫与六」

2009年01月11日 22時54分10秒 | 天地人

今回も6時から,リアルで見ました。
一応地上波の録画もしてありますが,録り貯めた結果,昨年の「篤姫」のように見るのが面倒になって・・・ということにならないようにというのが最大の理由ですが,この時間帯だと子どもを寝せるのに影響がない,というのも大きいです。
5時からTBS系の「ガンダム00」見て,30分で夕食を平らげ,TVの入力を切り替えていざ視聴・・・。


いやー,子役二人上手いですね。
与六も喜平次も・・・。
あとの数人は大根ぽいですが・・・。
しかし,あんな雪の中出奔したら,4歳児は間違いなく凍死しますって・・・(しかも夕食抜きで)。
雲洞庵から坂戸城下まで約3km。
与六と同い年のうちの下の子が,保育所から帰って来る距離ですが,絶対道分からないし,街路灯もない深夜になど歩ける筈ございません。
北高全祝もお母上も,児童虐待になってしまいます。
その中を迎えに行く喜平次は立派ですが,一体どうして与六を気に入ったのか不明です(前回,果敢に立ち向かってきたからでしょうか・・・。握り飯まで用意して・・・)。
で,何で喜平次は与六の家が分かったのでしょう・・・。
私が突っ込む前に,相方が突っ込み入れてました・・・。
あと,仙桃院ですが,神出鬼没でございます。
魚沼の坂戸から頸城の春日山まで,昨日私が書いた上越ハイウェイを爆走して帰ったのでしょうか・・・。
ごつい弟とあんなに仲良しで宜しいのでしょうか・・・。
さっぱり出家している雰囲気無いし・・・。
それに,フルCGの春日山城が,殆ど海岸にありましたね。
一瞬,越前金ヶ崎城かと思いました・・・。
そこに集う上杉家重臣たちは,直江(宍戸錠は相変わらずごつくて◎。一昨年の武田の次は上杉とは・・・)を筆頭に,柿崎にせよ北条にせよ,ガラが悪くて(失礼!!)ワイルドで良いとは思うものの,何か山賊の集まりに見えてしまいました。
で,雪に埋もれると飲むしか無いのか・・・。
あれに,あのヘアスタイルのままパパイヤ甘糟が加わると,一体どうなるのでしょう・・・。
酒持って現れたおねいさんに不埒な行動に出とりましたが,清廉潔白な御屋形が見たら激怒することでしょう・・・。
ガラが悪いと言えば弟与七。
腹這いで干菓子をなめなめするか,武士の子が・・・。
あれじゃリラックマだ・・・(笑)


・・・と突っ込み入れていたら,何と一気に9年たってしまいました。
あれで14歳とは妻夫木君,かなり無理があると思うのですが・・・。
で,善光寺平と海津城を一望する妻女山に突如現れる高坂弾正。
あの赤備えは,83年の「徳川家康」85年の「真田太平記」からの使い回しでしょうか・・・。
だいたい妻女山にあの風体の二人が居たら,明らかに間者でしょうから,即逮捕です。
でもって,春日山まで長駆逃げ帰る(ま,これは可能か)。
武田が一大事,とは何なんだろう・・・。
信玄上洛のことだろうか・・・(確かに高坂は海津を固めていた)。
三方ヶ原で云々と言っていたから,確かに天正元(1573)年の暮れのことですが,フルCGの武田軍は山間を縫うように行軍しとりました。
三方ヶ原の後,武田軍は三河に侵入して設楽郡の野田城を囲むわけですから,あれは吉田(豊橋)をバイパスして,宇利峠を越えて三河に侵入する様子なのでしょうかね。
それ以前だと,浜名湖北岸を行軍しているはずだから,台地の筈・・・,とまた仕様もない突っ込みを入れたりして・・・。


どうも,今回は突っ込みどころ満載でした。
大河ドラマを見ている感じが全くせず,朝の連ドラ見ているような気がしたのは,小松脚本によるものでしょうか・・・。
不謹慎と思いつつも,どうも戦がないと締まらない感じがします・・・。
次回に期待ですが,今度はお船が登場して恋愛ものとなりそうな感じです。
ま,面白ければ良いのですけど,3年前の「功名が辻」のように,原作から大きく逸脱して,強引に主人公を史実に絡めるようなことだけはしないで欲しいものです・・・。


さて,あの格好いいタイトルバックをもう一回見てから寝ることにします・・・。


「天地人」根多二題

2009年01月10日 21時36分10秒 | 天地人

一昨日,越後の民さんから寄せられた情報を元に,昨日はずっと地図と首っ引きだった。
とにかく面白かったのは,こちらのサイトである。
管理人さんは,十日町で中華料理店を経営されておられるとのことだが,足繁く郷土の史跡を巡られているらしく,その内容が大変興味深かった。


まず,以前もちらりと採り上げたことのある宇佐美定満・長尾政景溺死事件に関して。
「天地人」第一回でもちらりと出て,政景の腹に刺し傷が・・・となっていたのだか,その現場である野尻池がどこなのか,未だに謎である。
越後の民さんによる分析だと,最も信憑性が高いのが越後湯沢にある大源太湖では・・・ということだったが,上記サイトの管理人さんもその説を採用しておられる。
政景の坂戸城が六日町にあったのに対し,定満の居城琵琶島城は一昨年の「風林火山紀行」(番組終わりの短いやつ)でも紹介されたように,日本海沿岸の柏崎市にある。
私はてっきり,北信の野尻湖で・・・と最初に読んだ文献のものを鵜呑みにしていたが,柏崎や六日町から離れすぎているので(確かに当時は上杉領だろうが),必然性に乏しいと言わざるを得まい。
野尻湖に琵琶島なる島が有り,そこに定満の墓があるらしいが,どうもできすぎている,というより眉唾くさい。
かといって,坂戸城の堀で・・・というのも,いくらなんでも大の大人が2人とも溺死,も???である。
そうなると,やはり大源太湖が・・・と思われるのだが,地図を見ているうちに,これって大源太山に源を発する大源太川を堰き止めた,所謂堰止め湖というやつでは・・・と思って調べると,やはり昭和14年建造の日本初のアーチ式ダムだった・・・。
・・・ということは,大源太湖は当時存在しなかった・・・。
ところが,こちらを読むと,現在の大源太湖の場所に以前野尻池があり,土砂崩れで埋まってしまい,その後に大源太湖ができた,ということらしい。
・・・となると,やはり大源太湖で・・・というのが正しいのだろうか・・・。
ただ,坂戸城のある六日町から,越後湯沢にある大源太湖までは,40km程の距離があり,ちょいと遠いような気もするのだが・・・。
しかし,大源太という名前も,その由来を知りたくなる。
山容からか上越のマッターホルンの異名をとる大源太山が大源太川と大源太湖の元だろうが,どんな伝承があるのだろう・・・。
源太とは,鎌倉悪源太義平から分かるように,源氏の長男という意味なのだが・・・。
魚沼地方は,平安末期から上州新田氏の一族(大井田,鳥山といった里見氏の一族)が入植し,「太平記」の時代には一大拠点ともなっていた。
だから,もしそのあたりが由来としたら面白いのだが・・・(こちらを見ると,かなり地元ではメジャーなスポットらしい)。


続いて興味深かったのは,「謙信棒道」である。
甲斐府中から信州の佐久・小県・諏訪方面への移動距離短縮のために作られた(甲府という呼称は当時無いと思う)武田の棒道は有名だが,上杉にも同様のものがあるとは知らなかった。
謙信は,関東へ都合15回も出兵しているそうたが,関東管領の名跡に拘ったり,小田原城を囲んだ際に鎌倉へ立ち寄ったり,関東の広大な平野を最も欲したのだろう。(故に,天正6年に急逝した際集めた大軍は,信長を討つためではなく,関東出兵だったと思われる。ファンは信長征伐と思いたいのだろうが・・・)
基本的に,居城春日山城から三国峠を越えて上州へ出るには(以下数字は国道の番号),春日山(18)-柏崎(291)-小千谷(17)-南魚沼というのが正規ルートだそうだが(数字は国道),一度日本海へ出ずに春日山から東進して(403)安塚-松代(まつしろではなく,まつだい)(253)-薬師峠-鐙坂といったルートで頸城から魚沼に入り(つまり北越急行とほぼ同じルート),信濃川を渡ったところが,坂戸長尾氏が支配したと思われる琵琶懸城である。
そこから羽根川に沿って栃窪峠を越えると六日町をバイパスして越後塩沢に至る。
現在のシャトー塩沢スキー場の真ん中を南魚沼平野に下りてくる形となり,後はそのまま南下して(17)三国峠を越えると上州,つまり関東へ出るということである。
頸城の春日山から南魚沼の塩沢まで,ほぼ一直線の見事なショートカットコースである。現代の北越急行線は,謙信の上越ハイウェイの踏襲ということになる・・・。
しかし,ということは,関東遠征時の謙信は,六日町の坂戸城には寄らなかったということだろうか・・・。
或いは,明日は三国越えで明日は関東,という時に,湯沢の湯に入ったのだろうか・・・。


いずれにしても,新たな発見があるというのは嬉しいものである。
それが,地元の方によってもたらされたことに大きな喜びを感じる。
明日の「天地人」が今から待たれてならない・・・。


天地人-第1回「五歳の家臣」

2009年01月04日 21時12分19秒 | 天地人

8時からのNHK総合の放送を待ちきれず,6時からのハイビジョンを見てしまいました。尤も,ケーブルTV経由なので,地デジよりBSの方が画質が劣るという困った現象が起きており,アンテナを上げなくてはならないのですが・・・。


一昨年の「風林火山」より何十年か後の話となるのですが,実は直江兼続に関しても上杉家に関しても,「風林火山」の武田家臣団以上に関心外であり,予備知識も殆ど無く(勿論原作も未読),一体どれぐらい付いていけるか皆目見当が付きません。
兼続に関して知っていることは,上杉景勝の家老・軍師で,謙信二十六将の一人である直江景綱の名跡を継いだこと,旧姓が樋口であるから源平の争乱期に木曾義仲の四天王の一人である樋口次郎兼光の子孫ではないかということ,石田三成家臣島左近と共謀して南北呼応によって関ヶ原の役を起こした張本人の一人であること(どうも本作では三成との共謀のようで,左近は出ないようですが)と家康に突き付けた「直江状」を書いたこと,そして米沢の町割をした人,ということぐらいしか知りません。
私は,兼続は謙信の寵童であったという司馬遼太郎の作品に載っていた説を信じていたのですが,上杉贔屓(=信長アンチ)によると,とんでもない嘘だそうで,謙信は男にも女にも興味のない清廉潔白な男ということらしいです・・・。
因みに,戦国三大軍師の一人だそうです。
三大軍師とはてっきり,山本勘助・竹中重治(半兵衛)・黒田孝高(官兵衛・如水)のことと思ったら,何でも直江兼続・小早川隆景・島勝猛(左近)のこと,と上杉贔屓のやつから聞いた記憶があります・・・。


考えてみたら,新潟という地域は東北のすぐ隣であるにもかかわらず,私にとってあまり縁のない地域です。
仕事で1回新潟市に行った他は,妙高高原(春日山のすぐ南)に一度,佐渡に一度行っただけで,未だに上越新幹線すら未乗です(上越本線は夜行に乗った)。
そして,秀吉時代の上杉氏は会津に,関ヶ原以降は米沢に移りますが,私は伊達領内に育ったからなのかどうか(生まれは秀吉時代の上杉領内らしいですが),上杉家に関しても米沢に関しても,全くの関心外で来ました。


ただ,10年前に改めて米沢の町を歩いた際(例の「愛」の前立ての兼続の甲冑のある米沢城跡の稽照殿も見ました),米沢開府400ねんを控えて,街が上杉+兼続一色だったことが思い出されます。
その稽照殿や上杉神社のある城跡には謙信の銅像もあり,街興しに上杉は重要な資源となっていることを改めて感じました。
その後数回にわたって米沢を訪れていますので,そのあたりは,いずれ機会をみて述べてみたいと思います。


さて,番組ですが,永禄7(1564)年,坂戸長尾氏の本拠である坂戸城で当主長尾政景が変死したところから始まります。
プロローグで,秀吉が景勝の前で兼続をヘッドハンティングするエピソードが語られますが(砂金が籾殻に見えた),果たしてこれが後に生きるのかどうか甚だ疑問です。
三成との関係を改めて示しておく伏線なのでしょうか・・・。
笹野高史の秀吉は,本人が述べていたように容貌だけでも◎ですね。
富司純子の北政所は恰幅有りすぎで怖いです・・・(失礼)。
話を戻すと,長尾政景の変死ですが,今尚謎だそうですね。
当時の謙信(もとい輝虎)の軍師であった宇佐美定満(一昨年は故緒形拳が老獪に演じていました)とともに,北信の野尻湖で溺死したと思っていたところ,今回の設定は坂戸で死んだことになっていました。
確かに,坂戸城近くの野尻池で溺死したという説もあるらしく,一体どちらなのか,変死の真相同様不明のようです。
一度春日山長尾家(つまり謙信)に逆らった政景を宇佐美が身を挺して屠った,という説と輝虎の指令による謀殺説も有るようですが,今回は「父の仇!!」と斬りかかる喜平次を躱す(素手で刃を受けて流血してましたが)ということで,それ以上は触れていないのは本流から離れるからでしょう。
阿部寛の謙信もとい輝虎は,なかなかごつくて良かったですね。
正義の武将・・・というよりは悪人面で(失礼!!),信長役でも良かったかもしれません・・・。
一昨年のがっくんとはえらい違いです・・・。
意外や意外,吉川晃司の信長も良かったです。
そして,何よりもヴェテラン揃いの上田衆や上杉家臣団も見応えがありました。
特に,直江景綱役の宍戸錠に北高全祝役の加藤武は,さすがの存在感を示していました。
尤も,永禄年間に北高全祝は,甲斐の武田信玄の求めで信濃に居たと思われるのですが・・・。
また,夫政景を亡くした仙桃院は,弟輝虎の春日山城に移って尼となった,とありましたが,髪下ろしていないし(短く切ってはいましたが) ,いつの間にやら上田の樋口家に現れるし,輝虎も春日山に喜平次を引き取って狩りに連れ出した,と思ったら,坂戸の寺に与六と一緒に喜平次を送り込んでいるし,そのあたりがはっきりしませんでした・・・。高嶋弟は相変わらずでしたね・・・。
兄は悪役もできそうですが,弟は「いい人」役しかできないような気がします。
何か「ゴジラ」で主役をやった時から変わっていないような気がするのは私だけでしょうか・・・。
子役はいずれも上手でしたが(喜平次近習に大根が居たようでした),優しい両親-暖かい家庭→寺で修行-乱世の荒波,といった構図が見え見えだったような気がします。
次回はもう妻夫木くん登場のようですが,「いい人」ぶりばかりが際立つようなキャラクターにはして欲しくない,と個人的に思います・・・。


タイトルバックにあったのは(妻夫木くんが立っていた),魚沼地方を代表する八海山でしょうか。
八海山というと,ついつい越後杜氏の銘酒を思い出します(笑)。
ただ,4年前の地震で被害が大きかったのもあの地域と思うと,今回の作品が街興しに一役買って欲しいと思います・・・。
地図を見ると,かつての六日町は南魚沼市となってしまっていました。
坂戸城の位置を確かめ,上田という地名を拾うまでは良かったのですが,野尻池とはどこなのかはっきりしませんでした・・・。


タイトルバックに流れるテーマは,遂に大河抜擢となった大島ミチルの手になるものです。
とにかくオケを重厚に鳴らす手腕は,この人の右に出る作曲家は居ないのでは,と「ゴジラ」や「鋼の錬金術師」等を聴いて,常々思ってきました。
暗色系のメロディが効果的で,各種楽器の特徴を十分知り尽くした練達の書法で,今回も感心させられました。
昨年,千住明による「風林火山」のサントラCDを買ってしまいましたが,今回も買ってしまいそうです・・・。


・・・で最後に,大坂城の石垣のシーンは熊本城ですし,坂戸城のシーンは例のえさし藤原の郷の経清館と河崎柵のようです。
それにしても,逆茂木を一刀で切り倒すとは,如何に輝虎様とて無理ではないでしょうか・・・。
縛った縄を切るだけなら分かるんですけど・・・。
あと,兼続の兜の「愛」の文字ですが,あれは,愛染明王か愛宕権現からとったものではないでしょうか。
仁愛の愛ではないような気がするのですが・・・。
師たる謙信の旗印も,毘沙門天の「毘」ですし・・・。


・・・ということで,第一回から無用な突っ込みを入れてしまいました・・・。
ま,そのぶん期待もしているということで・・・。
視聴率でどれぐら「篤姫」に迫れるかも興味の湧くところです・・・。