昭和61(1986)年7月1日,全国有数の赤字ローカル線であった宮城県の丸森線(槻木-丸森間17.4km)を受けて,第三セクターである阿武隈急行株式会社が営業を開始。
旧国鉄から引き継いだキハ22型気動車が暫定的に運用された。
本格的開業は,その丁度2年後の昭和63(1988)年7月1日,つまり今日から20年前となる。
長年の懸案であった丸森-福島間が開通。
全線電化され,東北本線の東方,宮城県伊具郡から福島県伊達郡を結ぶ希有の地方交通線の開通となった。
本来,輸送は東北本線が担ってきたのであるが,福島市のある信夫盆地から,県境を越えて白石盆地へ至るには,急勾配の国見峠を越えなくてはならない。
したがって,昭和30年代までは北東北へ向かう優等列車は,常磐線を経由していた。
上野-青森間の代表的な特急列車とも言うべき「はつかり」は,当時DC特急で(ボンネット型のキハ80)で,常磐線を経由していたのだ(583系しか見ていない私にとっても衝撃だった)。
やがて,東北線の急勾配は,485系・457系等の電車特急・急行によって解消される。
それによって,東側の伊具-伊達路線は不要になると思われた。
そもそも,阿武隈川沿岸の諸地域は,東北でも有数の養蚕地帯だった。
故に,鉄道の敷設に反対して(煤煙を嫌った),発展から取り残されたという話を当時良く聞いたが,阿武隈川沿いの難工事忌避が最大の要因だろう。
その後,阿武隈川を中心とした観光資源による集客と,伊達郡から福島市内への交通手段の確保,という点からも,全線開通は地域住民の長年の悲願であったことだろう・・・。
実はかつて数年間,この阿武隈急行線(通称阿武急)の沿線(というか駅前)に住んでいたことがある。
開業から間もない平成初頭のことだったが,旅行に行く際は重宝したものだ。
始発電車をつかまえて福島へ出たこと,夕方の電車で東京始発のブルートレインに乗り継いだこと等,何度利用したか分からない。
当時真新しかった日本車輌製の8100系電車が懐かしい。
その阿武急だが,前述のように開通20周年となった。
こちらで分かるように,多くのイヴェントが用意されているようだ。
もう10年以上乗っていないが,休みを取って乗ってこようか,という気になった。
当時を懐かしく思い出すと共に,しばらく接していない車窓の風景に触れて,新たな発見があるかも知れない・・・。
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