私は、若い頃「家族のために働いてるんじゃないか!」 と怒る世間のお父さんをみて、この言葉を強く拒んでおりました。
当時の視野が狭かった私から見ると、この言葉はエゴや責任転嫁に感じたからです。「結局全ては自分のためじゃないか。なのに今のしんどさを誰かの責任にするなんて」と考えていました。
昨今、(根本的な部分には、あまり変化はないかもしれませんが)、「家族のために働いている」という言葉に対して自分自身の解釈が広がったように思います。
「家族(大切な人)のために働く」と考える方が力が湧く。
というのは、ごく一般的な感情なのでしょう。
少し注意が必要なのは、そこに感謝されたいという期待が生まれる可能性があるということです。
期待があると感謝されないときに不条理を感じたりストレスになったりします。
では、何故家族のために働くのでしょうか?
家族を幸せにしたいからというのが多いのではないのでしょうか。家族の幸せな状態を見ると自分も幸せな気持ちになるからだと思います。
状態はどうあれ自分のためにやっていると考えているならば、そこに期待はなく自然さが生まれます。自分自身を律し続けるのは、かなり大変なことだと思います。
その行動に駆り立てる原動力は、自分のためだけであれば、小さいかもしれません。
「誰かのため」と思うとき、気持ちによりどころができ、大きな原動力になるのだと思います。
火事場のバカ力。これは、自分のためだけには、この力は発揮できません。車を持ち上げてしまうお母さんもありません。
大切なのは、
気持ちの向け先
なのだと思います。
大切な人の為にやるのだけれども、自分も満足できるのだから、相手に見返りを期待しない
これがお勧めの気持ちの持ち方です。
ご心配なく、
すべては、返ってきます。