実力主義、評価制度。
人を評価することなど、本当にできるのでしょうか?
今の世代は、「ちゃんと評価して欲しい」と言う方が多いように感じています。
この言葉の意味、真意は何でしょうか?
評価して欲しい→認めて欲しい。
ちゃんと評価して欲しい→得意なところ、がんばったところを認めて欲しい。
こう読み替えるべきだと私は感じています。
どこの会社でも、スキルと称して、会社側のやってほしいこと、なって欲しい状況を評価制度というものにして、みんなに実践しています。
スポンジのように、吸収力がよく素直な社員が居たとすればどうでしょうか?
会社の設定した制度を信じて(全く疑わず)一生懸命まい進します。
そして、その制度に間違いがあるとしたら、その人の不得手なことが大半だったら?
何年もかけて、一生懸命努力したことが、ストレスになっただけだととんでもないことです。
人は、人の長所を見抜く力を先ず身につけるべきだと思います。そして、それができる人(理解できる人)が、多くの人の長所を伸ばすために、認めるための評価制度を作り、ツールとして正しく運営することが必要です。
「フィルタをかけないで(あるがままの)相手を見る」そこから、長所にフォーカスする目を持った仲間が集まる。それをみんなが使いやすいツールにする。それが、企業が作る正しい評価制度というものだと思います。
評価に限らず言葉の持つ意味は、ひとそれぞれで、微妙に異なっていると思います。評価という言葉は、はき違えると「裁くための概念」になってしまいます。制度を利用した支配を生む可能性があります。
どうか皆様、相手を認めるために評価制度がある。ことに賛同頂き、実践して頂きたい。
自分自身も常に念頭に置き、会社に関わる全ての人の長所を見つける目を作っていきたいと思います。