生まれが良く、育ちも“やや”良い貴族が、10日間ほど食事にありつけない状態で、土砂降りの雨の日に転んだ時のような雰囲気をかもし出している「シェフ」による料理教室が再開した。
普段から、あきらかに嘘とわかる冗談と、本当とは思えない嘘ばかりを並べて会話をしている「シェフ」は、
久々の料理教室では本当のことばかりをレクチャーして下さっていたようであるが、
根本的に素直でだまされやすく寡黙なワタシには、どうしても冗談にしか聞こえない。
スパークリングワインをすすりながら、
シェフは右脳と左脳の玄関には違う表札が出ているのではないか、と疑っている間に、
見事に美しい料理が出来上がってしまった。
見栄えだけかと思いきや、美味極まりない。
デザートも格別に美味しい。
レシピも頂いたことだし、本来ならば、早速、自分でも作ってみるところである。
ところが、ワタシは親を恨んでも恨み切れない欠陥がある。
恐らく、ワタシを形成するための細胞が分裂している最中に、
何らかのトラブルが起こったに違いない(と推測しているが、まだ確認していない)。
美しすぎるとか(比較対象はミミズ)、品が良すぎるとか(比較対象はウシガエル)、ライトも照らしていないのに後光が射している(かもしれない)、
カラスと話をするとか、シッコのニオイを嗅ぎ分ける、
など、数多き特徴も十分、欠陥になりうるのであるが、
ニンゲンとして社会生活を営むのには影響が少ない。
最も重篤な欠陥は、再現性がない、ということである。
1) 同じ場所に行けない
2) 同じ料理が作れない
3) 同じ花が生けられない
4) 同じ時間に起きられない
つまり、ワタシを形成するための細胞分裂が、
規則正しく行われなかったのではないか、と自分では考えている。
というわけで、料理教室は、
「シェフに頼むと、こんなに美味しい料理が食べられる」
ことを学ぶ有意義なお教室で完結している。
良く考えてみれば、これまでもそんなふうに生きてきたと言えばその通りである。
「伊賀ちゃんに頼むと数学の宿題をやってくれる」(大学生のころ)
「阪神ファンのオッサン獣医に頼むと治療をしてくれる」(今でも)
「おまわりさんに聞くと道を教えてくれる」(最近はおまわりさんだけではなく、誰区別なく聞くことができるようになった)
「階段から滑り落ちると“大丈夫ですか”と声がかかり、人々が親切にしてくれる」
自分なりに変化があるとすると、
昔はニコニコしながら「お願い~!」と言うと大抵の願いは叶ったが、
最近はニコニコしなくても、お願い、と言わなくても、
用件を伝えると迅速に願いを叶えていただくことができるようになった、ということだろうか。
貫禄のあった一昔前に比べて、
思わず手を差し伸べたくなるような「繊細な中年女」に変化した証拠である。
喜ばしい。
ネコのブログなので、ネコについても一言添えさせていただくが、
ワタシとは違う様相で、細胞分裂時に何らかのトラブルに見舞われたと推測されるゴマちゃんも相変わらず、健勝に暮らしている。
そうだ。今度シェフにお会いした時に腦のCTスキャンをおススメしてみよう。
右脳の表札が「口三寸」。左脳の表札が「手八丁」と映るに違いない。
~おまけ~
秋のまぜざし=洋風=
きうぃの蔓(つる)、あかづる=ハロウィン風=
本日もご訪問ありがとうございました!