2014/3/21
別れの季節である。
今日の産経新聞朝刊 正論 新保祐司先生のお話勉強になりました。
「やよ」には、(幼き子供達が、ひとり巣立とうとするその姿に、)心震わせて見守る、
声援する含意があるとの指摘。
単なる、時間の長さをいう「いつまでも」とは違う心の動きを表すということか。
今にも飛び発たんとするひなの巣立ちである。
それは、近代日本のうらわかきかなしき力、西欧列強に伍して活躍を期す姿に重なる。
かなしきとは、激しく心揺さぶられる状態をも指すそう。
感動と言えば、小泉元首相は2001年5月場所大相撲優勝表彰式で、「痛みに耐えてよ
く頑張った。感動した。おめでとう」と貴乃花を絶賛したが、 安倍首相は、子供達の卒
業式に何を感動するかな。
☆
以下 インターネットより転載
明治の心で蘇った「仰げば尊し」
2014.3.21 03:39 [正論]
□文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司
2月に「仰げば尊しのすべて」と題されたとても興味深いCDが発売になった。これまで出た「すべてシリーズ」の「軍艦マーチのすべて」「君が代のすべて」「海ゆかばのすべて」「蛍の光のすべて」も、これらの名曲を新鮮な視点から再考させる好企画であったが、今回の「仰げば尊しのすべて」も、卒業式の歌として明治以降、日本人の心に沁(し)み込んだ名曲の様々な録音を収録している。中でもやはり木下惠介監督の『二十四の瞳』の劇中歌がいい。
≪原曲は米国の「超無名曲」≫
「仰げば尊しのすべて」という企画が生まれたのは、これまで小学唱歌の中で最大の謎とされてきた「仰げば尊し」の原曲が判明したことによってであった。平成23年1月に桜井雅人・一橋大学名誉教授によって、原曲が『ソング・エコー』という1871年にアメリカで出版された歌集に載っていたことが発見されたのである。
「すべてシリーズ」の企画のいいところは、詳細な解説資料が付いていることだが、「仰げば尊し」のCDにも、桜井氏をはじめとする研究者の方々の大変為になる解説が入っている。それによれば、アメリカの原曲も、「ソング・フォア・ザ・クローズ・オブ・スクール」で卒業式のための歌であった。しかしこの原曲は、1871年6月にニューハンプシャー州の学校の卒業式で歌われたとの記録が残っているが、それ以降のことは分らないとのことである。
このCDには、アメリカで歌われた原曲を、テキサス大学エルパソ校大学合唱団によって再現した演奏の録音も入っているが、この合唱団の面々も初めて歌ったのであろう。「本国では超無名曲であったことがはっきりしているようである」と桜井氏は書いているが、このような歴史の中に一瞬出現したような「超無名曲」が、十数年後の明治17年に公刊された『小学唱歌第三編』に日本語の歌詞をつけられた「仰げば尊し」として登場するのである。
そして翌年の上野公園内の文部省館で行われた音楽取調所の第1回卒業演奏会で歌われた。和楽器も使った当時の演奏を再現したものもCDに収録されているが、この卒業演奏会を機に卒業式の定番となっていったわけである。
≪「選曲眼」の鋭さと国語力≫
それにしても、今日では歴史から忘れられたような歌集に載っていた曲を当時見つけたのは明治人の誰であったのか。なぜ、この曲が持つ秘められた音楽性を感受できたのか。桜井氏は、その文章を結んで、この曲を「見出した選曲眼の持ち主は誰であったか、原曲が発見されるとさらにミステリーが広がってくる」と書いている。
この「選曲眼」の鋭さこそ、「明治の精神」の深さの一面であろう。そして明治人の国語力がいかんなく発揮された歌詞が付けられることによって、この原曲は、日本の名曲に変容したのである。
解説書に入っている皇學館高校教諭の田中克己氏の文章も興味深い。氏は戦後になってから「仰げば尊し」がどのように扱われてきたかについて、音楽教科書や卒業式の観点から論じている。卒業式には、現在では全国的にみると小学校で11・1%、中学校で25・4%しか歌われていない。音楽教科書には、掲載率は100%に近いのだが、本来3番まである唱歌なのに「互(たがい)に睦(むつみ)し」から始まる2番の歌詞が削除されている教科書が、昭和50年代から加速度的に増え、最近では100%に近い。
≪「やよ」という響きの意味≫
2番の歌詞「互に睦し 日ごろの恩/別るる後にも やよ 忘るな/身を立て 名をあげ やよ 励めよ/今こそ 別れめ いざさらば」が、削除されている理由について、氏は各発行者から「立身出世と解釈できる場合があり時勢にそぐわないとのご意見が教育現場を中心に数多くよせられた」といった回答を得た。戦後の「時勢」とは、こういうものであろう。しかしこういう「ご意見」はもうそろそろ「数多く」はなくなってきているのではあるまいか。
私が「仰げば尊し」の中で、一番心打たれるのは、実はこの削除されている2番なのである。それも「やよ」のところである。この「やよ」という歌声の響きの意味が分らなければ、「仰げば尊し」の真価も分らないであろう。
福田恆存は、日露戦争の戦跡、旅順を訪ねた時の回想を書いている文章の中で、斎藤茂吉の歌「あが母の吾を生ましけむうらわかきかなしき力おもはざらめや」をあげ、それについての芥川龍之介の「菲才(ひさい)なる僕も時々は僕を生んだ母の力を、--近代の日本の『うらわかきかなしき力』を感じている」という文章を引用している。
「仰げば尊し」の「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」は、表面的な「立身出世」の掛け声ではない。「やよ」は、明治の日本の「うらわかきかなしき力」からの声なのである。近代日本の「うらわかきかなしき力」の歴史を思い出すためにも、また改正教育基本法にある我国の文化と伝統の尊重のためにも、この唱歌は歌い継がれなければならないであろう。(しんぽ ゆうじ)
☆
. あふげば尊し 作詞者未詳
一 あふげばたふとし。わが師の恩。
(をしへ)の庭にも。はやいくとせ。
おもへばいと疾(と)し。このとし月。
今こそわかれめ。いざゝらば。
二 互にむつみし。日ごろの恩。
わかるゝ後にも。やよわするな。
身をたて名をあげ。やよはげめよ。
いまこそわかれめ。いざゝらば。
三 朝ゆふなれにし。まなびの窓。
ほたるのともし火。つむ白雪。
わするゝまぞなき。ゆくとし月。
今こそわかれめ。いざゝらば。
別れの季節である。
今日の産経新聞朝刊 正論 新保祐司先生のお話勉強になりました。
「やよ」には、(幼き子供達が、ひとり巣立とうとするその姿に、)心震わせて見守る、
声援する含意があるとの指摘。
単なる、時間の長さをいう「いつまでも」とは違う心の動きを表すということか。
今にも飛び発たんとするひなの巣立ちである。
それは、近代日本のうらわかきかなしき力、西欧列強に伍して活躍を期す姿に重なる。
かなしきとは、激しく心揺さぶられる状態をも指すそう。
感動と言えば、小泉元首相は2001年5月場所大相撲優勝表彰式で、「痛みに耐えてよ
く頑張った。感動した。おめでとう」と貴乃花を絶賛したが、 安倍首相は、子供達の卒
業式に何を感動するかな。
☆
以下 インターネットより転載
明治の心で蘇った「仰げば尊し」
2014.3.21 03:39 [正論]
□文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司
2月に「仰げば尊しのすべて」と題されたとても興味深いCDが発売になった。これまで出た「すべてシリーズ」の「軍艦マーチのすべて」「君が代のすべて」「海ゆかばのすべて」「蛍の光のすべて」も、これらの名曲を新鮮な視点から再考させる好企画であったが、今回の「仰げば尊しのすべて」も、卒業式の歌として明治以降、日本人の心に沁(し)み込んだ名曲の様々な録音を収録している。中でもやはり木下惠介監督の『二十四の瞳』の劇中歌がいい。
≪原曲は米国の「超無名曲」≫
「仰げば尊しのすべて」という企画が生まれたのは、これまで小学唱歌の中で最大の謎とされてきた「仰げば尊し」の原曲が判明したことによってであった。平成23年1月に桜井雅人・一橋大学名誉教授によって、原曲が『ソング・エコー』という1871年にアメリカで出版された歌集に載っていたことが発見されたのである。
「すべてシリーズ」の企画のいいところは、詳細な解説資料が付いていることだが、「仰げば尊し」のCDにも、桜井氏をはじめとする研究者の方々の大変為になる解説が入っている。それによれば、アメリカの原曲も、「ソング・フォア・ザ・クローズ・オブ・スクール」で卒業式のための歌であった。しかしこの原曲は、1871年6月にニューハンプシャー州の学校の卒業式で歌われたとの記録が残っているが、それ以降のことは分らないとのことである。
このCDには、アメリカで歌われた原曲を、テキサス大学エルパソ校大学合唱団によって再現した演奏の録音も入っているが、この合唱団の面々も初めて歌ったのであろう。「本国では超無名曲であったことがはっきりしているようである」と桜井氏は書いているが、このような歴史の中に一瞬出現したような「超無名曲」が、十数年後の明治17年に公刊された『小学唱歌第三編』に日本語の歌詞をつけられた「仰げば尊し」として登場するのである。
そして翌年の上野公園内の文部省館で行われた音楽取調所の第1回卒業演奏会で歌われた。和楽器も使った当時の演奏を再現したものもCDに収録されているが、この卒業演奏会を機に卒業式の定番となっていったわけである。
≪「選曲眼」の鋭さと国語力≫
それにしても、今日では歴史から忘れられたような歌集に載っていた曲を当時見つけたのは明治人の誰であったのか。なぜ、この曲が持つ秘められた音楽性を感受できたのか。桜井氏は、その文章を結んで、この曲を「見出した選曲眼の持ち主は誰であったか、原曲が発見されるとさらにミステリーが広がってくる」と書いている。
この「選曲眼」の鋭さこそ、「明治の精神」の深さの一面であろう。そして明治人の国語力がいかんなく発揮された歌詞が付けられることによって、この原曲は、日本の名曲に変容したのである。
解説書に入っている皇學館高校教諭の田中克己氏の文章も興味深い。氏は戦後になってから「仰げば尊し」がどのように扱われてきたかについて、音楽教科書や卒業式の観点から論じている。卒業式には、現在では全国的にみると小学校で11・1%、中学校で25・4%しか歌われていない。音楽教科書には、掲載率は100%に近いのだが、本来3番まである唱歌なのに「互(たがい)に睦(むつみ)し」から始まる2番の歌詞が削除されている教科書が、昭和50年代から加速度的に増え、最近では100%に近い。
≪「やよ」という響きの意味≫
2番の歌詞「互に睦し 日ごろの恩/別るる後にも やよ 忘るな/身を立て 名をあげ やよ 励めよ/今こそ 別れめ いざさらば」が、削除されている理由について、氏は各発行者から「立身出世と解釈できる場合があり時勢にそぐわないとのご意見が教育現場を中心に数多くよせられた」といった回答を得た。戦後の「時勢」とは、こういうものであろう。しかしこういう「ご意見」はもうそろそろ「数多く」はなくなってきているのではあるまいか。
私が「仰げば尊し」の中で、一番心打たれるのは、実はこの削除されている2番なのである。それも「やよ」のところである。この「やよ」という歌声の響きの意味が分らなければ、「仰げば尊し」の真価も分らないであろう。
福田恆存は、日露戦争の戦跡、旅順を訪ねた時の回想を書いている文章の中で、斎藤茂吉の歌「あが母の吾を生ましけむうらわかきかなしき力おもはざらめや」をあげ、それについての芥川龍之介の「菲才(ひさい)なる僕も時々は僕を生んだ母の力を、--近代の日本の『うらわかきかなしき力』を感じている」という文章を引用している。
「仰げば尊し」の「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」は、表面的な「立身出世」の掛け声ではない。「やよ」は、明治の日本の「うらわかきかなしき力」からの声なのである。近代日本の「うらわかきかなしき力」の歴史を思い出すためにも、また改正教育基本法にある我国の文化と伝統の尊重のためにも、この唱歌は歌い継がれなければならないであろう。(しんぽ ゆうじ)
☆
. あふげば尊し 作詞者未詳
一 あふげばたふとし。わが師の恩。
(をしへ)の庭にも。はやいくとせ。
おもへばいと疾(と)し。このとし月。
今こそわかれめ。いざゝらば。
二 互にむつみし。日ごろの恩。
わかるゝ後にも。やよわするな。
身をたて名をあげ。やよはげめよ。
いまこそわかれめ。いざゝらば。
三 朝ゆふなれにし。まなびの窓。
ほたるのともし火。つむ白雪。
わするゝまぞなき。ゆくとし月。
今こそわかれめ。いざゝらば。