書いたことあるか。私ハ、休息あるいは安息日を重んじる。安息日とは、神への奉仕の日だ。「お疲れさまでした!」とね。
生き急ぐことほど愚かしいことはあるまい。生き急いで何になるか。言い訳がましい汚名を残すだけだ。モスキートコーストを観なさい。ミッションを観てる場合ではないだろう。残念ながら、残念な知らせだが悪しからず。
彼は、野心豊かなヒットラーと似てる。ヒットラーはドイツを動かし世界を恐怖に陥れたが、彼では統一協会の枠組みでのハッタリだ。異端中の異端的解釈しており、それはよちよち歩きのおぼつかないものだ。つぶしてしまえ。なにをいっても、なんでも返しては必ず落とす。
ところで、私は遺書など書いたことないが、毎日書いている手合いも見かける。「今日明日死ぬ気でやってます!」と、南方さんでもないのに美徳にもいうだろう。なんでもいう手合いでは。
私の父は、死期が迫った病床で洗礼を受けた。私は、それを耳にしてホントに驚いた。奇しくもサルトルがいったように、人間は死期が迫ってはそれを自覚し、そして死んでは地獄に落ちることに恐怖するようだ。もう少しいうと、死ぬことを恐れない人間はいるだろうが、死んだ後地獄に落ちることを恐怖に思わない人間はいない、ということになろう。地獄とは熱く痛いところらしい(笑)