Fare un brutto sogno

大切なのはバランス
無理をしたときの揺り戻しが一番怖い

金時計の子

2004年11月01日 23時26分05秒 | 1.心の叫び
山形への遠征から午前様で帰宅。
さすがに今日の出勤は堪えるね。
試合内容にも疲れたし(笑)。

始業時間は9時半。今日は15分ほど遅刻する電車で出勤した。
電車の乗車位置は恐らくみなさん普段から固定していると思う。
私もいつも同じ場所から乗車している。
今朝、その場所に並んでいる女性の一人がとても見覚えのある人だった。
ただ、遠く離れた場所に住んでいると思っていたし、もう10年以上会っていないので声を掛け確かめることを躊躇った(笑)。
後ろに並ぶまで、私は女性の顔をまじまじと見て、とても失礼な感じだったと思う。

一旦後ろに並び、しばし沈黙が流れた。
が、突然、前の女性が後ろを振り返った。

「二○さん?」
「や、やっぱり有紀ちゃんか?」
「だよね(爆)」

いや、本当に驚いた。
「浅草橋に住んでるって聞いてたから絶対違うと思ったよ」
「そっちこそ、あまりにも変わらなさ過ぎるから驚いちゃった。逆に違うよねって思った」
もう随分前にこちらに引越し、近くに住んでいるとのこと。
全く知らなかった。
毎朝、急行一本違いで、二人が同じ場所に立っていた偶然が可笑しかった。

とある超有名一流大学の学業最優秀者へ授与される「金時計」を保持する彼女は、とても切れ者で尊敬していた。
新入社員として一緒に同じ部署に配属され、様々なことを一緒に経験した。

「憶えてる? 私、あの頃のせいで鉢植えの水遣りがとても上手になったんだよ」

当時、私達が入社した頃は、机の雑巾掛けや植物への水遣り、新聞記事の切り抜きなど先輩社員が出社する前にやらなければならないことが山ほどあった。
当時の始業時間、8時半の1時間前には出勤し、それをこなしていた。
今の時代では考えられないこと。
私は、当時からそういう仕事に疑問を持ち、事ある毎にサボっていた。
いや、単に朝が弱かったともいう(笑)。
しかし、金時計の彼女は当然、何をやるにも真剣に取り組んでいた。
そして、いつもそういう雑用やお客様へのお茶だしをやらされることに不満を持っていたそうだ。

ある日、金時計の彼女が当番で鉢植えに水を与えた日があった。
私が当番の時はよくサボるので、鉢植えにたっぷりと水を上げたそうだ。
すると、当時の課長代理が憤慨しながら新入社員全員を招集した。

「今朝、水をやったのは誰だ!!」

金時計の彼女が「私です」というと、その課長代理に大目玉を食らった。
「水遣り過ぎだ。植物の気持ちを考えて水をやれ!!」

私は当時のこの出来事を全く憶えていない。
今朝の電車の中で彼女からこの話を聞かされても、全く思い出せなかった。
朝いちで新入社員が招集されたとすると、その場に私が居たのか、遅刻常習者としては疑わしい(笑)。

「あなたがサボるから、私は良かれと思ってやったことで怒られて!」
「でも、植物にとっては、私が多めにあげて、あなたがサボって、丁度良かったんだね」
「おかげで水遣りがうまくなったのよ」
「今も植物のことを考えながら水をあげてるの」

彼女は一気に話し始めた。
ちょっぴり皮肉交じりだったが、嫌味ではなく本当に自分の為になったと感じさせる話し振りが、実に彼女のいいところだ。
昔からおっとりしていながらも、その前向きさや強さ、一生懸命さが彼女の魅力だった。
あの頃のまま、この子は本当に変わらない(笑)。

当時の二人の仕事は新規サービスの企画だった。
入社時の様々な研修での成績優秀者が数人集められ、彼女は新しいコンセプトの端末に関する企画開発、私はUNIXベースのAI/エキスパートシステムを用いたサービスの企画開発、他にも衛星通信やICカード/PETカードを用いたサービス企画など、各自にテーマが与えられ、サービスが実現するまで数年間、徹底的に取り組んだ。
大きなビジネスに発展したテーマもあった。
途中で挫折したテーマもあった。
ただ、そういう業務に新入社員時代から取り組めたことは、今でもいい経験になっている。
二人ともガムシャラだったことは間違いない。

彼女は5年間の産休や育児休暇を経て、数年前に会社に復帰してからは10時~15時の育児短縮勤務を続けているそうだ。

「お前、もったいないよ」

私は心からそう言った。
もっと活躍しろよと思う。
私などより、数倍も戦力になるだろう。

現在の勤務先も私と駅一つ違い、私の事務所からも歩いて数分の所にいるという。
今度、昼飯でも誘おうかと思う(笑)。

最近、人を尊敬するということが無くなって来た。
以前、戦友を「こいつカッコイイ」と思ったことはあったが、それは尊敬とはまたチョット違う(笑)。
ラッシュアワーの中、長い乗車時間の間、ずっと話をしていて、「ああ、俺、この子を尊敬してたっけな」と思い出した。
次々と出てくる昔の話、その時のこの子の考えや今日初めて聞くことが、とても新鮮であり、また、当時の気持ちを思い起こさせてくれた。

しかも、新入社員時代の初々しい気持ちまで一緒にね。

人は一瞬にして懐かしい時代の関係に戻るもんだね。
今、自分がどんなに取り繕った役回りを演じていても
そういうものが、ホント一瞬にして取り払われて
全く無防備な自分、当時の関係に戻ってしまう。

今朝の彼女が、今の彼女なのかどうかは判らない。
でも、薄茶色の髪、屈託の無い笑顔で話す今朝の彼女は
紛れも無く当時の彼女だった。
そうだった、この子の薄茶色の髪は染めているのではなく自前だったな(笑)。

私にとっては、彼女はやはりあの頃のままだった。


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メトロと「主人公」

2004年10月29日 18時43分13秒 | 1.心の叫び
メトロといえば思い出す歌がある。

高校時代はギターを片手に熱唱した(笑)。
カラオケなんて当時は行けなかったからね。
自分で楽譜を見てギターを弾きながら歌うことが多かった。

今は歯科医をやっているプロゴルファーの息子と二人で、
「アリスとテレス」なんてグループ名を名乗って(爆)。
よく歌ったのは、アリスや高校の先輩・さだまさしの歌。
その頃はまだ、尾崎の歌は歌っていなかった(笑)。

上手いとか下手とか、そういう事は関係なしに、自分の気持ちを発散させていた。
赤坂や外苑前や表参道が私らの庭だった。
渋谷のヘッドパワーというライブハウスに入り浸ったりもしたね。

浅草の仲見世通り、そう、浅草寺の山道のお店の娘や
赤坂山王・日枝神社の神主の息子
銀座の酒屋の息子
日本画家の息子
東京商船大学の教授の娘
警察の本部長の息子
新宿歌舞伎町のマージャン荘の娘
大平総理大臣の孫娘
銀座のサーティーワンで女性の制服を着てアルバイトしていたオカマ

調布リトルリーグで世界大会で優勝した奴
幻のモスクワオリンピック代表になった体操の女の子達
トライアングルとかいうグループでテレビで歌を歌っていた女の子

色んな奴がいて面白い学校だった。
喫茶店に寄っただけで停学になったり
毎年、10数人も留年したり
天然パーマ許可証を発行されたり
学内にあった大きな公孫樹の木は、校舎がむかし近衛隊兵舎だった頃からあったらしい。


高校を卒業して最初に皆が再会したのは、浪人していた女の子が自殺した時。
その葬式の帰り道、飲み屋の看板を滅茶苦茶に壊してまわった。

それから、教員免許を取得するために教育実習で母校に戻ったこともあった。

仲の良かった女の子が舌癌で亡くなってからは、毎年、命日に集まったりした。

いつも一生懸命なみんなだったね。
何でだろうね。
おかしいよね。
もっと楽に生きればいいのに。

最近ではもうあまり逢うことはなくなってしまったね。

今の勤務地は、その思い出が詰まった場所。
ホントに細い路地裏にまで、当時の思い出が染み付いている。



時には思い出ゆきの
旅行案内書(ガイドブック)にまかせ
「あの頃」という名の駅で下りて
「昔通り」を歩く
いつもの喫茶(テラス)には
まだ時の名惜りが少し

地下鉄(メトロ)の駅の前には
「62番」のバス
鈴懸(プラタナス)並木の古い広場と学生だらけの街
そういえば
あなたの服の模様さえ覚えてる

あなたの眩しい笑顔と
友達の笑い声に
抱かれて私はいつでも
必ず煌めいていた

「或いは」「もしも」だなんて
あなたは嫌ったけど
時を遡る切符(チケット)があれば
欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって・・・

勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で選んだ以上
精一杯生きる
そうでなきゃ あなたにとても
とても 恥ずかしいから

あなたは教えてくれた
小さな物語でも
自分の人生の中では
誰もがみな主人公

時折思い出の中で
あなたは支えて下さい
私の人生の中では
私が主人公だと



20数年も経っているのにこんなに鮮明に思い出が残っているなんて、自分自身でもその記憶に今まで気づかなかった。
普段は全く思い出さなかったのに、「あっ、ここ・・・」ってね。

そう、あの時の歌は、こういう事だったんだね。


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メトロの世界

2004年10月26日 23時06分49秒 | 1.心の叫び
溜池山王を出たのは何時だろう?

乗ったのは、確かに銀座線だった。
ところが、気が付いたら千代田線のホームだった。表参道だ。
ここは高校時代の乗り換え駅。
國學院高校、懐かしいねって、何やってるん。
慌てて半蔵門線へ。

乗ったよ。って逆じゃん。
青山一丁目で下車。

急にお腹痛い。
何?いったい?
スクランブルでタッチ・アンド・ゴーしてホッとしたら、あ゛~また逆乗っちゃった。

ひと駅分座ったら、隣の女の子が可愛い寝息でもたれ掛かって来て動けません。
清澄白河までボランティア。
しかし、清澄白河ってどこよ(泣)。

数本待って、急行・中央林間行きに乗り込んだ。
さぁ、今度こそ帰るぞ!!

やば、おにゃか痛い(涙)。
ええい、辛抱我慢、辛抱我慢。
そうだ、寝ちゃえ(笑)。

さあて、メトロの世界に翻弄された私は、この後どうなったでせう。
駒形どぜう。

・・・・・・・・。
淋しい。
ここはどこよ。

誰か迎えに来てよ。
(尾張へ島流し中のこじゅ。風に言えば)中田コ王子とか(爆)。

とにかく、目的地に辿り着かないのね(号泣)。

あ~ん、ほにゃか痛ひ。

シラフじゃやってられませんわ。
ということで、溜池のコンビニで買った泡盛・久米島の久米仙、電車の中で封開けちゃいます。

ぐびっ!!
おいちぃ~。

でも・・・馬っ鹿みたい。

あり?
あざみ野?
たまプラーザ?
・・・・・鷺沼まで来ちった(大汗)。

ええい!!

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うちなぁ~三昧

2004年10月25日 23時58分18秒 | 1.心の叫び
こだわりのいつものレイバンで
真っ赤なセリカをかっ飛ばし
高速道路で窓全開
カーステレオをガンガンかけて
大声で歌いまくったエンドレス

いやぁ~、スカッとするね。
いい歌だね。



ハイサイおじさん
ハイサイおじさん
昨夜ぬ三合ビン小 残とんな
残とら我んに 分きらんな

ありあり童 いぇー童
三合ビンぬあたいし 我んにんかい
残とんで言ゆんな いぇー童
あんせおじさん 三合ビンし不足やみせぇーら
一升ビン我んに 呉みせーみ


ハイサイおじさん
ハイサイおじさん
年頃なたくと 妻小ふさぬ
うんじゅが汝ん子や  呉みそうらに

ありーあり童  いぇー童
汝や童ぬ くさぶっくいて
妻小とめゆんな  いぇー童

あんせおじさん
二十や余て三十過ぎて
白髪かみてから 妻とめゆみ


ハイサイおじさん
ハイサイおじさん
おじさんカンパチ まぎさよい
みーみじカンパチ 台湾はぎ

ありあり童 いぇー童
頭んはぎとし 出来やーど
我ったー元祖ん むる出来やー
あんせおじさん 我んにん整形しみやーい
あまくまカンパチ 植いゆがや


ハイサイおじさん
ハイサイおじさん
おじさんヒジ小ぬ をかさよい
天井ぬいぇんちゅぬ ヒジどやる

汝やヒジヒジ笑ゆしが
ヒジ小ぬあしがる むてゆんど
あんせんおじさん 我んにん負きらん明日から
いぇんちゅぬヒジ小 立てゆがや


ハイサイおじさん
ハイサイおじさん
昨日ぬ女郎小ぬ 香さよい
うんじゅん一度 めんそーれー

ありあり童 いぇー童
辻、中島、渡地と
おじさんやあまぬ 株主ど
あんせんおじさん毎日あまにくまとーて
我んねー貧乏や たきちきゆみ



ただし・・・
渋滞にはまると、チットかっちょ悪い(爆)。


で、帰りは・・・
一転、クールダウンの歌



ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通り抜けるだけ

今日も 見渡す限りに 緑の波が うねる
夏の 陽射しの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通り抜けるだけ

昔かし 海の向こうから 戦さが やって来た
夏の 陽射しの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通り抜けるだけ

あの日 鉄の雨に打たれ 父は 死んで逝った
夏の 陽射しの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通り抜けるだけ

そして 私の生れた日に 戦さの 終わりが来た
夏の 陽射しの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通り抜けるだけ

風の音に 途切れて消える 母の 子守の歌
夏の 陽射しの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通り抜けるだけ

知らないはずの 父の手に 抱かれた夢を 見た
夏の 陽射しの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通り抜けるだけ

父の声を 探し乍ら 辿る 畑の道
夏の 陽射しの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通り抜けるだけ

お父さんと 呼んでみたい お父さん どこにいるの
このまま 緑の波に 溺れてしまいそう

夏の 陽射しの中で

ざわわ ざわわ ざわわ けれど さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通り抜けるだけ

今日も 見渡す限りに 緑の波が うねる
夏の 陽射しの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 忘れられない 悲しみが
ざわわ ざわわ ざわわ 波のように 押し寄せる

風よ 悲しみの歌を 海に返して欲しい
夏の 陽射しの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは 消えない



この歌、長いんだよね(笑)。
私の空手・首里手志道会の師匠、阿波連本修 先生は、この戦さに巻き込まれ、少年兵として戦った。
阿波連先生から、先生の師範、修道館・遠山寛賢大師範や沖縄空手に関する資料をお借りした時に、その資料の中に紛れ込んでいた。
少年兵の招集と負傷に関する保障認定証明。
空手部の夏の合宿で毎年裸の付き合いがあると、その身体に刻み込まれた証しを目の当たりにした。

むごい。
身体中に残る銃創。

戦さのあいだも
戦さの後も
どん底の中を這い回って。

歌のような、悲しいけれど透明なイメージは、多分ないと思う。

とてもおっかない先生だけど、なぜか私には優しく、厳しく、他の弟子以上に沖縄の様々なことを教えてくれた。気のことや経絡のことも。
阿波連本修先生は、沖縄の琉球舞踊の大家、阿波連本啓さんとは同じ門中で従兄弟だそうだ。

阿波連本修先生の奨めで泡盛を飲み始めた。
これが、美味いとかそういう事以上に、私の身体にピッタリと合致した酒だった。
日本酒飲んでも、焼酎の一升瓶を一気しても、ウヰスキーも、ワインも、テキーラも、ビールも、何を飲んでも悪酔いし、二日酔い、三日酔い、頭痛、腹痛だった私だが、泡盛だけは、全くダメージが無く、いくらでも飲めた。

沖縄へ行く度に1斗甕を購入し、いつの間にか7甕を横に並べて『仕注ぎ』を行っている。
一番甕はもう20年モノの古酒だ。
他にも、数々の泡盛を買い集めた。
首里へ行っても、本部へ行っても、久米、宮古、石垣、慶良間、小さな島へ行っても泡盛工場を探し、見学し、試飲し、買い求めた。
瓶や壷が100個近くになった。
泡波の一升瓶も手に入れた。

また、首里の赤田にある「首里そば」へは必ず行く。
昔かし、「首里そば」が2Fのギャラリーを借りて細々とやっていた頃から好きだった。
そして首里そばへ行く前には、これも必ず崎山の瑞泉酒造へ寄った。

私の部下の結婚式の時、部下と部下の妹と幼馴染ということで、この瑞泉酒造のお嬢さんが招かれており、お嬢さんが差し入れてくれたかなり古い古酒を飲んだ。
美味かったね。
数年前、東京大学の研究室から戦前の佐久本の黒麹が発見され、瑞泉酒造で当時の泡盛が再現された。
確か『うさき』だったかな。
戦でめちゃめちゃになった首里だったが、ひょんなところで当時の泡盛が復活するとは、面白いことだ。
復活した年、限定発売のものを予約して購入した。
今では普通に売っているようだが、最初に購入したものは、ちょっと勿体無くて開けられない。
そう、パティロマ(波照間)の幻の酒、『泡波』も開けられない(汗)。

甕の古酒をすくい、かき混ぜ、香りを楽しみ
琉球民謡を歌い
三線を弾き
知花クーシャンクーやナイハンチの形を舞う

なんだか不思議な縁で私と沖縄は幾重にも繋がっている。

で、最後に・・・私の名と似ている挨拶

にへーでーびる(ありがとう)

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日本のリーダーが今やるべきこと

2004年10月24日 23時39分22秒 | 1.心の叫び
この平和な日本で
台風で水に溺れて大勢死に
地震で柱に潰されて大勢死に
マジかい??

十日町っていうところは、縄文時代中期に勝坂式といわれる土器が数多く作られた場所です。
地元や甲信越の研究者は、「火焔式土器」と呼んでいる。
恐らく、日本の文化の中で、これほど生きる力を感じさせる芸術はないと思えるような、圧倒される文化を発信した場所です。
今から4500年以上も前のことです。

本物の火焔式土器を見たことがありますか?

歴史の教科書に挿絵、写真が出ているので、一度は目にしたことがあるでしょう。
でも、写真ではその大きさや質感までは想像出来ない。
本物を目の前にすると
「こんなに大きいのか」
「こんなに力強いのか」
本当に圧倒される。
1m近い高さの器もある。
そいつらが、今回の地震でどうなったのか、物凄く気になる。

火焔式土器にはなぞが多い。
圧倒的な高度な文化は、実は忽然と姿を消している。
そして、その周辺、特に関東へ流れるように、模倣と衰退した文化が伝播して行く。
つまり、時代が後になった方が、土器の作り手が下手くそになって行くんだ。

私は思う。
これって、今回のような地震とともに、突然、中核の文化が壊滅し、生き残ったわずかな人や、交流があった周辺の文化が、文化の中心を放棄し、模倣しながら、安全な、そして、暖かい場所、新天地を求めて逃げて行ったのではないかと。
そして、太平洋側に辿り着き、相模原の勝坂に代表される文化になったのではないかと。

突然消えたこと
作り手が下手になること
越→信→甲→相と文化が流れて行くこと

そう考えると説明がつく。

遺跡を発掘すると、竪穴式住居に家族全員が埋められ死んでいるものがある。
これなど典型だね。
学者の中には、食あたりや病気で家族が死ぬと、家ごと埋める風習があるなんて唱える人も居る。
んなわけ無いじゃん。
逃げるまもなく埋まって死んだんだよ。

地震
台風
土石流
地すべり

今も昔も、日本の災害は変わらずに繰り返されているんだよ。
無力だよね。
こいつらを克服しよう、防止しようったって、無理、無力。
繰り返されるし、突然、自分自身も遭遇するかもしれない。

大切なのはその後だね。
日本の首相でも、田中真紀子でもいいから

「私はあなた方を見捨てない」
「必ず、再び、楽しい生活が送れるようにする」
「だから、明日を信じて今を耐えてくれ」
「必ず、助けるから」

って、被災者に対して、いの一番にメッセージを送りなさいよ。
語りかけ続けなさいよ。

やりきれない気持ちの人達に必要なのは「心の支え」なんだよ。
もともと強い人達、競争を勝ち抜いた人達には、そういうことが判らないのかね。

日本のリーダーはどうなっちゃったの?
また、ボランティア任せを繰り返すの?

なんだか悔しくて泣けてくるよ。

「何か一つでも、苦しんでいる新潟の皆さんへ明るい話題を届けたかった」
といって、涙を浮かべて敗戦を語るアルビレックス監督・反町の野郎に、日本の首相を任せたいよ。
個人的には怨みの方が多くて嫌いなんだが、この野郎の方が、今、現場に必要なものが何かを理解している。

永田町や霞ヶ関なんかよりずっと。


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修行じゃないのよ人生は

2004年10月23日 23時00分24秒 | 1.心の叫び
世の中、うまく行かないことの方が多い。
また、うまく行っている時ほど、落とし穴が多い。

あなたなら・・・
どちらがいい?

私は、例え落とし穴が多くても、うまく行ってる方が好きだ。
まるで修行のように、辛い事や苦しい事に耐え続ける人生は鬱陶しいよ。

最近、「サポーター(サッカーのね)は修行だ」なんてコラムを目にすることが多い。
そんなわけ無いじゃん。
サポーターが修行である分けがない。
サポは「苦しみに耐えること」が目的なんじゃないよ。
「勝利を喜ぶこと」が目的なんだよ。

修行は「夢」を見てるかい?
いつかは報われるなんて、そんなこと思って修行するのかい?
みんな苦しんだって、いつかはその先の楽しいことに辿り着くと信じてるから、苦しいことにも耐えてるんだ。
修行して、修行して、無我の境地を悟って、苦も無く楽も無い、崇高な自己を見出そうなんて、それこそ僧籍でもなきゃ目指さない。

普通の人間ならね
「楽しいね!!」って
誰かと語り合いたいに決まってんじゃん。

そりゃぁ、努力もするし、困難にも立ち向かう。
男だからね。
負けるもんかって、常に闘う人生を選んでいる。

だけどね、ふと思うよ。
たまには、もっと楽な人生があったっていいじゃんって。
楽しいことに没頭し、喜び、充実し、満足し・・・。
そんな時期が長く続いたっていいじゃんねぇ。

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「美しき狼達」

2004年10月19日 23時05分14秒 | 1.心の叫び
もうすぐ別れの季節が来る。
これはもう仕方のないことだ。

やり尽くしたのかい?
悔いはないのかい?

そう訊ねたところで
どうなるものではない。
「君は必要ではない」
そう、判断され、放り出される。
それがプロの世界だ。

だけど、歩みを止めない男たちがいる。
ボロボロになっても
次ぎの夢を見続ける男たちがいる。

私は、そいつらを誇りに思う。
一緒に歩けたことを
そいつらの背中にありったけの声を送れたことを
一緒に日本中を飛びまわり
一緒に闘ったことを
誇りに思う。


「美しき狼達」
男なら 闘う時が来る
誇りを守るために 命を懸けて
男なら 旅立つ時が来る
愛する者たちに 別れを告げて

足を挫けば 膝で這い
指を挫けば 肘で這い
涙の粒だけ 逞しく
傷ついて しなやかに

ああ 男は走り続ける
ああ 人生という名のレールを


あいつには言葉はいらないさ
黙っているだけで 心が通う
あいつには涙も見せられる
孤独な背を向けても 包んでくれる

時に厳しく 見つめ合い
時に優しく 労わって
同じ男の夢を追い
北風に立ち向かう

ああ 男は走り続ける
ああ 人生という名のレールを



おぼたけしだったかな、「あしたのジョー」のテーマソング。
グッと来るものがある。

城くんに贈ってあげたい。
今、ドイツに次ぎの戦場を探しているのかな。
あいつは、ボロボロになってもまだ闘うんだね。

スカパーのJ2放送、全試合のエンディングで
毎回、私の姿が放映される。
城くんの大旗を振る姿。

城くんが嫌いだった。
フランス大会の城くんが。
だけど、どれもこれも作られたイメージの中で判断してた。
うちのような特殊なチームに来てくれたことで、本当に良く、細かく、関わり、接することが出来た。

男闘呼だった。

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頑張り屋さんの部下

2004年10月18日 23時35分37秒 | 1.心の叫び
頑張り屋さんが退社して3週間近くなる。

最早、私も離れてしまったプロジェクトだが、現場はガタガタになって来たようだ。
頑張り屋さんの下にいたキーマンが次々と辞めて行く。
新に4人も。

その動きに全く気付かない、あまりにも能天気な我が社側に対して、「もっと現場に目を向けろ」と雷を落とした。
「リスク対策を考えろ」と。
越権行為であることは理解しているが、黙っていられなかった。
現場は、「何でこんなに辞めるんでしょう」とオタオタしていた。

我が社は彼らを引き止める立場にはない。
我が社はドライに対応するしかない。
例え、我が社側に問題があったとしてもだ。

私は、彼らをチームの一員と位置付けていた。
だからフォローもしたし、彼らの相談に耳を傾けて来た。
しかし、それは本来、会社対会社の関係からは逸脱している。
我が社が言うべきことは、
「例え、メンバーが変わっても、品質と技術スキルが低下しないようにすること。」
それだけだ。
彼らが決心し動いてしまった後ならば、我が社はドライに対応しろということだ。
その本来の関係を理解した上で、踏み込むなら自分個人の責任で踏み込めということだ。

私はいつも「いいものを作りたい」と訴え、いいものを作る為なら、協力会社、直営に関わらず意見を聞いた。それが私のやり方だ。
だから、やり方や方針が異なるのなら、本来の関係に戻り、やって行くしかない。

ただ、そのスキルを持った奴らを手放すのは、私なら本当に惜しい。

そういう訳で、プロジェクトも離れてるし、彼らの個人的な相談には乗ることにしている。
転職先も、本人達が決心をしているのなら、支援してあげることにしている。
もうすぐ、その中の一人が面接を受ける。
紹介した先からは感謝された。
「こんなにスキルが高い人材をありがとう」
「でも、おたくは手放してもいいんですか」と。

やはり、どこか間違ってる。
私がそのプロジェクトのリーダなら、絶対に手放さないし、
こうなる前に、もっとよく見てあげたいと思う。

ただ、見方を変えると、それは彼らが飛躍する切っ掛けにもなり得る。
彼らは今の会社に入社以来、私のプロジェクトしか知らないのかな。
私は尊敬する先輩からよく言われた。
「ここのやり方が普通だと思うなよ」
そう戒められた。
だから、外の世界を見るいい機会かもしれない。

みんな、成長するために挑戦してくれ。
いろんな世界を見ておいで。
そして、いつか。
私がまた旗を揚げた時に

その旗の元で会おう(笑)。

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クリスタルのマンタ

2004年10月16日 00時25分16秒 | 1.心の叫び
クリスタルのマンタを買って来た。

「光を当てたら綺麗でしょうね」
うちの子がそう言った。

その透明感、見ているだけで癒される感じがする。
そうだね、その通りだね。

店先に飾られている姿を見て、心が惹かれた。
目の前にあったエメラルドグリーンの海のイメージが、このクリスタルにマッチした。

人は旅をする時、心の癒しを求める。
その時の、癒された心の状態を忘れないため、刻み込むため、記念の品を買うんだと思う。
それは自分のためだよね。

ところが、人にあげた土産物の中には、あげた人の体験が貰い手に伝わる品物がある。
ごくたまにだが、そんな素敵な品物に巡り会うことがある。

こんな感じだったんだよ。
そう伝えながら渡した品物。

「癒されます。」

ホント、そうだね。
心が伝わる品物だったね。

クリスタルのマンタレイ。




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マイペースなあいつ

2004年10月15日 23時13分14秒 | 1.心の叫び
「もともと怠け者なので、ルーズな時間が心地よかったですよ(笑)」

相変わらずマイペースだよな、お前。
なんか、とても微笑ましい。

私の中のあいつは、やっぱりそうでなくっちゃ。
ガムシャラ、バリバリのキャリアというよりも
いつも頑固でマイペース。

サボってるわけじゃないよ。
でも、マイペース。
あ、いつものあいつだ。
そう感じた。

貰ったのはメールだけど
それを話すあいつの声のトーンやイントネーションが想像出来る。
少しだけ口を尖んがらせているんだろ(笑)。
目じりが下がってるんだろう。

思わず、メールを読みながら吹き出した(爆)。

リフレッシュできたかい? 戦友さん。


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誕生日

2004年10月13日 23時13分04秒 | 1.心の叫び
明日は私の誕生日。
ジーコ、勝てよ。
でっかいプレゼント待ってる。

しかし、明日は激しく鬱な日でもある。
明日は、母親の誕生日でもある。
恐らく、そういう偶然は世間でも珍しいと思う。
それが、よりによって私と鉄格子の母親の誕生日が同じとは。

誕生日の度に思い起こされる修羅の数々。
とても祝う事の出来ない誕生日だ。

母親を捨てても、諦めても、憑いてまわる縁。
その鬱な日が、毎年やってくる。


誰か、忘れさせてくれ。

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世界の中心

2004年10月12日 12時55分50秒 | 1.心の叫び
青い海の中に、砂浜だけの島がある。
島と呼べるのかさえ疑わしい。
真っ白な砂浜だけの島だ。
12年ぶりに訪れたそこは、何も変わっていなかった。
都会の喧騒とは無縁のそこは、どこか現実味が希薄だ。

その砂浜だけの島で一冊の本を読んだ。
『世界の中心で、愛を叫ぶ』
ミーハーだね。
感動とかはまるとか、そういうことは無いが、人の死について、或いは、手放してしまった想いについて、共感することが多かった。
苦しむ程、人を愛した事は一度しかない。
もともと家族も含めて、人を愛しく思うことに矛盾を感じる私だが、多分、あの時が唯一の愛だったのだろう。

二人でよく旅をした。
でもそれは、お互いの生い立ちを知る旅だった。
京都や神戸、姫路、甲府、箱根、伊豆・・・。
小さな、ほんと何気ない街角や田舎道へ何度も何度も出掛けた。

ここで何があった、あの時、何を思った。
私はその子の全てを理解しようと努めた。

その子が中学時代をすごした街を訪れた時だった。
「行きたくない」
その子がそう言うのは初めてだった。
「言いたくなければいいんだよ」
明るくていつも冗談ばかり話しているその子の中にある翳りには気付いていた。

その場所が、その翳りの理由だと知ったのは少したってから。
言わなくてもいい。
そう言ったのに、その子は聞いて欲しいと話を続けた。

その子の家は、都会からその田舎町へ移り、塾を経営していた。
粗末な家や温泉芸者の置き屋が並ぶ中では、立派すぎる家だった。
町の住民から一目置かれながらも、逆恨みされたことも多かったという。
それは絶対にその子の責任ではない。
しかし、決定的な取り返しのつかない責めを負わされたのはその子だった。
「絵画教室の帰り・・・」
「・・・川の土手・・・」
「・・・町の男に・・・」
途切れ途切れの言葉。

私は聞きたくはなかった。
でもそれを話そうとするその子の方が、どれだけ苦しくて、決心をして話しているのか。
その翳りが、少しでも救われるのなら、私がその子の力になろうと。
今の日本で、そんなことがあるのか。
映画や本の世界ではなく、現実にそんなことを中学生の女の子が負わされていいのか。
その子は進学とともに町を捨て、以来、東京の粗末な部屋に住む。
名門女子大に通いながら、哲学を学びながら、芝居とダンスにのめり込んで行く。
人を愛することが億劫になり、極端な生活に翻弄されて行く。

私がその子と知り合った時、その子は名門女子大を卒業し、一流企業に就職しながらどこか途切れそうで危なく、かといって人に弱みを見せない、元気な、偽りのその子を演じていた。
同じ匂いと言えばいいのか。
翳りの原因は判らないが、明らかに強がる姿が私自身と重なった。
10数年前の事だ。
それからは、恐らく小説以上に現実味の無い生活を二人で続けた。
今、職を失っていないことが不思議な位いに破滅的な、しかし、深く愛を感じた日々だった。

しかし
別れは、私の臆病と不安定と卑怯な振る舞いから、やって来た。
というよりも、突然、私が幕を曳いた訳だ。

その後一度だけ、その子と偶然、大阪の街で出会った。
私がGセンタ設立で大阪へ飛ばされている時だった。
あいつは、大きなイベントを仕切っていた。
そのイベントの流れが、その子のベストセラーに繋がって行く。
やがて電子民主主義のロビー活動に区切りを付け、今、ある研究所で新しい医療の概念に関する研究とその論文を連載している。

人の運命には時というものがある。
その時が今だと気付く人は少ない。
私は何もかも、過去になってから気付いた。

そして成長せず、いつまでも同じ事を繰り返そうとしている。
その子の足跡と比べる対象にもならない結果の中でもがいている。

一度だけ、最近になって電話を掛けた。
どこに暮らしているのか判らないが、電話だけは私が分かるようにしてくれている。

あいつは今、輝いている。
それは紛れもない事実だ。
そのはずだ。

「今、楽しいかい? 楽しいことあったかい?」
私は不躾に尋ねた。
「いいえ・・・」
そう告げると直ぐに、あいつは電話を切った。

そうか。
今、お前を突き動かし輝かせるエネルギーは「楽しさ」ではないのか・・・。

ならば、憎め。
憎んででもいい。
超一流で居続けてくれ。
輝いたままでいてくれ。

私を一笑に付し、哀れみ、蔑み、追い込んでくれ。
それを私は、私自身を突き動かすエネルギーにする。

『たった一人、愛した人との永遠の勝負』を心の糧にする。



なんて気持ちにさせるのも、
この場所『真っ白い砂だけの島』と
そこで読んだ本『世界の中心で、愛を叫ぶ』のせいだね(笑)。

それって、はまってるじゃん(爆)。

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合コン

2004年10月10日 00時51分44秒 | 1.心の叫び
馬鹿をやる。

3対3で合コンやるから来てよと誘われ付き合う(笑)。
台風が近付く横浜、雨足は強くなる一方なのに。

焼鳥屋に集合し、馬鹿話に花が咲く。

合コンと言っても、毎週のように一緒に日本国中を飛び回っている顔触れ。
気心は知れてるし、自己紹介など不要。
それでも合コンと位置付けると面白いもんだ。馬鹿をやりたくなる。

かなり酔ったあと、ハマボウルでボウリング。
深夜だというのに、スペアを賭けて盛り上がる。

更にカラオケ屋で朝まで熱唱。
私の歌は・・・。
岩崎宏美の二十歳前から入る暴挙(笑)。
始発の電車が動くまで、四時間ほど歌いまくった。

そして外に出ると・・・・。


暴風と豪雨だった(汗)。


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真っ白い猫

2004年10月07日 23時49分05秒 | 1.心の叫び
猫を抱いた。

真っ白い猫だった。
長い尻尾をしならせて、感情を表現しているようだった。
「私を拾ってよ」
擦り寄り、まとわり、尻尾を絡めて来る(笑)。
また、その仕草が可愛い。

猫は人に懐くものではなく、家に居つくものだろ。
なぜ、俺に懐く?
俺には何もして上げられないぞ。

あまりにまとわり付くので抱いてみた。
意外と重たい。
飼うか?
しかし、10年以上飼っていた三毛猫を亡くしたばかり。
「ごめんな、今は飼えないよ」
そう告げると、猫はきびすを反し、次の歩行者へ向かった。
「お前、現金なやつ」
しかも、女性の歩行者は無視。
「お前、実は大物だろ」

そうやって世間の荒波を渡って来たんだな。
それはそれで立派だよ、お前。


たまプラーザの露地裏、美味いもの横丁の奥に真っ白い牝猫がいる。


牝猫をかまっていた時、突然声を掛けられた。
見覚えのある女性だった。
「えっ、あれ?」
うちの女性社員じゃん。
事業部や事務所は違うが、何度か話したことのある子だった。
話を聞くと、我が社の女性社員寮がその路地にあるらしい。
その子が指差す寮は、ほんの数メートル先だった(汗)。

薄暗い路地裏、自社の女子寮の前でしゃがみ込み、独り言を話す俺。
猫は抱え込んでいるので他人からは見えない。

「げっ、俺、思いっきり不審者じゃん」

しどろもどろになりながら、
「い、いや、猫が・・・」
言い訳をすればするほど、不審度UP(爆)。

だけどね、駅前の繁華街の並びに女性社員寮を作る我が社もどうかと思うぜ。
だって、そこの通行人、滅多に他人は通らないけど、飲んで吐いてるオッサンばっかりじゃん。


たまプラーザの駅前でバスを待ったが、終バスまで暫らく来ないようだ。
仕方ない、タクシーを使うほどの距離じゃない。
少し遠いが、歩いて帰ることにした。

牝猫のせいだ(笑)。

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心に焼きつく印象

2004年10月06日 23時34分28秒 | 1.心の叫び
真っ白い歯
笑う口元から少しだけのぞくと
それこそ微笑ましくなる。
「へぇ、綺麗なんだね」と。

小麦色に焼けた素肌と
口元からこぼれる真っ白い歯のコントラスト

その印象が心の奥にクッキリと刻み込まれる。
その場面や気持ちと一緒に。

激しさとともに。
安らぎとともに。


『・・・・』
何気ない君の笑顔と
青い青い海の色が
僕の胸の奥に
焼きついたのは
今年の夏の
熱い砂の上さ

君にさよならって言えなかったのは
白い帆が眩しい
小さな船に
いつかきっと
君を乗せて旅に出るから



この歌、物凄く古いんだよね。
30年くらい前に、よく歌った(笑)。
題名も歌手も思い出せない。
だけど、この歌も
なぜか心に焼きついている。

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