Fare un brutto sogno

大切なのはバランス
無理をしたときの揺り戻しが一番怖い

孫の本性、フジ・サンケイの終焉

2005年03月25日 21時51分50秒 | 1.心の叫び
小悪党の攻めに怯え、本物の極悪ホワイトナイトに身を委ねてしまったウサギちゃん。
薄っぺらい相手に怒り、本物の悪魔を利用しようなんてね。
つくづく、馬鹿だと思うよ。
放送の人は判らないのかも知れないが、通信やITの世界では、どちらが本物の腹グロか、衆知の事実だよ。
それだけ、放送は甘ちゃんなんだね。

それとも、プライドよりも大企業病、大きな会社に支配されて安心したいのか。

こそドロに軒を荒らされ母屋に入られそうになったから、助けてもらおうとすがった相手が地上げ屋だった
ということに、気付いてないないらしい。

お笑いや落語の世界だ。
お気楽もの達。
馬鹿は死ね。

お逝きなさい!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライブドアとニッポン放送

2005年03月24日 11時09分39秒 | 1.心の叫び
ライブドアでもどこでもいいんだけど、ニッポン放送とインターネットの融合と聞いて拍手喝采した。

ラジオ好き。
深夜放送に聞き入った頃が懐かしい。

ラジオは弱者のメディアだという。
その通り。
子供の頃、親の目を盗んで深夜放送を聞いた。
一人の時、まるで自分にだけ語り掛けているように感じた。
朝の忙しい時、夕食の時、日曜の午前・・・。
どの番組も憶えている。
フェージングで蚊の鳴くような声、必死にツマミを合わせた。
しかし、私の住む場所は決定的にロケーションが悪かった。
ニッポン放送が入らないのだ。
色々努力した。外部アンテナ、部屋の移動、でもダメ。
友達に録音して貰いテープで聴いた。
でも、一人だけ、時間遅れの聴視。味気ないし、まわりの話題に着いて行けない。
聴きたい放送局をリアルタイムで聴けない。
生放送のインタラクティブな企画に参加出来ない。そんな思いでいっぱいだった。

融合の話を聞いて思った。
目の前のパソコンがラジオになるのか。
一対一の通信が可能になるのか。
リアルな企画に参加できるのか。
そしてパーソナリティは変わらず、自分だけに語り掛けてくれるのか。

今でも同じ思いがある。
テレビ埼玉のGO GO REDS、横浜に転居してから見られなくなった。
ケーブルテレビで千葉やメトロポリタンは見られるが、TV埼玉やおはよう群馬ちゃんは見られない。

放送は通信の一部だよ。
インターネットでも発信してくれよ。

私もハムだから電波の良さは判る。
でも、あなたの局の番組を見たい、聴きたいという要望に応えてくれてもいいじゃないか。
勝手に作った自分達の殻に閉じこもってるんじゃないよ。
逆にインターネットを飲み込めよ。

地球の裏側にも中島みゆきのリスナーがいるなんて、わくわくするじゃん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定年退職

2005年03月18日 23時45分55秒 | 1.心の叫び
「尊敬する先輩へ 感謝の言葉」

最初に出会ったのは10年前、T200MSセンタの更改の時でした。
出逢った最初から、強烈なインパクトがありました。
私は技術支援担当でサービス企画や実験システムの構築、方式支援をやっていて
UNIX、LAN、RDB、分散処理など自信過剰だった。
汎用機? そんなもん古いよ。
そんな私に先輩は、この厳つい顔で「理論だけの評論家はいらねぇんだよ」とカウンターパンチ。
しかし、実際に手がけて見ると、学ぶべきところがとても多かった。

こんなところにスーパーSEがいた。

方式論はもとより、商用オンラインシステムの厳しさを教えて貰いました。

特に、技術よりも「考え方」「心構え」、そういうことを多く教えて貰いました。
例えば、
「コンソールメッセージは情報の宝庫だ」
「そこに出てるメッセージの一字一句たりとも、見逃すな」
「説明のつかないメッセージは絶対にないはずだ」
「基本設計では中の作りに踏み込むな」
「処理はブラックボックスで考えろ」
「入り情報と出の情報と周期、タイミング」
「それだけを考えて、業務運用、サービスが回せるかを考えろ」
当たり前のことだけど、教科書や技術書、標準類には載ってない言葉でした。
システム作りのノウハウって、そういうことなんだと思います。


仕様書が一切無い中での8000TBOXの全面切替えは大変だったし、痺れました。
今だから言うが、一ヶ月の超勤が×××時間を超えてました。
しかし、一円足りとも不払いもなく、課長から引っ張り出してくれた。

それから大阪。
T200大阪戦争の時は、先輩、私、京太郎でレイバン組を結成し、堂島へ乗り込んだ。
関西支社のメンバが震え上がらせた。

いつの間にか、管理する側になりましたが、きついお小言は今も続いてます。
「ここのやり方は特殊だぞ。これを普通だと思うなよ」
自信過剰ぎみだったので、今回、お客さんが変わって、その言葉の意味が良く理解できた。

42年間、本当にご苦労様でした。
第二の人生がどういう形になるのか判りませんが、
これからもずっと、週末は三ツ沢の丘の上で待ってます。
例のレイバン姿で三ツ沢のバックスタンドに居続けて下さい。

ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世知辛い世の中

2005年03月11日 23時06分53秒 | 1.心の叫び
なんとも世知辛い世の中になったもんです。
勤務先のビルでは、出入りの時に荷物検査が行われるようになりました。

情報漏洩、個人情報保護、テロ警戒・・・。

信用、社員を信じるという言葉は死語。
全て『性悪説』ですよ。

持ち込み禁止品のリストまで作っちゃって。
ノートパソコンだめ、PDAだめ、USBだめ、カメラだめ・・・。
おまけにモデルガンだめ!! (爆)

この「モデルガン」条項、社内ではかなり笑いものになってます。
「だれがモデルガンなんか持ち込むんだよ。そんな人いるか。」って。

職場にモデルガンを持ってくる人・・・私、知ってます。
恐れながら・・・。
私です。(爆)

だめなのか、モデルガン、ダメなのか!!
私としては、かなりショックでした。

通勤途中で通行人目掛けて襲ってくるカラスを撃ちまくることが出来なくなってしまいました。
つまらん。

今朝、駅で久々に金時計さんに会った。
「昔は今じゃ考えられないこと、沢山あったよね。大らかというか何というか」
と言われた。
「超勤簿なんか、一か月分まとめて判子押したりしてたよね。」
確かに、ここまで世知辛いことは無かったよね。

当時の新入社員は、セクハラなんかも普通でした。(汗)
女性社員との朝の挨拶が『オケツの引っ叩き合い』だったし。(笑)

今やったら、ホットラインに通報されて『お解雇さま』になっちゃう。

「あ、うんの呼吸」というか「間(ま)」というか、
許されることと許されないことは呼吸の問題で、
踏み込んではいけない領域、嫌だという気持ちは伝わって来た。
人と人の気持ちと気持ちの相互関係から、一人ひとりが判断出来た。
杓子定規に全てを判断したり、画一的に物事を切り捨てることはなかった。
それがチームワークだった。


いま鞄の中に入っている「タイガーマスク」は、やっぱり危険物・持ち込み禁止なのかな。(爆)
ネタが仕込み辛い世の中になってしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする