忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

1000の風にのって

2010年04月22日 | 過去記事
ガチコメタンクの車高は18.5メートル。「高さ制限2メートル」の駐車場などにスッと入れるのだが、それでも慣れるまでは怖かった。背の高い人が鴨居で頭をぶつけるようなもので、ぶつかったら車の天井がめくれるのではないかと、怖々とゆっくり入ったりしたものだ。いや、正直に言うと、今でも少し怖い。

まあ、なんでも「慣れ」というものは怖いもので、運転の仕方なども慣れてくるとだらしない姿勢でしてしまうものだ。我妻も「片手ハンドル」が癖になっているから、いつも私に叱られている。中には片手ハンドルどころか、指を一本だけハンドルに当てて調整しつつ、片膝立ててリラックスしている人も見かける。いずれにしても、私にはできないアクロバティックな芸当である。それで80キロとか100キロで道路を走るわけだから、もはや、「車の運転」という常識に曲乗りしているようなものだ。

今日21日、大阪府の天王寺区で大型トレーラーがコンテナの高さを忘れ、高さ制限を示す鉄枠にぶつかった。後続車のドライバーは飛んできたコンクリート片が当たって頭蓋骨を折って重傷だ。トレーラーを運転していた35歳の男は「行けると思った」と話しているというが、「知らなかった」で逮捕されない総理がいる国ながら、当然、現行犯逮捕されて業務上過失傷害や器物損壊罪で起訴されることになろう。

幸い、まだ、35歳で被害者も死ななかったし、重傷であっても重体ではないから、命は助かる可能性が高い。然るべき処分を受けて心の底から反省し、被害者にも謝罪して賠償すればよかろう。まだ、やり直せるはずだ。今後はもう「思った」で危険で迷惑なことをしないよう、また、「思ったから(仕方がない)」ということで免罪されるなどということはないのだから、己が積んでいるコンテナの高さと握るハンドルの重さくらいは把握して生きて行けばいいと「思う」。でもきっと、こんな「思い」などは通じない。

そういえば、どこかの総理大臣も「思い」によって周囲にコンクリート片をまき散らしている。「いける」と思ったのか知らないが、むちゃくちゃやって日本の国益をむちゃくちゃにしている。今日、3回目の党首討論の中継を見たが、地面にめり込むほどの自国民の呆れた「思い」は友愛に伝わらないのだろう。記事にもあるが、党首討論の最中、民主党の議員は居眠りしてたり携帯触って遊んでいたらしいが、その怠惰こそが「日本国の将来」に対する政権与党にいる国会議員の「思い」なのかもしれない。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100421/plc1004212131024-n1.htm
<「愚かな首相かも」発言 普天間問題での窮地あらわ>

ところで―――

友愛総理にしっくりくるこの「愚」という漢字は「禺」と「心」からなる。「禺」を調べてみると「猿が人真似をしている様」だとあった。なるほどである。国民から「じゃあ、なぜ、こんなことをしたんだ?(するんだ?)」と理解不能なことばかりするのも頷ける。要は、見よう見まねで猿マネをしているだけだと知れる。そして、猿回しよろしく、ちゃんと「回している奴」がいたりもする。さらに、その「禺」の下に「心」だ。よくわからず「思い」とか「気持ち」とか「こころ」とか「いのち」とか言うはずだ。笑うほかない。

この哀れで愚かな総理が「思い思い」というたびに日本国民は頭が重いわけだが、このボンクラが意図的であれ阿呆であれ、日本の政治を混乱させている状態を喜んでいる国がある。北朝鮮と、ここだ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100421/plc1004212017022-n1.htm
<中国艦艇の近海通過問題 中国艦載ヘリが護衛艦にまた接近>

「武力行使」とは実際に銃を撃ったり、ミサイルを飛ばしたりすることだけではない。「武力による威嚇行為」も立派な武力行使である。要するに「段階の話」であり、警察官が銃を抜いて威嚇した後、発砲するかどうかを見極めるのと同じだ。つまるところ「撃つ」という行為を否定していないということだ。「近接飛行する」ということは、友愛の常識では「手を振ってくれた。がんばって、監視するんだぞという思いをいただいた」くらいにしか思わないかもしれないが、これは普通、国際常識でいえば「威嚇行為」と呼ばれる軍事行動だ。その意味だけであれば、いわゆる「威嚇射撃」などに等しい。邪魔すんなアル!と言われたわけだ。

また、昨日、支那共産党人民解放軍に属する駆逐艦の速射砲が、なんと、日本のP3C哨戒機をロックオンしたというニュースもあった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100420-00000095-jij-soci
<海自機に速射砲の照準=中国海軍の駆逐艦、東シナ海で-関係筋>

「事業仕分け一覧表」のパネルを作っていた報道ステーションは「火山灰」と「スペースシャトル」にも礼を言ったほうがいいが、これはもう、どのように友愛で解釈しても「撃墜するぞ」という意思表示に他ならない。がんばれ、という「支那なりの応援」でもないし、なにやってるんだ!という叱咤激励でもなく、こんなもん、どれほど友愛的に解釈しても「撃ち落とすぞという思いをいただいた」しかない。

すなわち、

当然ながら、言うまでもありません、様々な考えからも、撃ち落とさないでくれ、という日本の思いを伝える必要があるわけでありまして、私どもといたしましても、それは当然、撃ち落とされてはならないものですから、精一杯、その気持ち、思いというものを共有してまいりたいと思っているわけでありますから、しかし、だからといって、日本近海を通過する行為自体がダメだということは、べつに法で決まっているわけではありませんが、中国の方の気持ち、あるいは連立与党の方々、日本国民の気持ち、これらを大切にせねばならないという思いで、いま、やっている、誠心誠意、政府が一致協力して、全力で取り組んでまいりたいと思っている次第でありまして、日本の自衛隊の船に中国の方のヘリコプターが近接に接近するということは、ある意味、日本と中国の接近ともいえるわけでありますから、緊密な日中関係、あるいは近接する日中関係、まさにこれこそが友愛外交なのかもしれませんが、私は、全く知らなかったことでありますから、これは天地天明に誓って知らなかった、知る由もなかったというのが、ある意味での真実でもありますので、それはヘリコプターを操縦なさっている中国の方の気持ち、あるいは、思いというものを―――ということだ。




話を少し変えよう。

この友愛総理もよく「思いが伝わる」などと抜かす。はっきり言って小児病だ。私の主観で申し訳ないが、例えば、その「思い」とやらを1000としよう。総合計が1000だ。

そのうち、親に伝わる「思い」とやらは、おそらく「200」くらいあれば、相当な仲良しではなかろうか。旦那や嫁に伝わる「思い」など「50」もあれば家庭円満、夫婦円満、理想的な仲良し家族だと思う。繰り返すが、私の主観である。

つまり、「自分の思い」など伝わってたまるか、というのが、私の38年間生きてきた結論だ。「自分はこう思っている」とか相手は知らない。全部知る必要もない。基本、そのようなものは伝わらないのである。まさに「ゼロベース」なのだ。「ゼロ」が基準である。名前を知ったら「1」だ。電話番号を知ったら「2」だ。住所や仕事、家族構成や好きな食べ物、いろいろ知っても半分はいかない。およそ人間関係のトラブルというものは、これがわからないから(期待するから)発生するのである。これを知る人を大人という。

「旦那がわかってくれない」とか「妻が理解してくれない」は子供の理屈である。だから大人の営みである同居や、大人の約束である結婚というものが上手くいかないと嘆くのである。もちろん「子供が何を考えているか分からない」という親の不安も同じく、心配せずとも子供も「親が何考えているか」など知らない。当たり前なのだ。

また、「知らないことが前提」だったり「伝わらないことが当然」ならば、いらぬ期待もするまい。ならば、妻が誕生日を覚えてくれていただけで舞い上がるほどの感謝を得ることができる。そして「感謝は連鎖する」から、相手はもっと知ってくれるし、その「思い」とやらも、微量ながら伝わる量が増えるわけだ。

あとはそれをずっと続ければ、死ぬまでシワワセなことうけあい。何はなくとも楽しい我が家、妻は僕の太陽です、お前が産まれてくれて本当によかった、といえるわけだ。偉そうに書いてすまんが、いわゆる「幸せそうに見える人」はみんな知っていることだ。

何事もそうだが、「ある」という前提だから「ない」と嘆かねばならん。怒らねばならん。文句も出るし愚痴も吐かねばならん。そして、感謝も連鎖するなら「不満」も連鎖する。周囲がギスギスして、距離が離れていく。「思いが伝わらない」や「自分のことをわかってくれない」と嘆く者は、ますます伝わらないし、わかってもらえなくなる。言うまでもありません、それは当然のことながら、友愛総理のことでありますとらすとみ。


その「1000の思い」――――は、妻に「50から60」であり、友人に「10ずつ」であり、オカンには「100」くらいしか伝わっていないかもしれない。虹の会長には「3万」ほど伝わっているととらすとみだが、それでも重なっている「思い」もあるから、私の中にはまだ「867」くらいの「思い」が残っているのかもしれない。おそらく、人は死ぬまでに「思いの残高」を「ゼロ」にすることは不可能だろう。しかし、それは問題ではない。

私は「思い」を受け取るほうが大切だと思う。「わかってもらう」ことよりも「わかってあげる」ほうが大切だし、「伝える」ことよりも「伝わる」ような人間でありたいと思う。


「わかってください」しか言えない総理大臣も、なにも「わからず」にそう教えてくれている。

2 コメント

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Unknown (久代千代太郎)
2010-04-22 15:27:37
>▲

連休なんぞあるかいだ。

金曜日、早めおk。
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Unknown ()
2010-04-22 12:11:04
バー山田のGWの休みはいつですか?

今週金曜日僕も行きます。

早めに飯でもどうですか?

理事長・先輩へ

どうですか?
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