忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

疲れる話。

2012年08月17日 | 過去記事

夜勤の際、ノンアルコールビールを飲んでいた。私も世間の中年男性と同じく、コーラーなどの炭酸飲料では甘すぎる、と感じる。食事の際はお茶か水を飲むが、汗だくになったあとぐびぐびとやるには、まあ、好ましいモノだった。

職場の上司とも一緒に飲んだ。いまは「梅酒」やら「カクテル」やらのノンアルコールもあるから、他の職員に差し入れもしていた。女性職員も「おいしー♪」とか言って喜んでいた。それに「キリン・フリー」や「アサヒ・ゼロ」などは「アルコールを一切含まない製法」とのことでパーキングエリアでも売られて久しい。だから2009年から「ノンアルコールだと思って飲んでいたら飲酒検問に引っかかった」みたいな話も無くなった。

その「ビールテイスト」の「清涼飲料水」が職場で問題になった。職員の誰かが施設側に問題提起したそうだ。こんなものを職場で飲んでもいいのか?ということだ。一緒に飲んでいた上司が私に言ってきた。「施設の上長」から電話があった、とのことだった。

「アルコールじゃないんですけどね」が上司の言い分だった。私も同意したが、それでも「所属長がダメだという判断なら従うべき」として止めた。それだけだった。「誰がそんなことを・・・」という「犯人探し」にも興味ない。それにそんなに飲みたいわけでもない。私も帰宅してから「本物を飲む」ほうが良いに決まっている。

1週間ほどが過ぎた朝、直属の上司がまた、私のところに申し訳なさそうにきた。「始末書を提出するよう」と言われたとか何とか。ちょっとマッテください、始末書というのは何らかの過失があり、あるいは規定違反を行い、それに対して謝罪を込めた改善策を提示し、反省の意を述べることですよ、と確認した。上司は困ってしまった。

屁理屈を並べる気は毛頭なかった。あくまでも常識的に「組織が止めろと言うなら」と大人の対応をしただけだ。それを形に残る、あるいは公式に「非を認める」ような悪事を犯した覚えはない。私は上司に告げた。どういうつもりなのか、問うてきます―――。

仕事が終わってから上長のところに行った。この人は中年を過ぎた女性で理事長の娘。職場内の「オバサン連中」の派閥トップだ。50代を目前にしながら独身、酒を飲めば未だに「学生時代はチェーンで相手を殴り倒した」とか自慢するアレだった。会議の際、配布される資料の誤字脱字は壊滅的だが、そんなアレだから誰も注意も指摘もしない。要するにそういうことなわけだが、十数分、コレと向き合って話して仰天した。

私は「酒を飲んだ」ことになっていた。それから上司も一緒に飲んでいたと。おまえら、いい年して恥ずかしくないのか?とボロクソ扱いだった。

私は「酒じゃなくて・・・」と意見したが、半ば呆れたように一笑に付された。世間知らずのあんたは知らないかもしれないが、ノンアルコールビールには微量のアルコールが含まれているのだと。それから未成年にも販売していないだろと。こっちはちゃんと、あんたが言い分け出来ないようにメーカーにも聞いたし、警察にも問い合わせているんだと。

でも今回は勘弁してやるから「とりあえず」「一応」始末書を出しておけと。

私は「出しません」と一喝した。この「古いタイプのスケ番」は驚き、それから「ほう」と言った。明らかに舐めている。私は「事実誤認が甚だしい」と指摘し、未成年に販売している店舗はあると言うこと、アルコールを一切含まない製法で製造されている「清涼飲料水」だったということを告げた。それから「施設がダメ」というなら従うとも付け加えた。抗っているわけではない。職場の上司も一緒に飲んでいたし、他の職員も知っていたし、いままで1年以上、誰にも何にも言われなかったから「OK」だと思っていた。しかし、それでもいま、施設が「やっぱりダメ」なら文句もない。別にどうでもいいと。

ところで、私が飲んでいた「清涼飲料水」の銘柄は?と問うた。「スケ番」には「そんなことしるかいな」と鼻で笑われた。銘柄を知らないのに、どのメーカーにどう問い合わせたのか?と再度問うてみたが、これも「勘違い」を基盤とする妙な自信の前では無駄なことだった。「スケ番」は「ンで?じゃあ、どうするの?」ときた。

「辞めさせてもらいます」を期待したのだろうが、私は「とりあえず」「考えさせて下さい」ということで部屋を出た。もちろん、辞めてもよかったのだが、コレはそういう話でもない。私はそれでは、そういうことで、と職場に戻ると、噂好きの何人かが「どうなった?」を連呼した。どうもこうもない、私は始末書なんか出しませんから、と告げて帰宅した。


次の日、職場に行くといろいろとわかってきた。職場には「あいつが無視した」とか「あいつから無視してきたんだ」というレベルの阿呆がいる。この阿呆を率いるのもいる。そのボスが「スケ番」だった。これが煽られ、よっしゃ、あいつは前から生意気だった、この機に〆とくか、みたいになっていた。私は呆れて、それから腹が立ってきた。

妻に確認すると「GO」が出た。やっちゃえ、ということだ。

職場には常識ある人もいるし、尊敬に値する人もいる。そういう人らは私に「相手にしなさんな」と言った。阿呆を相手にすると損するだけだと。「始末書」で済むなら、そんなもの、ナンボでも書いてやればいいと。直属の上司も言った。どうかひとつ、穏便に、と。ボクも始末書書きますから、ということだった。

「だからダメなんだ」と思った。これは矜持の問題だ。プライドの話だ。私は仕事中、酒を飲んで酔っ払ってジジババの介護をしていたのか。私はそんなダメ人間ではないし、私がそんなダメ人間なら、その妻や子はどうなる。親や友人はどうなる。こんなダメ人間に「おとうさん」と呼び、一家の長として重く接し、友人は親しくしてくれているのか。

「とりあえず」とか「一応」で済む限度というモノはある。国家でもそうだ。外国が「日本嫌い」とか「日本は悪い」と思うことも教えることも勝手な話だ。しかし、それを根拠にして外国に広める、あるいはゆすりタカリを行う。プライドを踏みにじり、尊厳を汚して身勝手な主張を止めない。こういう相手に「とりあえず」とか「一応」としてきた戦後六十数年、その結果はどうなっているのか。

「名誉」というモノを舐めてはいけない。いくら金を持っていようが、喧嘩が強かろうが、侮られて放置すれば、必ず、致命的な実害を被ることになる。「このくらい」と譲り続ければエスカレートする。普段は大人しく、且つ、腰が低く、気弱な中年男性を気取る私だが、家に帰って「仕事場で酒を飲んだ」ことを咎められて始末書を出した、と我が妻や倅に言えばどうだろう。でも、心配しないで、ホントは飲んでないから、と言ったところで、さて、そこで尊敬や信頼は得られるだろうか。こいつ馬鹿なんじゃないか、と一層、侮られることだろう。その妻や子は本人以上に自信を喪失させ、自身の値打ちに疑問も抱くことになろう。それはいま、日本の現状に近いモノがある。政治家が馬鹿にされる原因だ。

政府のホームページには「北方領土は日本の領土です」とある。でもメドベージェフは平然と国後島に不法上陸する。「拉致被害者を奪還する」とは聞こえてくる。でも具体的にどうするのか、はまったくわからない。竹島もそう。「竹島は日本の領土」とは聞こえてくる。でも「隠岐・竹島地方」の天気予報もない。理由は「住民に対する生活情報の提供の必要がない」がひとつ。竹島に島根県民は住んでいないからだ。それから「現地の正確な観測が出来ない」になる。竹島に観測機器が置けないからだ。でも、それでも「日本領土なんですよ」と言われる。阿呆か、となる。


私は過去、ウマい交換条件を提示されたこともある。どうかひとつ、穏便に、だ。もしくは「偽善ぶってないで、キミも甘い汁を吸いなさい」だった。パチンコ屋時代のメンターは「清濁併せ飲む」も言った。もちろん、その言葉の意味は理解しているから、少々、どうでもよろしいことは「負けるが勝ち」もあった。人間というモノは私も含めて身勝手な生き物、結局は自分のことばかりになることも自明だ。しかし、例外はある。自分の身が危険に曝される場合、それから「名誉を失う場合」だ。これは受け入れると内部から崩壊する。人間にとっての身体生命とは代わりの無い大事なモノだが、それと同じくらい「誇り」とは大事なモノだ。身体が朽ち果てるのと「魂が腐り果てる」のは、そのどちらも重大な結果をもたらしめる点では同根だ。

道端でチンピラにイチャモンをつけられ、肩がぶつかった足踏んだとからまれる。これには「すんません」でも問題ない。相手が舌打ちし、けっ、この根性無しめが、と侮るなら放っておけばいい。なんの害もない。コンビニの前に屯する輩も同じ。害が及ばないように素通りすればいい。治安の悪い国で遊ぶ時のように、この連中とは住んでいる世界が違う、と遠ざけるほうが賢明であり、インドやアフリカの貧民街を牛耳るマフィアに喧嘩を売り歩く必要がないのと同じことだ。

しかし、その貧民街のチンピラに、いま、まさに愛する女性が襲われようとしているなら話は別だ。これは言うまでもなく、命を投げ出してでも護らねばならないし、救わなければならない。我々なら「近づかない」という選択もあるが、これが国ならばそうもいかない。だから普段から「そのとき」の用意も訓練も覚悟もしておくことが肝要となる。これは普通、諸外国では「国防」と呼ばれている。日本にだけ存在しない常識だ。




職場の話に戻そう。私が危惧するのは、つまり、そういうことなのだ。「この件」で私が「大人の対応」とやらで泣き寝入りする。それはいくつか「立派な理由」も思いつく。生活のためだ、とか、上司の顔も立てなきゃ、でもいいだろう。しかし、その結果はどうなるか。

私は私のことでは怒らないと心に決めているが、妻を愚弄されたら許さないとも決めている。これは職場の人らにも浸透し始めている。私は「怒りませんねぇ~」とか感心されたら、そうですか?と共に「家族を愚弄されたら許しませんけどね」も付け加えているからだ。職場にもし、これを冗談だと思う馬鹿がいれば、私は相当に酷い怪我をさせるだろうし、胸を張って懲役15年以下、または五十万円以下の罰金刑を受け入れる。

つまり、私が「大人の対応」をすることにより、現在、舐められているのは私だけとしても今後、私の眼前で公然と妻を愚弄される可能性が高まる。「とりあえず」とか「一応」で始末書を提出、場を穏便に済ませることを優先させて矜持を捨てるようなオトコ、その妻が馬鹿にされることも容易に想像できる。そして、そのとき、私は暴力に訴える可能性がある。すなわち「予防的防衛」なのだ。舐められない、は平和主義のことなのである。

私は職場の同僚から、その短い物差しで計られて勝手に舐められることもある。だから本人には言えなくとも「ノンアルコールビールを飲んでいる」と「スケ番」に言いつけるのも存在する。ということは、ここで「すんませんでした」と頭を掻いて誤魔化せば、その誰かは知らない同僚が肥大化することになる。嫌な仕事を押しつけられるくらいは当然、衆目の中、罵倒される日も来るだろう。その連中の「ご機嫌次第」で扱われ方も代わり、いずれは缶コーヒーを奢れと言われ、それから居酒屋を奢れと言われ、迎えにこいとか送って行けとか、軽くぞんざいに扱われ始めるかもしれない。そしてそういうオトコは大したことないから、その妻も馬鹿にして良いことになる。酒の肴に「こんなオトコのどこがいい?おまえの嫁も同レベルなんだろう」とか馬鹿にされるかもしれない。期待するのは「そんなこと言っちゃ可哀そう」という偽善者の含み笑いか。そういうのが最も達が悪いと相場は知れているが、いずれにしてもお先真っ暗だ。


私はその日の帰り、さっそくにも施設長のところへ行った。昨日に書いておいた「意見書」を渡してから、もう一度、詳しく事情を説明した。それから「私が職場で酒を飲んだ」と認めることはあり得ません、と宣言した。徹底的にやりますと。再考することを勧めた。

天下りの施設長は必要以上、長らく書面に目をやってから、明らかに狼狽した。それから「ちょっと検討させてください」と言った。私は快諾して帰宅した。

翌日、施設長がへらへらしながら、もう、あれで結構ですから、とだけ言って立ち去ろうとした。私は引き止めて「何がですか?」と確認する。すると「ノンアルコールの件です」としか言わない。苛立ったが我慢して、つまり、どういうことですか?と続けた。

この御仁は何かを誤魔化すようなニヤけた顔で「いや、あの、書いてあった通りで・・・・」と言葉を濁した。私は溜息を吐き、始末書というのは「とりえあず」とか「一応」で書くものではないと言うこと、それを書けと従業者を処分するならそれなりの根拠を示さねばならないこと、軽微な法令違反を犯したモノが書かされることもある公的な書面であることなどを説明したが、この御仁はもうなにも聞いていなかった。

15日の朝、夜勤明けの私は朝礼に出ていた。何人かの現場責任者を含み「スケ番」もいた。そこで天下りが満面の笑顔で「今日は何の日でしょう?」とクイズをやった。栄養管理の責任者が「原爆の日?」と言った。施設長は「惜しい!!」と笑った。私は下を向いていたが寝てしまいそうだったので顔を上げたら目があった。「ちよたろさんはどうです?わかります?」と小馬鹿にした顔でやられた。

「敗戦の日です」

と言ったらまた「惜しい!」だった。正解は「終戦記念日です」と。

私は「はぁ・・・」という程度だったが、この天下りは「その理由」を説明し始めた。単なる「戦争に負けた日ではない」ということらしく、いわゆる「15年戦争」が終わって日本の罪なき国民は救われたのだと。日本という国はその昔、韓国や北朝鮮を侵略しただけではなく、罪もない中国人も二千万人以上殺したのだと。それから従軍慰安婦の強制連行、南京大虐殺も嬉しそうに言い、それだけではなく東南アジア諸国も蹂躙し、世界を戦火に巻き込んだ悪の帝国だったとか、それが連合軍にコテンパンにされて「無条件降伏」したとか、まあ、酷い有様だった。つまり、馬鹿丸出しだ。

それから「平和憲法」だった。この御仁は毎年、この15日が来ると「平和憲法を守って行かなければ」と決意を新たにするのだそうで、みなさんも8月15日は戦争と平和について考えてください、と〆て悦に入るのだった。

ここで止めておけばよろしいのに、この御仁はまた、私にかまってきた。過日の「ノンアルコールの件」が疾しかったのか、私の無知をからかいたかったのか知らないが、この後、続けて「ちよたろさん、いくらなんでもポツダム宣言とか聞いたことくらいあるでしょう?学校で習いませんでした?」―――




―――その前に「敗戦の日」でなにも違いません。「終戦記念日」は一般的にそう呼ばれているだけです。占領軍の造語です。正確に言うなら8月15日は1982年に「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として閣議決定されてます。あ、祈念は祈るに念じるの祈念です。あとサンフランシスコ条約の1952年までは9月4日が「敗戦の日」とか「降伏の日」とされてました。どこの世界に「戦争に負けたこと」を記念して喜ぶ馬鹿な国がありますか。それからポツダム宣言ですか?コレもその前に「無条件降伏」もよくわかりませんね。これも有名な話ですが、同宣言書の第5条には「吾等の条件は左の如し」とあります。つまり、無条件降伏と表されるのは軍隊だけです。どこの世界で戦争に負けただけで「無条件」で国を好き勝手してもいい、とかいう馬鹿な国がありますか。それから、ええと、中国で二千万人?それはどこで聞いた話ですか?いわゆる「慰安婦」も「南京」もいま、100歩譲っても世間では議論が割れています。私はなかったと考えておりますが、いずれにしても「あった」前提で思うことは勝手ですが、このような場で事実として扱うのは感心しませんね。それから私は「改憲論者」です。「憲法9条」なんて馬鹿だと思ってます。いま、竹島が騒がしいですが、アレ、憲法9条でなんとかなりますか?尖閣諸島は?拉致被害者は?現実離れした戯言にしか思えませんね。おっと、まあ、こんなところでこんな話をしても場違いですから。もう結構です。以上です。




天下りはストレスを噛み潰したような顔になり、その横にいた「スケ番」は馬鹿みたいにあんぐり口を開けていた。少しの沈黙があってから、お疲れさまでした、となって解放される。現場に戻る私を追いかけてきたのは「一緒にノンアルコールテイスト飲料」を飲んだ上司だった。「いやはや、なにも言えませんわ・・・」とのことだったが、私は現場にいる何人かのお爺ちゃんの名を出し、あの人は帝国海軍の一等水兵さん、あの人は陸軍に所属していて満州にいた、とか紹介した。

「高齢者を敬え、とか言うなら、本当はこういうことをちゃんと教えればいいんです」

上司はもう一度「なにも言えませんわ」と言ったあと、自分も始末書の提出を拒んだことを教えてくれた。「提出するなら辞めますから」と言ったそうだ。まだ、ちょっと甘い。

2 コメント

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Unknown (久代千代太郎)
2012-08-26 12:05:59
>りじちょ

解決策、それで結構です。ノンはダメです。インかオンで頼みます。京橋に行きます。
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読んでいて... (近江謄写堂)
2012-08-17 17:56:05
お疲れさんです。
読んでいて、こっちまで熱くなってしまいました。

どないしましょう?

解決法として飲みに行きましょうか?

やっぱ、ノンアルコールビールで?
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