忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

求む。日本のトクトフ。

2011年01月18日 | 過去記事





戦国時代。尾張平野にある清州城の石垣が崩れた。信長は工事奉行を呼びつけて修繕にあたらせるも、作業が一向に進まない。そこで木下藤吉郎と工事奉行を交代させる。藤吉郎は職人を集め、先ず、酒を飲ませてスキンシップを図る。情報収集だ。

職人は「工事奉行は急げ急げと怒るのだが、我々はなぜに急がねばならぬかを知らない」と愚痴を垂れる。藤吉郎は「この城の石垣が崩れたという情報は、必ず、敵方に伝わる。そして城が落ちれば村もやられる。村にはお前たちの家族がおろう。すなわち、石垣を早く修繕するということは、お前らの家族を守ることになる」と教える。すると、職人らのモチベーションは高まり、そこに藤吉郎の「十人一組」による競争と分業を意識させる段取りが功を奏して、見事、清州城の石垣はさっさと修繕されましたとさ、という話がある。

これは「トップリーダー」と「中間リーダー」によるリーダーシップについて語られる際、よく引き合いに出されたりもする逸話だ。私はこの話を知ったとき、なんともまあ、木下藤吉郎はさておき、その前の名も知らぬ工事奉行に同情したものだ。

城の石垣が壊れているならば、そこを攻め込まれると危ない、というくらいは知っておいてもらわねば困る。もしくはその職人の中から、その程度の危機管理においては「共通認識」として、せめて仲間に広めようとする者がいてもおかしくない。しかしながら、この逸話は全くのウソなのかと言えば、それがそうでもないのだと、今の日本の現状などを見ればわかる。

戦国時代でこうなんだから、今やテレビ、新聞には「石垣があるから壊されるのだ」という馬鹿までが出てきている。職人は「戦の元になる石垣なんか作らない・作らせない・作ったものもいらない・議論すらしてはならない」と言って、それより米をたくさん作って売りまくり、大判小判を稼ぎましょうとやっている。

昨年の1月、私は生まれて初めての「ひとり旅」と洒落込んで数日間、京都を離れて長崎県の対馬に行った。どれほどのハングルが溢れているのかと楽しみにしていたら、笑って聞けぬほど対馬の島民は困っていた。韓国資本は先ず、空家になっている家や店を買った。それから土地を買い、建物を買った。商売するためだ。

旅行会社は韓国の旅行会社だ。島に行けば韓国人がホテルを経営し、韓国人旅行者相手に飲食店や雑貨店を経営する。「韓国人お断り」と貼り紙をして頑張っている店は閑古鳥が鳴く。日本人が来ないからだ。そうして、徐々に「韓国人が韓国人を相手に商売をする日本の島」という不思議な光景が出来上がった。これも随分前から危険視されてきたことだ。

2年ほど前、産経新聞が「国会議員を対象にしたアンケート」を行った。「対馬市美津島町の竹敷にある海上自衛隊対馬防備隊本部に隣接する土地が、韓国資本によるリゾートホテルになっていること」について、現役の国会議員721人に問うたものだ。結果は65人が「注視すべきである」と答えただけで、残りの9割はなんと「無回答」だった。民主党の現在の幹事長が外相時代に「竹島を不法占拠されているとは言いたくない」と言うのも無理からぬことだ。こんな小さな質問にすら「ノーコメントで」と言う日本の国会議員とは何者なのか。

また、私は6時間以上かけて上対馬にある比田勝港からフェリーで博多に戻ったが、その乗客数は私と数人の怪しげな韓国人だけだった。船内の貼り紙には「置き引き、スリなどに注意してください。手荷物の管理は十分に行ってください」と日本語だけで書かれていた。「トイレ」とか「毛布貸出あります。50円」とか「非常口」などはハングルもあったが、この貼り紙だけは「言わねばならない相手」が限定されているようだった。

そんな寂しい日本のフェリーは猛烈な赤字を出しながらも博多に着くが、ソウルから「コリア・エクスプレス・エアー」という直行便は20名乗りから定員50名の大型プロペラ機に変更された。ピストン輸送で韓国人を送り込んでいる。

対馬の市長は「韓国の旅行者が来なくなれば島の経済は持たない」とか言うが、韓国人旅行者は韓国の旅行会社のツアーでやってきて、韓国資本のホテルに泊まり、韓国のバス会社の車で移動して、韓国人経営者の飲食店で宴会をする。持ち込むキムチも韓国製だ。つまり、日本に金など落とさない。これもずっとわかっていたことだった。

その産経新聞がアンケートを取った海上自衛隊対馬防備隊本部に隣接する土地であるが、ここはもう韓国資本でリゾート施設が建っているのも周知の事実だ。しかも、この土地の買収の経緯が酷い話だったりする。

私もレンタカーで何度か走ったが、この美津島町竹敷にある、約1万平方キロの広大な土地には「大洋真珠」という会社があった。真珠の養殖業だ。ここに平成2年、天皇皇后両陛下が行幸啓されたわけだ。だからここに「行幸啓記念碑」がある。韓国のリゾート施設内に「行幸啓記念碑」があるのだ。だから、いくら私が在日でも見ていない。そのリゾート施設を利用するわけでもないから中には入れない。つまりは日本人も自由に見られぬ「行幸啓記念碑」なのだ。

とはいえ、この「大洋真珠」という会社が韓国資本に土地を売り渡したわけでもない。この経営者は当然のこととして、隣接する自衛隊基地に買って欲しいと要望している。しかしながら、この国のトップには一定数の阿呆がいるから予算を通さない。その手続きで苦労している間に「名義貸し」でやられたのである。こんな阿呆な国は世界に類を見ない。

韓国で韓国軍基地に隣接する土地を買おうとしても買えない。どころか、そこらへんの土地も韓国政府の許可なくして買えない。韓国には普通に「外国人土地法」があるからだ。支那は言うまでもなく、あの自由の国アメリカでも「エクソン・フロリオ条項」というものがあって、「CFIUS(対米外国投資委員会)」が米国の安全保障上問題ありとした場合、アメリカ大統領は問答無用で取引停止させる権限があると定められている。つまり、これは普通の国の普通のことなのだ。

竹敷町には「基地をぐるりと囲むように」韓国資本が入っている。これにはもう「安全保障の観点から~」などと言葉にするのも不毛に感じるほど、実に呑気な光景が広がっている。

対馬に着いて私が最初に宿泊したホテルは「非常口」の表示がハングルだけだった。私は従業員に問うた。どうみても「非常口」だったから、この韓国語はもしかして非常口ですか?と問うたのである。そして、これは消防法に違反していますよね?と言ったら笑われた。まさに「どこの国なんだ?」である。








ンで、言うまでもなく、同じく深刻なのが支那だ。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110117-00000087-san-pol
<土地買収深刻、無警戒さ露呈 中国、ニッポン席巻>

<全国各地で中国系資本など外資による土地買収が深刻な状態になっている。水源地や森林だけでなく、中国資本が企業を買収して「中華街」のような街を作ったり、中国領事館が市中心部の広大な土地を買収しようとしたケースもある。背景には、経済成長著しい中国に期待する地方の疲弊があるが、中国の席巻によって危惧される景観や治安といった面への警戒感は伝わってこない>



私は支那へ行ったことはないが、日本にいる支那人は知っている。もちろん、他の在日外国人と同じで良い人も悪い人もいるだろう。しかし、同じような肌の色ながら、これほどまでに違うのか、と絶望的な気持ちになったこともある。小さい話からしよう。

私がパチンコ屋で店長になったばかりの頃、アルバイトで支那人娘を採用した。日本語はペラペラだし、若くて可愛らしい女の子は貴重な戦力だった。その際、先に勤めていた女性アルバイトが「その人(支那人娘)を知っている」として強烈な嫌悪感を示したことがあった。その女性アルバイトは、若くてもしっかりしていて穏やかな性格だったから、私はそのあまりの露骨さに少々面食らったほどだ。しかし、放っておくわけにもいかず、私はその女性アルバイトと面談して宥めてみた。彼女はまあまあ、と説得する私を諦めた視線で見据えながら「(採用するなら)絶対に後悔しますよ」と断言した。


結果から言うと、私の判断が甘かった。初日からロッカーが荒らされた。

私が店舗を管理し始めて以来、店舗内での「盗難騒ぎ」などなかった。幸い、被害者と言うか、盗まれたモノはなかったが、ただ、バッグが開けられていたり、ロッカー内の置き場所が変わっていたりと、女子更衣室を使用する従業者全員が「何らかの被害」を訴えていた。店舗のハウスルールが周知徹底されており「貴重品」がなかっただけだったのだが、その「何かを探す執念」が伝わるほどの荒れようだった。次の日、私はその「支那人娘を知る」という女性アルバイトに「詳しいこと」を聞いた。

以前、働いていたパチンコ屋で一緒だったという。彼女はやはり、私の見立て通りの優しく常識ある女性であったから、その支那人娘とも仲良くしていたのだという。そしてある日、その店で盗難騒ぎがあった。疑われたのは支那人娘だった。

その女性は支那人娘を庇った。一方的に決めつけるのはよくない、と良識ある対応をした。その支那人娘も、なんと「わたしじゃない」と泣いたのだという。泣き叫びながら自分のロッカーを開けて見せ、ほら、どこにも盗ったものなんてない!とやった。庇ったその女性と友人らも、そのロッカーの前で「みんな謝りなさいよ!」と支那人娘を擁護した。支那人娘は泣きながら「ありがとう」を繰り返した。ちょっとした「日中友好」である。

その夜、ファミレスで食事をしたらしい。「日本で疑われた可哀そうな支那人娘」を何人かで囲み、あんな日本人ばかりじゃないからね、私たちは信じているからね、と励ましたそうだ。その支那人娘は感謝の念にかられて、泣きながら「シェイシェイ」とでも言うのかと誰もが思ったその瞬間、支那人娘はクスクスと笑いだし、その次、じゃぁ~ん!と誇らしげに自分のバッグから財布を取り出した。無くなった財布だった。

手を叩き、大爆笑しながら、涙ながらに庇ってくれた周囲の日本人娘を指さして笑った。そして「あんたらのお陰で助かった!今日は驕ってやるw」と言い出したのだそうだ。その後、唖然として席を立った周囲を不思議そうに見ていたという。その女性アルバイトは冷静に言った。「悪意がないんです」――――


これは往々にして「無邪気」などと解釈されることがある。罪悪感がない、悪意がない、とは日本人の文化、慣習からすれば、それらの行為は許されねばならない。「罪を憎んで人を憎まず」の社会的慣習からしても、悪気がないそれは責められることは少ない。

外国に行けば、空港やらホテルにしか自動販売機がないと気付くのと同じで、外国はなんとなく治安が悪く、日本はなんとなく安全安心だと思うことは、その実、間違ってはいない。しかしながら、それの根拠とは「日本における犯罪とは悪意に基づいている」という民度の高さから成る「奇跡の治安」だったりする。

すなわち、罪悪感を伴う犯罪行為というものは「日本的発想」なのである。支那はもちろん、その他の多くの国で行われる犯罪とは辛うじて「悪いことだけど仕方がない」というレベルにある。そこから少しでも外れると、もはやそこに「悪いこと」などという概念は存在せず、ただ、やる・やらない、の選択肢だけが転がっている。捕まらねば「やる」し、リスクがあるなら「やらない」というだけだ。

天安門広場に孔子の銅像が出来たらしいが、これが大変な不人気だそうだ。毛沢東の肖像画はともかく、毛主席の銅像もないのに孔子ごときが立体的な像を建てるなど何事か、ということだろうか。その孔子は「渇しても盗泉の水は飲まず」と言った。この「盗泉」とは「盗んだ水」のことではなく、山東省泗水県にある実在する湖の呼称だ。要するに孔子は「盗」という文字を嫌ったのだ。そのような「美学」が現在の支那人に理解されるはずもなく、だから天安門広場の銅像には支那人は近寄らない。

いま、日本全国各地で「支那化」がみられる。合法的に侵略され始めている。これを「侵略だなんて大袈裟な」と笑う奴には要注意だ。尖閣諸島の件をまだ理解できぬ阿呆はともかく、確信犯的に支那共産党に資する言動を常としているのがいる。

この泉田裕彦新潟県知事が<世界に誇れる中華街があれば新潟の宝物が増える。魅力的な構想だ>とか言うのもそうだ。これも無知が過ぎるか、意図的にウソをついているか、どちらかである。世界で日本以外に「中華街を作って欲しい」という都市があるだろうか。一所懸命に探せば、それは少しはあるかもしれないが、それよりも支那人が好き勝手やって困る、という都市は探さなくてもいくらでもある。

私はこの元仙台市長の梅原氏が言うことがマトモな認識だと思う。


<ただ、景観や治安の面から無警戒な進出を危惧する声もある。任期中の平成18年に仙台市内で進んでいた「中華街構想」を撤退させた当時の市長、梅原克彦氏は「地方の首長や議員の問題意識の欠如は深刻な問題だ。市民にとって本当に大切なのは街の安全や景観。目先の利益に目がくらんでいる」と警告する>




支那人は自国で土地が所有できないが他国に来れば話は別で、支那共産党が侵略するまでは外国の土地で好き勝手やってもよいことになっている。例えばその昔、モンゴルでは「土地の所有権」というものがなかった。父なる太陽も母なる大地も部族全員が自由に使ってもよいとされていた。これは王族や貴族でも同じことで、そもそも「大地を所有する」という感覚自体がなかった。だから早朝、いちばん最初に牧草地を使ったモンゴル人が、その日は「そこを使ってよい」とされるシステムだ。「早い者勝ち」というやつだ。

しかし、ここに漢民族が来る。彼らはフェンスを作り「所有」どころか「占有」を主張した。モンゴル人は漢民族が「早い者勝ち制度」を守らないことに驚いた。「そこにはそこのルールがある」というのは日本人なら理解できるが、どうやらこれは「人類普遍の価値観」にすべきかもしれない。相手がアフリカ奥地にある裸族でも、その部族のルールやモラルを理解しようとするのが日本人だった。よほどの人権侵害や生命と健康を害する風習ではない限り、日本人ならそれを理解して許容しようとする。白人は差別感覚からそれらを無視するが、支那人は単純にわからない、のであった。無視するのではなく、守れないのである。この時も当然ながら、モンゴルの民と衝突する。いらぬ血を流すわけだ。

モンゴルのゴルロスというところにトクトフというモンゴル人がいた。ゴルロスというのは今、支那が勝手に「吉林省」と呼んでいるところだ。トクトフは2百名ほどの戦士を連れて戦った。戦った相手は漢民族だけではなく、堕落して土地を漢民族に売り渡す貴族、それを仲介する商人なども殺された。このとき、誤って日本人を十数人殺害している。

支那からは張作霖などの軍隊が一千人とか二千人とか出てきたが、ついにトクトフには勝てなかった。この「モンゴルの戦士」は漢民族の騒ぐ子供に「トクトフがくるぞ」と言ったら黙って寝るほどの存在となった。また銅像だが、ここにはトクトフの銅像があるという。支那人を殺しまくった英雄の像がなぜに当局から見逃されて建てることが出来たのかと言うと、それは「日本人を十数人殺している」からだ。それで支那共産党は許可を出し、でもその後、やっぱり気になってちゃんと調べたら漢民族が殺されまくりだったから怒って移動させたという。


物事にはなんでも例外というものがある。例えば、私は韓国という国は嫌いだが、韓国人が嫌いなわけではない、というアレだが、普通、我々は「嫌いな国」であっても「好きな個人」がいると信じている。支那とは国として付き合えないが、支那人個人ならば付き合える人がいると思い込んでいる。もちろん、中には「例外中の例外」ということがあろう。日本人に帰化された「石平氏」などはその典型だ。しかしながら、漢民族に関してだけは「付き合えない民族=付き合えない個人」が言えてしまう。ちゃんとルールを守って生活する協調性ある漢民族、とは「日本人でも味噌汁が飲めない人がいる」というレベルでしか期待できない。つまり、ほとんどいない。日本人が朝、おはようございます!と挨拶するように、漢民族はベランダの窓からゴミ袋を放る。これは「放ってやろう」とか「邪魔臭いからここから捨てよう」などという思考経路を辿って出てきた結論ではない。日本人を困らせてやるアル!という悪意すらない。ただ、ベランダの外が家ではなかっただけだ。






ライオンが好きな人はいるだろう。でも、一緒に暮らす人はいない。ライオンは怖い、と思う人は多かろう。カッコイイ!とか思う人もいるかもしれない。でも、一緒には暮らさない。暮らせない。

仕事で接するにも訓練がいる。危険が伴う。相手は肉食獣だ。いくら「ど左翼」の薄ら阿呆でもライオンに「9条」が通じないことくらいはわかろう。話し合いもできないし、わかりあえるはずもない。相手は「腹が減った」という理由だけで襲いかかる生き物だ。こちらに空腹を伝えようとする努力はしない。こちらが血と肉と骨で出来ていると悟られたら、問答無用で彼らは我々を食そうとする。それが彼らのルールだ。相手が人間だということで、ライオンが人間のルールに合わせて生きることが出来るはずもない。ライオンが「いつも良い肉くれて、すいません。恐縮です。今日のイベントは張り切りますよ!苦手な火の輪もくぐりますとも!」という必要はない。

彼らを100頭、あなたやあなたの大切な人がいる街に放とう。さて、どうなるか。

あなたの家にも2~3頭が寝そべっている。お気に入りのぬいぐるみはズタズタだ。完全に占拠されている状態だ。道も歩けない。前から見えるあのタテガミ、後ろから聞こえるアスファルトを爪が叩く音、どこからともなく腹に響く咆哮が聞こえてくる。

いつかは武器を手にして立ち向かう人も出てくる。大切な人を護らねばならないから、牙も爪もない我々は武器を所持して気勢を上げる。無残に引き裂かれて絶命する人も出てくる。「人間の味」を覚えた獣の恐ろしさは熊でも何でも同じことだ。

漢民族が大量に移民して来ることは大袈裟ではなく、こういうことである。それは歴史が証明している。また、これは漢民族が悪いのでもない。ライオンが悪いわけでもないのと同じく、漢民族はずっと昔から今まで、そうして生きてきたのである。それを認めるかどうか、あるいは、好きかどうか、などは個人の勝手であり、そこにライオンは意思疎通が出来ることがわかりました!とかされて「共生」を強要されると、ライオンを放ったパニックと同じ現象が起こる。

いま、日本にいる漢民族が道端で日本人を襲わないのは、警察という実力組織があるからである。また、現在の勢力では日本人から反撃されるからである。その点はライオンより狡猾なのだ。普通は道端で人を襲う際、何かしらの考えが頭を過る。最低でも悪意が芽生える。この老人を襲って財布を奪ってやろう・・・という犯意が湧き起こる。繰り返すが、漢民族にこれはない。ライオンがシマウマを喰うとき「喰ってやるぜ!」とはおそらく思わない。喰わねばならないから喰うのであり、そこには悪いも良いもない。同じなのだ。

テレビは「サーカスのライオン」ばかりをやる。アニメでは「レオ」とか「ライオンキング」ばかりやる。例えば、何も知らぬ子供に見せよう。特別な訓練を受けた飼育係が、楽しそうにライオンとじゃれあっているところを見せよう。そして、大人が出てきて「人間もライオンも同じ生き物。心が通じ合うと仲良しになれます」と説明してから、その子供をライオンの檻に放り込もう。その結果は言うまでもあるまい。

テレビで新聞で「日中友好」ばかりやる。カネしか興味のない詰まらない人生を送る経済界の亡者が「中国は魅力的な市場」だと説明する。チベット人は虐殺されているのに、胡錦濤さんもよかれと思ってやった、とか報道ステーションでやる。ウィグルでもモンゴルでも近代歴史は教えず、反日教育とウソだらけの「正史」を擦り込んでいる。次の国家主席になるという習近平は朝鮮戦争を「朝鮮戦争は平和を守り侵略に立ち向かった正義の戦争」と言った。これは北朝鮮と同じだ。胡錦濤はチベットで虐殺したが、習近平はウィグルでやった。ウルムチ虐殺事件の責任者だ。

日本の政治屋は、こういう連中と友好だと言いながら、こういう民族を大量に日本国内に放り込もうとしている。―――その結果は言うまでもあるまい。



日本人は清州城の石垣が壊れてサボタージュしていた尾張の職人を笑えない。「お前の家族は村におろう。村が襲われたら家族も殺されることになる」と木下藤吉郎は言うが、それでも「ンなわけない。同じ人間。話せばわかる。藤吉郎様は友愛の精神がおわかりでないのか?日中友好!」として石垣などいらぬと、今日も敵方に操られてデモ行進している。

2 コメント

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Unknown (久代千代太郎)
2011-01-19 12:19:56
>からす さん

占領軍、そうなんですか?知らんかったです。


まあ、日本には「パチンコ屋の景品交換所」が店の数だけありますもんね。あそこにあるのは数万じゃないですからね。しかも、おばちゃんがいるだけ。鉄砲持った警備はいません。

こんなの日本だけでしょうね。

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Unknown (karasu)
2011-01-18 21:25:28
なぜ日本人が気安く旅行できる環境をつくらないのか不思議ですよね
支那人相手の旅行社は支那人が経営して、支那人が買収したホテル(旅館)に支那人が泊まって・・支那人が日本料理?を作ってだして・・日本のホテル(旅館)てサービス悪いなーという印象を持たれて・・
それでもなお支那人観光客が欲しい・・秋葉原で電気製品がよく売れる・・
でも大型家電量販店も実は支那資本だったりとか・・
でもって名前はトニーだかコニーだかの支那製の電気製品を支那人が買って・・
売り上げは・・支那へ支那へと

なんか・頭が痛いなーー

そう言えば、某極東の島国に駐屯する占領軍は自分の基地の中に自動販売機は有っても、全部建物の中に有って、夜になれば外には自動販売機はなかったような・・
これが、世界の常識?
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