忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

予言しておこう。デブデブブームは来る。

2011年01月19日 | 過去記事
今年、既に何度か雪が降った。京都の雪は「きれいやねぇ~」「ほんまどすなぁ」で済む程度の呑気な雪だが、日本海側などのエライことになっている雪は大変だ。お見舞い申し上げる。

さて、雪が降ると犬は喜び庭駆け回るはずなのだが、我が家の犬2匹は犬用のホットカーペットを取り合いしている。私の布団やら妻の毛布などをどけると、ぷるぷる震えながらそこから出てきて迷惑そうな顔をする。石をどけたら虫がいる、あの感じだ。

以前など「りーちゃん」が行方不明になった。家の中を探し回るのだがみつからない。妻などは半泣きになっていた。ベランダから落ちたのか?と思って下まで見に行ったがどこにもいない。さすがに玄関の鍵を開けて自分で出て行くまでは賢くない。いや、もしかすると・・・そのくらいは・・・?もうすぐ尻尾が9本に増えて空中に浮かび「哀れな人間どもよ・・・」とやっても驚かないほど賢いからな・・・と思っていたら、どうやら押し入れの中から声がする。妻が布団と一緒に「たたみ込んで」いたわけだ。妻以外は大爆笑の中、救出作戦が展開された。その夜、妻は寝言でも「りーちゃん・・」と言っていた。

外は寒いが、それでも散歩に行く。「むーちゃん」は喜ぶのだが「りーちゃん」は寒いのが嫌いだから、先日も「先に家に帰った」ほどだ。足の裏が冷たい、のだそうだ。ちゃんと肉球もついているのだが、それでも凍りつく地面の冷たさはシーズーには厳しい。「むーちゃん」などは気にせず、すたこらさっさと機嫌よく歩いているのだが、「りーちゃん」は抱っこされて服の中から顔を出して「人間を歩かせる」のが好きだ。ほんっとに「飼い主に似る」とはよく言ったモノで、りーちゃんの性格は妻の生き写しなのである。

先日、倅と共に犬を連れて散歩していたのだが、久しぶりにちょっと走った。「りーちゃん」は相手にしてくれないが、「むーちゃん」は喜んで走ってついてきた。学生時代は50メートルを5.9秒で走った私だが、今ではデブのシーズーがライバルだ。すぐに息が上がり、工場のように白い息を吐き出す。陸上部だった倅に笑われながらであるが、それでもまだ、自分が走れるのだ、ということに安堵もした(笑)。

いきなりアレだが、デラックス・マツコというデブキャラでオカマというのがいる。この正体は私ではないが、それはもう大層な人気でテレビで見ない日はない。私も好きだ。面白いと思う。私も続こうかと思う。芸名は「T-レックス・ヤマコ」がいい。肉食系オカマのデブキャラで極右の在日でダイナソーだ。ンで、その「先輩」のデラックスであるが体重も100キロ以上だとか。それでも「血液サラサラ」だとかやっていた。

よく「人間の証明」として「笑う」とか「悩む」などが言われる。喜怒哀楽で言えば、犬でも喜怒はあるが哀楽はない、というアレだ。しかし、私はここにもうひとつ加えたい。それは「野生動物にデブはいない」というものだ。

不必要に太る、というのは人類の特権だ。生きるために食べる、のではなく太るために食べるのだ。そして、不必要に運動をしない。これぞ究極の生命体である。

しかしながら、デブはダメだとされる。健康に悪いし、第一、見た目がよろしくない。先日も「鷹っちゃん」がMIXIで皮肉っぽい日記をアップしていた。「長淵」だ。「デブは敗者だ」とかで腹筋割れまくりの裸体をみせつけている。たしかにカッコイイ(泣)。




セリフも耳と心が痛い(泣)。

「オレの周りには、グウタラとかヘタレといわれるヤツはいない。人の前でパフォーマンスをやる人間にとってデブは敗北。肥満を年齢のせいにするパフォーマーは人前に出るな! デブは必要ない。少なくともオレはデブにはならない。これ、アーティストでなくても、あらゆるビジネスにも共通することなのだ。自己管理ができないヤツはだめだ。暴飲暴食の果ての、血糖値が、肝臓の数値が……なんていう言葉、オレは聞きたくない。やるべきことはわかりきっている。煙草をやめる。酒を減らす。食事の内容を意識する。グズグズ迷わずに今日からジムに通ってみる。そのほうが、理屈で考えるよりも確実に、人生も、仕事も、目の前が開けていく。まず、自分をとりまく環境を変える。居場所を変える。簡単なことだ。心の痛みをしょい込むより、肉体の痛みを毎日実感しながら、昨日よりも強い精神を宿らせろ!」






・・・・・。


・・・・・・・・(泣)。




ま、また、この長淵さんが言うように、デブは自己管理が出来ない、という酷いことも言われる。要するに「自分の体脂肪も管理出来ぬ奴が会社で管理などできるはずがない」というアレだ。したり顔で「アメリカでは肥満と喫煙者は就職できないんだョ?あっはっは」というのも深く傷つく。謝罪と賠償はいらないから、から揚げ定食を喰わせてほしいのである。大盛りでね。

お笑いでも「タイムマシーン3号」というのがいる。近々ブレイクするはずだから、知らない人は覚えておいてほしい。筋金入りのネタ漫才だ。ンで、その「ボケ担当」だが、これが「動けるデブ」として売っている。少し前には「芋洗坂係長」もそうだった。「デブなのに動ける、踊れる」が受けていた。だが、ちょっとマッテほしいデブ!(しゃきーん!)

ンなことは当然、つまり、古の昔から、



デブは動ける



ということは当たり前だのジャーマンポテトなのである!デブをなんだと思っているのか。デブは病気ではないぞ。私も学生時代から「デブでごめんね」を売りにしていたが、ちゃんとモテるためにバク宙もした。ちゃんとサモハン・キンポーとか言われたのだ。デブの運動能力を舐めていはいけない。要するに「長く動けない&汗かいて死ぬ」だけで瞬発力はガリよりあるのだ。お相撲さんを見よ。ま、ただ、ものすご燃費は悪い(笑)。

もう亡くなってしまったが、私の尊敬する「ウガンダ師匠」は人類で初めて「カレーを飲んだ」ことで知られる。しかしながら、アレも「ジャガイモやニンジンは喉で潰す」というデブなら当然のことをやっただけに過ぎなかった。しかも当時、大ブレイク中の「マイケルジャクソンの動き」をコミカルにやった。汗かいてやった。素敵だった。

しかし、だ。

アメリカだけではないが、他国にはデブというジャンルにカテゴライズしてよいのかどうか、悩むほどのデブがいる。パラオに行った時も「椅子三つ」とかで座っているおっちゃんがいた。もう、なんか、ケツなのか冷蔵庫なのかわからんレベルだ。日本は豊かな国だから、カロリーオフとか無意味なことをするが、貧しい国では「高カロリー」こそ求められるから、どうしても尋常ではないデブが蔓延ることになる。ブラジルでは「肥満者優先」という素敵な制度があるらしい。「椅子がでかい」とかな(笑)。

私はファミレスなどに行くと、店員から「喫煙席か禁煙席か」と問われるよりも、もっと重要なことを考えながら店内を見ていることがある。そう、それは「椅子が動くかどうか」だ。椅子が固定式でテーブルも動かぬとなれば、私は腹を引っ込めて息を止めて食事せねばならない。体を半分に切られる、あの感じだ。そして、私が「狭いなぁ」などと不満を垂れようものなら、一緒にいる妻などから「太ってるからやンw」と、まるで私が悪いかのように言われることがある。違う。レストランの入り口には「デブお断り」と書いてはいない。ならば、デブが来ることも想定内として「可動式のイスとテーブル」の席に案内するのが店側の勤めである。

しかも、だ。デブはガリよりカネを使う。たくさん喰うからだ。つまり、メシを喰わせる商売とすれば、デブは上客であるはずだ。デブは「喰う」ということに情熱があるから、外食の回数も少なくない。隙があったら「あ、アレ喰いたいなぁ」と考えてしまうのがデブではないか。今日のメニューを待ちながら、明日はこれを食べてみようかなぁ~とうっとりするのがデブである証だ。ならば、デブのお客様にはゆったり座ってもらって、ガツガツと喰ってもらうほうがよろしい。

また、こんな私でも心が折れて「痩せたほうがいいかな?」と考えてしまうときがある。心の弱い私は世間やマスコミに踊らされるのだ。私はそんなとき、産経新聞記者のY氏を思い出すことにしている。あの飛行機のシートベルトを右足に巻きながら、悠々とビールを飲むあの姿は神々しい。デブの神だ。まさに「貴様らの腰はそこだが、オレのような記者からすれば、この足こそが腰なのだ」とでも言わんばかりの堂々たる態度に惚れ惚れする。その点、私などは「ベルト延長」もせず、何とか腹に巻けてしまうのだ。なんとも我ながら情けない。なんというガリなのか。私は氏のスラックスを近距離で見たことがあるが、アレはもうスラックスの境地にない。アレは体育館のカーテンだ。というか、工場にある製品化する前の布状態だ。アレは衣服ではなく原材料なのだ。

それに小さな子供ならば数人が暖を取ることも可能だ。被災地に持っていけばテントにもなる。裁断して売ればスラックス数本分にはなろう。つまり、イザとなれば人を救うこともできるスラックス、それは魔法のスラックスなのだ。

また、デブは心が通じる。とある鍋屋さんで同席した際だ。おそらくは誰かの陰謀だろうが、私とY氏が並んで座らされたことがある。窓際だ。そのとき、私は真冬だというのに窓を少し開けて冷風を入れた。無意識だった。みんなはあったかぽかぽかよろしいが、我々は死んでしまうからだ。しかしながら、周囲の普通の人がちらちらと窓を見る。口にはしないが「寒っ!なんで、開けてるんだ・・?あ!そうか・・」という感じのアレだ。

そこで、私が妙な気を使って「閉めたほうがいいですかね?」と障子窓に手をやった瞬間、Y氏はそっと手を添えて「そのまま、で」と静かな声で言ってくれた。私は感動して涙が出たのかと思ったが、それはやはり汗だったのだ。春は暑い、夏は死ぬほど暑い、秋はまだ暑い、冬はちょっと暑い、そうして四季折々の暑さの中、我々は生きているのだ。








そ、それに、だ。



ちょっと真面目に書くと、この「痩せ痩せブーム」は本当によろしくない。最近では幼稚園児がおやつのケーキを「太るから」と言って喰わないそうだ。これは深刻だ。テレビや世間が「痩せて細くてカッコいい」とするからだ。小学校の女子生徒の9割近くが「痩せたい」とアンケートに答えている。産経新聞によれば、6歳の女の子が「太ると嫌」だとして、メシをちゃんと喰わないと親が心配しているらしい。その女児の体重は20キロ。身長は120センチだ。明らかに痩せすぎだ。

とある小学校の給食ではハムやらベーコンやらの肉類が残される。理由は不味い、ではなく「太るから」である。テレビでの健康食特集を見た次の日だったそうだ。学校も「肥満は体に悪い」と教えているから、子供らが「太ると早死にするから」と言われると、残さずに食べなさい、と言い難い。

マスコミはダイエットグッズやらダイエット食品やらの販売に忙しい。グラフを見せたり、怪しげな医者を出してきては「コレステロール」やら「高カロリー」やらを悪者にして、発がん率を上げている。過度のダイエットや栄養失調から、心筋梗塞などのリスクが高まることはもう常識である。当然ながら喰わねば体力が低下する、体力が落ちれば免疫も弱くなる、風邪もひきやすくなるし、他のウィルスに感染するリスクも高まる。これは当たり前のことだ。わかりやすく言うと「睡眠は健康の障害になる」と言われているのと同じことだ。もちろん、何事も「過ぎる」とつけばよろしくない意味となるが、アメリカなどでも「睡眠時間が長過ぎると発がん率が上がる」というのは周知されつつある。これも考えればわかる。睡眠は必要であるが、寝ている間は血流が悪くなる。流れが悪くなると、脳や心臓で血管障害のリスクは高まる。つまり、7時間を超える睡眠時間は体に良くない。これもわかりきったことだった。

最近、高齢者施設での「食事の内容」に変化があると書いた。高カロリーは体によくないとあれほどやっていた厚生労働省も、しっかり肉類も食べましょう、と今頃やっている。食事節制に気を使っていた介護職も、今は「全摂取」をスローガンにしている。全部喰わせる、ということだ。メニューも焼き肉やらトンカツやら、あれ?体に悪いんじゃなかった?と思わせるのが人気だ。

「痩せたい」として、何かの食品を集中的に食べるダイエットがある。リンゴでもキャベツでも何でもいいが、それを続けて蕁麻疹だらけで医者に飛び込む人は後を絶たない。これをマスコミはやらない。先ほどの産経新聞では「中学生になった娘が運動部に入ることに反対する父親」が取り上げられていた。理由は「筋肉がついてしまう」である。「娘には華奢でいてほしい」とのことだ。これはデブよりも病気だ。

いま、小中学生の慢性的な貧血、骨粗鬆症などは緊急の問題として認識され始めている。女生徒であれば栄養不良からの生理不順、これは言うまでもなく不妊症となる可能性が高い。モノには限度がある。単純な「ガリ=健康」「デブ=不健康」はマスコミのウソだ。保守の人らには是非、突き出た腹を自慢していただきたい。無論、ナンパ目的の「長淵体型」に文句はない。カッコイイのは認める(笑)。デブがだらしないのも認めよう。しかし、それと「健康」を混同しないでほしいのだ。






私はジョギングはしないが散歩はする。犬が喜ぶからだ。ダンベル運動はする。へなちょこになりたくないからだ。スクワットもする。足腰は鍛えておかねば仕事ができん。しかしながら、これらは「痩せるため」ではない。「引き絞める」ためでもない。

もちろん、長淵のような体型には憧れるが、喰いたいモノ、飲みたいモノを我慢してまでとなれば、そこまでの魅力は感じない。コンプレックスの裏返しのような、強迫観念からの腹筋運動はしたくない。長淵は体型はカッコよろしいが、デビューして間もなく、前座で使ってもらった桑田から、ステージのエンディングでビールをかけられて、後でキレるとかダサい。文句あるなら、その場でやり返せ。フォーク兄ちゃんから急に「とんぼ」に出たら「ヤクザキャラ」になったのもカッコ悪い。ヌルヌル秋山は嫌いだし、その仲良しの清原も好きじゃない。そもそも麻薬で捕まった人間が「自己管理」など笑わせる。ンで、なにが「酒を減らす」だ(笑)。長淵が酒が弱くて飲めないのは有名だろう。

でも、まあ、悔しいが長淵の歌は好きだ(笑)。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。