忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「遊技業」へのささやかな援護射撃

2011年05月14日 | 過去記事
ネット上のパチンコバッシングが酷い。相変わらずだ。

石原都知事も節電を言うがために「パチンコ批判」をしたが、それが大きく膨らんで「ネガティブキャンペーン」が繰り広げられている。また、私はちょうどいま、在日問題を取り上げた文章を書き溜めているところだった。「未完成の一部分」ではあるが、私が10年お世話になった「遊技業」に対するせめてもの恩返しのつもりで、ここに「関連部分」だけを抜粋しておきたい。もちろん、拡散希望だ。「パチンコ嫌い」は個人の自由であるが「パチンコは日本から出ていけ」は偏狭に過ぎる。頭を冷やしてほしいものだ。






3章:在日とパチ屋

六:
パチンコ屋で働いている人で、職場を「親に言っていない」という人がいる。もしくは、アルバイトでの仕事を評価されて、そのまま「社員雇用」の話をされたら「親が反対した」とかいうのもいる。酷いのになると「普通の仕事がしたいンで・・」などと真顔で言う。

また、パチンコ屋はさすがに「客と従業員のトラブル」が少なくない。その理由として「ギャンブルだから」は2重に間違っている。高級カジノや裏カジノの店員の胸倉を掴むときはよほど「覚悟の上」であると推察されるが、比して、パチンコ屋の従業員の胸倉は掴みやすいものだ。これは「たかがパチンコ屋の店員風情が」という客からの職業差別的な見方がある。逆に従業員からしても「昼間からパチンコばかりしているどうしようもない奴」という見下した視点を暗意した接し方をするから、罪悪感を内包して敏感になっている客は過剰反応する。これは「パチンコ依存症」を患う人に多い反応だが、つまるところ「互いに相手を軽く見ている」わけだから、トラブルになりやすいことは自明である。

もうひとつの間違いは「パチンコはギャンブルではない」ということだ。先ず、建前論から述べると、日本にあるギャンブルとは全てが公営である。日本には賭博罪があり、賭け事はすべからく禁止されている。これはパチンコ屋であろうが相撲協会であろうが同じことで、ましてやそれを「商いにする」など言語道断である。それに最近は使われなくなった言葉だが、パチンコ屋とは横文字の「アミューズメント」ではない。パチンコとは「ぱちんこ」であり、それらは普通「遊技業」と呼ばれることになっている。


韓国にも多くのパチンコ屋があったが、2006年に全面禁止となった。「盧武鉉政権」のときだ。インターネットなどでは「韓国でも禁止にした違法賭博」というネガティブキャンペーンが盛んだが、ここにもいろいろと誤解がある。

また、日本におけるパチンコという産業の規模であるが、これは部品も合わせた自動車産業の規模に少し足らないくらいで、例えば医療全般に匹敵する規模だ。巨大産業といって大過ない。言うまでもなく、そこには巨大な経済が活動する。関連企業による雇用も小さいモノではない。総務省によれば平成16年度の雇用者数は26万9306人となっているが、韓国政府に限らず、これを真似したくないはずがない。

もちろん、その韓国でも大ブームだった。あれほどの反日ブームながら「大ヤマト」などの遊技機も人気があった。韓国語で「海物語」とは「パタヤギ」と呼ばれ、これまた、日本と同じく大ブレイクしていた。スロットも「メダルチギ」という名で若者を中心に広がりを見せていた。ここまでは日本と同じだが、実はこの先が全く違った。

先ず、客だ。韓国で「パチンコ」というものが公営のギャンブルと化してから、店舗は相次ぐ災難に見舞われる。放火などはめずらしくもなく、店長が射殺されたり、店にトラックが突っ込んだり、店内に糞尿が撒かれるなどの被害が相次いだ。借金を重ねて自己破産する人も激増する。伴う自殺者急増は社会問題となった。

世界には日本人のように「ほどよく遊んで帰る」が出来る民族ばかりがいるわけではない。自分で店を選び、自分で遊技台を選び、自分で金額を決めて、自分で止めるタイミングを決める、というルールが世界のどこでも通じるとは思わぬことだ。少ない小遣いながらも、上手にパチンコ代を捻出する人ばかりでもない。妙な言い方であるが、日本人ですらサラ金に走らせてしまう「射幸性」というものがパチンコの魅力、魔力でもあるわけだ。

戦後の日本が60年以上かけてだんだんとダメになり、巷で言われるように依存症の問題も深刻になった。駐車場に子供を放置して殺す親は毎年のように出るし、サラ金やパチンコ屋がゴールデンタイムにCMを流すようになった。いま「マリンちゃん」と言えば子供でも知っているが、ちなみに「ぱちんこ」を愛する私は反対だ。パチンコ屋がテレビCMなど世も末だと思っている。その理由は、必要悪としての性風俗を健全に経営、もしくは利用する人ならわかるはずだ。性風俗の店は世の中に必要だが、それをお茶の間で流すCMにするナンセンスは理解できよう。

しかしながら韓国はそれを数年で達成した。すぐにダメになったのか、元々ダメだったのかはともかく、時の大統領が慌てて謝罪して全面禁止するという必要にかられた。とはいえ韓国世論が「このようなギャンブルが日常になれば、この国のモラルはどうなるのか」と問題提起して禁止に至ったわけではない。禁止せざるを得ないほど、韓国の人々は多いにハマったのである。

適度に遊んで帰る、ということが出来なかったのだ。これをして「韓国でも禁止になったパチンコ」というのは、日本人の民度を見下げた戯言である。日本でこれほど長らく「パチンコ」というモノが愛されてきたのは「遊び」という範疇が許される「大らかな民意」を根拠にしていると明白である。

まだ他にもいろいろと事実誤認がある。

「パチンコは韓国のモノ」だと思っている日本人がいる。だからインターネットでは「本国ですら禁止されている」という表現が踊っている。もっとも現在のパチンコ屋は90%が在日企業だと言われる。残りは5%が華僑、もう5%が日本人経営だとされる。さて、これだけで「パチンコは韓国のモノ」としてよいのだろうか。ならば「柔道」や「剣道」などもその理屈で「ウリナラ起源」だとされても納得せねばならない。そして、私の主観を述べておくと、だから「パチンコは悪くなった」のだと言っておきたい。日本にいる在日は真似たのである。儲かるからだ。しかし、それだけだった。

商売とは何でも「儲けだけ」を追求すると曲がりだす。これを日本人は「士魂商才」という言葉で警句としていた。白人のビジネスマンが「win-win」とか言い出す前から、日本ではそんなの常識だった。すなわち、日本人は「ぱちんこ」という文化を在日に奪われた、というのが正しい表現の仕方である。そして「奪われたからもういらない」とするのは日本人のマインドではない。しかし残念ながら、最近の「日本人らしい」というのは「そんなの知らなかった」である。もしくは「そんなのどっちでもいい」であろう。まったく熱が出る。

「北朝鮮への送金問題」については後に触れるが、先ず、確認しておかねばならぬことは「パチンコは日本の文化」だということだ。

パチンコの玉は重さ5グラム、直径は11ミリだ。これは鉄を丸めて作っただけではない。あの小さな鋼球に店名までを印字する技術、接着面がない完全なる球体、たかだか「遊び」に使う「玉」にどれほどの技術が詰め込まれているか。日本が併合するまで木を曲げることができず「車輪」も作れなかった朝鮮半島で、全て一寸(3.03センチ)で統一された真鍮製の「ねじり釘」が作れたとでも言うのであろうか。細かな説明などしなくとも、あの「パチンコ玉」をみるだけでも「釘」に触るだけでも「どこの国でも作れるもの」ではないと自明である。まさに「日本的」な凝った遊びなのだ。

また、ちょっとだけパチンコの歴史に触れておきたい。とはいえ、パチンコというモノは大正9年にアメリカから持ち込まれたコリントゲームが~などとやるつもりはない。ここでは「日本の文化」として関連する部分だけを紹介しておきたい。

最も有名なのは「正村竹一」である。現在のパチンコ台は全て「正村ゲージ」と呼ばれる「釘配列」になっている。しかし、正村竹一を語るならば「藤井文一」も知らねばならない。この人は「パチンコ玉」の生みの親だ。昭和12年まで「パチンコ」といえば「コイン式」だった。いわゆる「一銭パチンコ」というものだ。藤井文一はここで画期的な発明をする。「遊技台に直接玉を入れる」という発案だ。これによってスピード感は増す、ゲーム性が広がる、と藤井は現在の規格となる「11ミリ5グラム」の鋼球を作り出す。そしてなんと、藤井はパチンコ台を「立てた」のである。垂直に立ててしまったのだ。

しかし、問題はガラスだった。鋼球が盤面を踊るわけだから、直接ぶつかるガラスは強いモノが必要だった。透明度はそのまま、薄さもそのままで割れにくい強化ガラスが必要だった。藤井は地元の名古屋を探し回る。そこで運命的な出会いが待っていたわけだ。

名古屋でガラス店を営んでいた正村竹一である。そして二人はガラスと名古屋名産のべニア板を強化することに成功してこれを商品化、正村竹一も自宅で「パチンコ屋」を開業させることになる。しかしながら、ちょうどその頃、日本は大東亜戦争に突入、廃業を余儀なくされるわけだ。

しかし、戦争が終わった翌年の昭和21年、正村竹一は戦後第一号となる「小物」というパチンコ機を考案、営業を再開させる。この営業許可が出たのは昭和20年11月だ。「進駐軍を遊ばせたらどうか」という当局の考えでもあった。逞しいものだ。

「小物」の釘は419本、入賞口が23個、上段に入る賞球は5個、中段が7個で下段が3個とバラエティに富んでいたが、どうにも「遊技球の動きが単調だ」と正村は悩み「釘の配列」の調整を研究する。

そして昭和23年、正村は「天釘4本」を並べ、「八の字」「逆八の字」などの複雑怪奇な釘配列を考案、そして、なんと「風車」を打ち込んだ摩訶不思議な遊技台を発表した。「正村ゲージ」である。現在、遊技球の発射数は「100発/1分」と規定されているが、この発射数なら遊技客が盤面にみる遊技球は常に5~6個となる。それは遊技球が盤面で「踊る」からだ。同じ発射口から打ち出された遊技球は予測不能な動きをするはずだ。つまり「現代のパチンコ台の基礎」こそが「正村ゲージ」なのである。

「正村ゲージ」は爆発的人気を誇る。戦後、疲弊した日本国民には仕事や食事も必要だったが「遊び」も重要な活力を生む要素であった。人々は疲れ果てた心と体を癒すために、また、タバコや缶詰という景品を目当てにパチンコ台に向かった。「ぱちんこ」は戦後日本の復興における「活力」となった。必要とされた。

だから正村竹一は特許申請をしなかった。最近、ついにパチンコメーカーの「正村」は倒産してしまったが、これがもし「特許申請」していれば、このような憂い目に遭うこともなかったのである。正村竹一は「人に真似されるぐらい良い機械を作ればいい」として、廃棄する遊技台を積極的に流通させた。これを手に入れた日本各地のぱちんこ職人は「正村ゲージ」を真似て真似た。私はここに「日本人の公共性」を見る。金儲けだけではなく、何のための仕事なのか、をちゃんと考えている。「世の役に立つ」という公共心が感じられる。「日本のために」という愛国心が感じられる。

そしてまた、パチンコを「韓国のモノ」だとする人に問いたい。先述した遊技球やら釘はもとより、いわゆる「役モノ」と呼ばれる小さな電子部品、遊技球に合わせて様々なアクションを行う可動式の役モノ、これら「寸分違わぬモノ」を大量に使って「大人を夢中」にさせる遊技機を開発し、更には0.01ミリ以下の釘調整を施して遊ばせながら儲けを出すことが「日本人以外」のどの民族にして可能だったのか。

「ぱちんこ」とは日本人の専売特許である「精密な仕事」の塊のようなものだ。しかも、客は「許される範囲の小遣い」を握りしめ、いわば「勝手に来て勝手に帰る」わけだ。その日の日当を摩ってしまうこともあっただろう。それでも「ちくしょう!」と言いながら、頭を掻いて家に戻ることが出来る国民性とは、何処の国でもある風景ではない。換言すれば、戦後のパチンコの盛況とはそのまま、日本という国が戦後の混乱期ですら整然と行動していた証左と成り得るのだ。

私の大好きなジャーナリストで高山正之氏がいる。高山氏の著作は全て読んでいると思われるほどのファンでもある。しかし、高山氏はパチンコが嫌いで「進駐軍が唯一、軍艦マーチを流すことを許したのがパチンコ屋だ」と書く。これはインターネットに蔓延る「パチンコとは日本人を堕落させる工作の一環」であるという論に立つことになる。しかしながら、これは事実誤認である。

パチンコ屋に軍艦マーチが流れ始めるのは昭和13年だ。これは記録が残っている。2年前の昭和11年には「2.26事件」が起こり、翌年の12年には「日支事変」だ。日本国内が一気に戦意高揚し始めた時期だと思われる。福岡県小倉市で、当時「小倉遊技業組合」の組合長を務めていた塚本謙三郎氏は「パチンコ100年史」(別冊グリーンベルト)の中で「昭和10年に始めたばかりだったが、軍艦マーチがやたら流されるようになった。ぱちんこもここまでか」とあきらめムードが隠せなくなったと述べている。大衆の遊び場ですら軍艦マーチやら愛国行進曲が流され始めることで、戦争が始まることを危惧しているわけだ。

決してGHQが「ぱちんこ」を利用して軍歌を貶めたわけではないのである。どころか、戦後の混乱期でさえ「国が管理出来る程度」の遊行娯楽で満足する日本国民とは、いったいGHQにどう映ったのか。さっきまで火の玉となって突進してきた日本兵が、天皇陛下の玉音によりピタリと武装解除する恐怖は言うまでもないが、これらはいずれにせよ、日本民族の「民意の高さ」を証明している。

もう一人、私が尊敬する人物を書いておきたい。「たちあがれ日本」の西村真悟氏だ。西村氏も「パチンコ」には大反対のスタンスだ。私は何度か西村氏にはお会いしている。映画「南京の真実」のお手伝いをした際や、拉致被害者奪還デモや、その他「保守系の講演会」などでも御一緒させていただいた。何度かの打ち上げの席で酒を酌み交わしたこともあるから言うが、西村氏の豊富な知識と愛国心には敬服する他ない。私はべんちゃらが下手だから言わないようにしているが、私の「西村真悟好き」はよほどである。しかしながらただ唯一、この「パチンコ」についてだけは異を唱える他ない。

理由は高山氏と同じく「日本人を堕落させる」ということと「北朝鮮に送金している」という問題である。これは「ないのか?」と言われれば、私は「知らない。でもあると思う」としか言えない。事実を確認する術がないからだ。

しかし、である。

例えば2007年、IAEA(国際原子力機関)が北朝鮮の核施設を査察した。その際、ウラン濃縮に転用された「真空ポンプ」は日本製だとわかった。台湾経由で北朝鮮に渡ったものだ。また、北朝鮮に「ミサイル運搬用のトレーラー」などあるわけがない。だからそのときは、日本の中古車業者が捕まった。東南アジア経由で日本製のトレーラーを転売していたわけだ。

細菌兵器を製造する際に使用される点滴液も大量に北朝鮮に渡っていた。これは「日本人を大量に殺すかもしれない」細菌兵器の培養液に使用することができる。また、カネとモノだけではない。北朝鮮に忠誠を誓う売国政治屋がいることは言うまでもないが、そのような政治屋にミサイルも核も作れるはずもないから「技術者」が北朝鮮に渡っている。在日朝鮮人による「在日本朝鮮人科学技術協会」からウラジオストク経由にて科学者が北朝鮮を訪問したとわかった。しかも再入国も禁止になっていない。

万景峰号の完全入港禁止は平成18年である。つまり、それまでは「迂回する必要すらなかった」わけだ。言うまでもなく、金だって容易に持ち出せた。しかも、未だに朝鮮総連は堂々とあるし、民主党は朝鮮学校も無償化するなどと言っている。これでよくも「パチンコ」だけが悪い、というような話になるものだと感心する。これではまるで「パチンコ」がスケープゴートにされているだけだ。

また、旧聞になるが「CRおぼっちゃまくん」というパチンコ台が京楽というメーカーから発表された際も、作者である小林よしのり氏に対するネットの誹謗中傷は目に余った。「小林は保守の顔して北朝鮮に魂を売った」という論調で叩かれていた。これも小林氏は「京楽に版権を売った」のであってお門違いもいいところだ。

また、西村氏は「パチンコの換金を全面的に違法とする」という法改正を提案している。だが、ちょっとマッテほしい。それはこの日本社会の「必要悪」を認めぬ危険な発想である。というのも、私が懸念するのは「闇パチ」とか「地下スロ」と呼ばれる裏社会の暗躍である。言うまでもなく「ぱちんこ」とは風俗営業適正化法によって管理されている。これの換金が一切法で禁止されればどうなるか。これは他の風俗営業と合わせて考えてみればいい。「性風俗」の店は国の許認可営業である。働いている人間の名簿の提出、店舗の様々な部分に及ぶ検査、衛生管理にはじまり、営業時間からサービス内容まで「国が関与」している。性風俗とは社会にとっての「必要悪」である。だからこそ「国が関与」して適正に営業させる必要が生じる。

「パチスロ」の爆裂機問題から規制が改められ、市場には「5号機」と呼ばれる射幸性の低い遊技機しか置けなくなった。結果、国が管理するホールでは閑古鳥が鳴き、地下に潜った「闇スロ」はこの世の春を謳歌している。忘れた頃に摘発されているが、これも言うまでもあるまい、氷山の一角どころではない。摘発して店を閉めさせても「増えるほうが早い」わけだ。

この「闇スロ」とは無法地帯である。風俗営業適正化法など鼻で笑うかのように「コイン一枚100円」などの高価でプレイする「ギャンブルマシーン」が置いてある。健全な営業をしているホールならばMAXで「一枚20円」なのに対し、闇のギャンブルならば500円やら1000円という値段でスロットを打てる。あの市場で活躍した愛すべき名機達も、8号営業であるゲームセンターが使い回すだけなら、あれほどの中古機の暴騰もあるまい。高い値がつくにはそれなりの理由があったわけだが、ホールが撤去せざるを得ない遊技機が、買値の何倍もの値段で取引されている事実とは、法改正によりスロット機が撤去されて「地下に流れていた」と明白である。地上にあった湧水が地下水脈に流れてしまったのだ。

ここで考えてみる。公安当局が適正に管理し、新機種入れ替えだけではなく、部品一つ交換するのにも「変更承認」を要し、インシュロック(結束バンド)ひとつ取りつけるだけでも「変更届け」が必要な「国の管理による」パチンコホール、リニューアルオープンから周辺機器の交換、あるいは入れ替えイベントなど、その都度、所轄警察の立ち入り検査があるパチンコホールと、法の目を掻い潜り「地下スロ」として闇組織の資金源になるのとは、そのどちらが「日本のためにならぬ」のか。

先にも書いたが、パチンコホールの納める税金は巨額である。また、多くの雇用も創出する。パチンコ屋さんは「脱税ナンバーワン」などとも言われているが、とはいえ、これが地下に潜ると税金など一銭も取れるわけがない。また、国家公安委員会の許認可を受けているパチンコホールに設置してある「パチンコ台」とは、その全てが「CR化」してずいぶん経つ。すなわち、パチンコの売り上げに関して言えば、ずっと以前から「第三者の介入」による管理がなされている。パチンコ屋さんの事務所には「ホールコンピューター」と呼ばれるメインコンピューターと「日本ゲームカード」によるコンピューターがある。この二つのコンピューターは連動していて「100円単位」で売り上げ管理している。通信障害などで金額が合わぬ場合もあるが、それらは全て記録されているし、実際に申告する売り上げは「ホールコンピューター」が管理する数字でなされている。つまり、現在は「パチンコ」で「抜く(売り上げを誤魔化す)」ことは簡単に出来ぬようになっている。



もちろん、手間はかかるが他のやり方もある。いわゆる「打ち子」と呼ばれる「店側のサクラ」だ。客として出した金額は店の損金となる。計画的な赤字経営が可能だ。店側が雇い、店で遊ばせて玉を出させる。それを換金させて日当を払い、その差額を着服する。これはスロットなら設定を上げておけばいいし、パチンコなら不正基板でも出来る。ただ、あまり派手にやると他の客にバレるし、客足が飛んでしまうと本末転倒だ。つまり、かなり上手にやらないと損をする結果となる。それに不正基板をつけないと「出ないときは出ない」わけだから、これも大きなリスクとなる。それに不正チップでもロムでも配線でもいいが、これがあまり安価で売っていない。もちろん、市販されているわけでもない。

私もよく「遠隔操作」を問われることがあったが、これも「ほとんどない」と言うことにしている。セキュリティ専門の人間によると「関西地域で数%あるかないか」というレベルらしい。私もそう思う。というのもハイリスク・ローリターンであるからだ。種類にもよるが「遠隔操作」が出来る装置を取り付けるとなれば大変だ。安くはないし、これも普通の業者に頼めない。もちろん割高になるし、店の弱みを握らせることにもなる。それに管理が大変だ。いつ抜き打ち検査が来るかわからないから、所轄のほうにも賄賂などを渡さねばならない。これも「受け取ってくれる」とは限らないし、なにより定期的に担当者の交代もある。キリがないのである。それで出玉を管理したとしても、営業数値が上向くとは限らない。よくニュースで「不正な遊戯機を設置して~」などと捕まっているホールがあるが、あれはまさに「一か八か」なのである。このままでも潰れるから、最後の賭けとして馬鹿なことをする。将来を考えている健全な企業ならまずあり得ないのだ。

話を戻そう。西村眞吾氏は「パチンコの換金を全面禁止にすればいい」というが、これはつまるところ「国家が性風俗を全面禁止にすればいい」と言っているに等しいのだ。これは思想の残念な人が言う、いわゆる「従軍慰安婦」について「軍が関与していた!」と騒いで藪蛇になったのと同じく、健全に営業させるために「国が関与」しているということである。これを禁じてしまうと、その「儲かる商売」は地下に潜る。覚醒剤がコンビニで売られたら、いちばん困るのは売人である。闇組織である。厚生労働省が「関与」して麻薬を市場に流したら、使用者も「用法と用量に注意して」使うことになる。価格も考慮されるだろうから、誰もヤバいところから買わなくなる。ならば暴力団が「国は国民の健康を損ねる覚醒剤など許してはならない!」とデモ行進をするだろう。これでは落語である。

それに同じようなことは昔にもあった。昭和12年の「ぱちんこ新規事業禁止」である。これは全国的にみると「新規開店」のみが禁止されていたとのことだが、九州地区では「全面禁止」になりかけたことがある。九州の警察による「保安課長会議」にて全面禁止の提案がなされたが、これは却下されている。理由ははっきりしている。「ぱちんこ」を禁止すれば「花札やその他の博打が横行するから」である。取り締まれるほうを選んだのである。

すなわち「パチンコの換金を禁止せよ」と願っているのは闇組織も同じである。彼らは手ぐすね引いて待っている。どこの国でも「ギャンブル」と呼ばれるものはある。それで身を滅ぼす人も一定数必ずいる。「賭ける」ことは本能に近い。つまらない日常に「当事者意識」を持たせてくれる身近な「本気」なのだ。人は自分の金を賭けると、よく知らない高校野球にでも興味を持てる。単純なゲームでもカネを賭ければ熱くなれると知っている。だから、これは絶対に無くならない。売春が「人類最古の商売」と言われるように、男性に性欲がある限り、体を売る女性はいなくならない。だからこそ、これは国家権力が管理すべき、である。税金をごっそりと取るべきなのである。そして、最もこれを穏やかに緩やかに、そして健全に管理できる国が日本国ではないか。

「遊び」と「ギャンブル」の間、などという曖昧さは日本国以外の国では考えられない。だから日本人は「パチンコ」というものを上手に扱ってきた。「朝鮮人のつくったもの」なんて酷過ぎる。とんでもない話である。

昭和8年の樺太の敷香(しすか)というところに、雪に埋もれながら営業する「パチンコ屋」の写真がある。現在はロシアが勝手に「ボロナイスク」と呼んでいる地域である。撮ったのは報道写真家の景山光洋さん(故人)という方だ。その写真にはくっきりと「一銭パチンコ」という看板がみえる。日本の最北端にある「遊技場」だ。当たり前だが「ぱちんこ」とは日本人が開発して、日本人が遊べるように発展してきた、日本人の大衆娯楽なのである。

昔の話のついでに書いておくと、昭和16年の「金属回収令」ではパチンコどころではなかった。郵便ポストまで持っていかれる時代だ。「パチンコの玉」よりも「鉄砲の弾」が必要だったわけだ。これが翌年の昭和17年の「企業整備令」ではついに「ぱちんこ」というモノが日本中から消えた。しかし、である。当時、久留米の「第12師団」があった軍需地帯では「兵隊慰安用」として「ぱちんこ」の許可が出ていたりする。

愛されていたのである。私などは、日本の兵隊さんが「ぱちんこで遊んだ」と知れば嬉しくなった。決して「戦後日本を骨抜きにするための工作」ではないのだ。

2 コメント

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Unknown (マダム)
2011-05-17 00:13:26
先程まで長文を書いておりましたら
PCが消えました。
千代太郎様の方にご迷惑をおかけ
してましたらごめんなさいです。

で、今まで日記を楽しく
勉強にもなり私なり頑張って読んでおりました。
さるさるは閉鎖なんですね。
ただ、お礼を申し上げに来ました。

私はよく水道橋に行きますが
最近、千代太郎様に似ている方に何度も
遭遇します。一度声をかけてみたいのですが
でも本当に怖いです。きっと千代様だと思う
のですがやめとこうかな。
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Unknown (久代千代太郎)
2011-05-18 10:53:08
>マダム さん

いらっしゃいませ。

そうですね、さるさるは閉鎖みたいですね。

こんなブログですが、これからも気が向いたら遊びに来て下さいね。



ええと、水道橋には行ったときないですww
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