忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2024年秋・衆院選自公228議席、過半数割れで大政局へ立民は「敵失」追い風に144国民…

2024年10月25日 | 随感随筆



「どげんかせんといかん」とか言って東国原元宮崎県知事が大人気だった2009年。いまでは橋下徹らと同じく、テレビ屋のコメンテーターをしているが、この御仁に当時の自民党選対委員長だった古賀誠は、どうか県知事を辞めて自民党から出馬してくれ、と懇願しに行って沈む自民党に止めを刺した。選挙の責任者からすれば背に腹はナントカで藁をも掴むということだったんだろうが、これに筋金入りの自民党支持者もさすがに失望した。

せめて堂々と負ける、ということすらできない。ましてや策が拙すぎる。

東国原元知事は人気があったのかもしれないが、当時はまだ政治家になって2年も経っていなかった。ましてや国政選挙にも出ていないのに、天下の与党自民党の選対委員長が平身低頭、助けてくださいとお願いするも、東国原は「それじゃあ自民党の総裁候補にしろ」と大上段から小馬鹿にした。その様をマスコミは嘲笑い、自民党の体たらくをテレビの前の視聴者様にお届けした。

総選挙直前の都議選でも民主党(当時)は圧勝だった。当選した民主党都議の中には「告示3日前に滑り込んだ」のも二人いた。とにもかくにも政権交代だ、と熱に浮かされた有権者は「民主党」という看板をみれば良いモノだ、と思い込んでいた。鳩山の「日本人は日本人だけのモノではない」とか「故人献金」もマスコミの吹かせる「なにはなくとも政権交代」の生臭い風に巻き込まれて薄まっていた。結果、日本国民は3年半ほど悪夢にうなされた。

いま、もっと酷い。死にかけた自民党すら倒せない立憲民主党はともかく、国民の石破政権への嫌悪感、絶望感、失望感がえげつないことになっている。自民党の政治家と言えば、いままでも「言ってることとやってることが違う」という批判はあったが、まさに2009年の鳩山を彷彿とさせる「言っていることと言っていることが違う」という意味不明、理解不能なことになっている。それに短期間で自暴自棄になっているのかと訝しむほど連発するお粗末ぶりに、岩盤保守層などは言うまでもなく、もはやリベラルな自民党支持者も、どうすればいいのか、と途方に暮れて難民化している。心が折れて批判が追いつかないのである。

もう、いまからでも橋下徹や石丸伸二、ホリエモンとかひろゆきとか、立花とかガーシーとか、なんでもいいから小泉選対委員長が平身低頭、総裁候補で来てください、と恥の上塗りでもしたらどうか。生殺しはしんどいだろう。完全に自分で息の根を止めたらどうか。

それに就任してひと月も経たないのに支持率も51%から28%まで落として総選挙まであと3日とか、いったい、どれほど負けるのか、と今から楽しみになってくる。投開票日直前、自民党に入れない、という有権者はもっと増えていることだろう。これならメガネのままのほうが議席減はマシだったのではと誰でも思う。「貧すれば鈍する」とはいうが、貧しているのは国民のほうで自民党のせんせいは金持ちではないか。貧もしていないのに鈍する、というのも腹立たしいが、この場合は驕れる者は久しからずや、ということか。

ともかく、27日は酒と肉を用意だが、そもそも総裁選の1度目の投票では高市候補が議員票も党員票もトップだった。つまり、すべからく、そういうことだった。

石破が「党員票トップ」も過去ずっとそうだったが、今回は高市候補が1票差で1位だった。ネット世論は言うまでもなく、いまのトランプ優勢と同じく、反高市メディアも認めざるを得ない状況でもあった。

投票行動からして当たり前にわかることは、党の議員も党員も、世論も戦後初めての女性総理を思い描いていた。それから案の定、左巻きのマスコミや万年野党のアレな連中から総攻撃され、それでも真を通して政策を進めて「日本列島を、強く豊かに」を実現し、第二次安倍政権のように国政選挙で勝ち続けてコンナヒトタチを黙らせていく、そしてそれを岩盤保守層と共にメディアに踊らされない有権者が支えていく、という盤石の構図が浮かび上がっていた。ある意味、第二次安倍政権よりも屈強な高市政権を期待していたわけだ。

しかしながら現実は、あの総裁選で議論されていた「政策論」はなんだったのか、と思う他ないワイドショー政治に踊らされて自己崩壊している自民党の哀れな姿である。そして最も愚かなのは石破ではなく、その推薦人になったナニ人か不明なアレらではなく、決選投票で石破に入れた阿呆共である。

信じられんことだが、まさか、こんなことになるとは、ここまでになるとは、と考えている自民党議員もいるとかいないとか。石破にしたらえらいこっちゃ、は立ち飲み屋で3合飲んだオッサンでも言っていた。石破は過去、4回総裁選で負けている。それも議員票が伸びずに負けている。なぜか。

マスコミの「総理大臣になってほしい政治家ランキング」は常にトップクラス。世論調査でも大人気の石破を、過去の先輩議員らも含めて、なぜに「議員票」を入れなかったのか、といえば、その答えは阿呆でもわかる。つまり、こうなるとしっていたからである。

そしてここにきて赤旗にヤラれる無様である。今回も相手チームの得点はすべてオウンゴールであった。それで大差をつけられ、アディショナルタイムにまた、オウンゴールで止めを刺すという愚の骨頂をみせる。スタジアムにファンなど残っているはずもない。

高市総理なら「処分は済んでいる」として蒸し返さなかったから当然、公認候補として出馬している議員に2千万振り込まれても騒ぐこともなかった。狙って放った赤旗の「スクープ」も空砲で御仕舞いだった。高市政権が成ってからも、マスコミや野党に「裏金裏金」されるのも既定路線だった。それでも日本を前に進めていく、その強い意思と志を日本の有権者は支持し、保守層は一枚岩で強固に支えていくことになっただろう。安倍政権と同じく、朝日新聞や毎日新聞が叩きに叩き、阿呆みたいなテレビで橋下徹がヒステリーを起こす姿を微笑ましく眺めていたと思われる。いつもの景色に過ぎないことだった。

既に国民民主党も日本維新の党も「連立はない」と断言している。これを覆すには自民が平身低頭、三顧の礼で玉木首相、馬場首相を迎える他ないが、果たして、そんな火中の栗では済まぬ業火の中、栗があるかどうかも不明なまま連立政権もヘチマもない。メディアは選挙後の「政界再編は必至」とかやるが、そんな悠長なことでは済まぬ可能性がある。自民が割れて公明党も含む左派勢力が立憲などに流れて膨らむと、もはや、日本政界、日本社会は混沌である。大袈裟ではなく、終わりの始まりである。

書くのもイヤな「石破政権」。石破は勝敗ラインを「与党で過半数」と負ける前提で目標を言った。記者が「低くないですか?」と問うと「それだけ厳しい戦いだと認識しているということ」と逆切れしていた。つまり、せめてギリギリ過半数維持、は可能性として残っていた。それなら選挙後、総裁選にて「高市総裁」を改めて選出すれば、まだ、遅きに失するとの声もあろうが、それでも多くの自民党議員らも、もう、わけのわからん候補に投票するのは止めておこう、と反省したかもしれない。

2012年、多くの日本の有権者が悪夢の3年半で目が覚めたのと同じく、しっかりと自分の意志で貴重な1票を投じなければならない、と気づいた可能性もある。会社に言われたから、親に言われたから、知り合いに頼まれたから、信じている教祖様がそうおっしゃった、で投票する安モンの有権者の如く、地元がどうした、派閥がどうした、次の選挙が、で総理総裁を選ぶ安モンの議員も猛省できたかもしれない。

文字で読むのも悍ましい「石破政権」。そのかすかな希望すら吹き消してしまうほどの愚かさだった。「歴史的大敗」という言葉が空しく響くほどの壊滅的敗北をみることになるだろう。せめて我々は目を逸らさず、しっかりと見届けることにしたい。

ちなみに「貧すれば鈍する」には続きがある。

「貧すれば鈍する。鈍すれば窮する。窮すれば通ずる」

「政治不信」とか言い抜けしながら投票にも行かないことを正当化して放逐していた結果、外国勢力に好き放題されている日本の政治にしっかりと絶望するべきなのかもしれない。知らぬで済まぬこと、は世の中にあるのだと思い知るほど窮するかもしれないが、その先にこそ「通ずる」がある。まだ、その先の光は見えているはずだ。




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