忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

王様の鼻はハナはじめ

2010年03月03日 | 過去記事

「人のふり見て我がフリオイグレシアス」

ヤンタン(MBSヤングタウン)金曜日、谷村新司とばんばひろふみだった。小学校6年生の私は布団の中、イヤホンで聞くラジオで笑った。あと「壁に耳ありクロードチアリ」も笑った。「王様の耳はミミ萩原」も想像したら笑えた。いや、そんなことはどうでもいい。

「人のふり見て我がふり直せ」というが、私はそれを今、痛切に感じている。ありがたいことに、いろんな店のお客さんが来てくれるのだが(山田バーはあなたが支えています!喰わせてくれてありがとう!)、ママ・マスター・クラスの人が店の若い子を連れてくると、ほぼ例外なく「説教」していることに気づく。しかし、頻繁に来てくれるあのママさんと、そのママさんなどは、最初の数分間だけ付き合い、さっと支払いを済ませて若い子だけを残し、あとは好きなように飲みなさい、と言い残してすっと帰るところがまた渋い。水商売を始めたばかりの現在、私のお手本である。これからも甘えることにするのである。

また、もちろん、私の拙いサラリーマン経験からでも同じことが言えるし、それはそれで必要な場合も少なくないのだが、これが結構、傍から見ると面白い。それに、その若い子、明らかに聞いてない(笑)。

ママであれ、女の子であれ、基本的に普段は「聞き役」に徹する仕事であるから、気心の知れた従業員を連れてプライベートで飲む酒の席では「言っておかねばならない」という気持ちと「たまには喋らせてくれ!」という気持ちが交わって、私の差し出す香り高いカクテルも手伝い、つい饒舌になってしまうのだろうが、私はその客席を見ながら、昔の自分を恥じるのである。同じ・・いや、もっと酷かったw

私が興奮して話し始めると、よく「とおみい店長」からは「トランス状態」とからかわれた。「トランス」だけならばただの変圧器であるが、そこに「状態」と付け加えられれば「幻覚作用」とか「催眠状態」などを指す言葉となることは、私も知っている。つまり、周囲が見えなくなり、自分の脳内に浮かび上がった言語を発するだけの状態、相手が聞いていようがどうであろうが、ただ、そのフレーズを言い切りたいというだけの状態、すなわち、おまえ、それ、言いたいだけちゃうんか?ということである。言いたいだけなのである。

往々にして、ここには「聞いて欲しい」とか「理解して欲しい」が抜け落ちる。本当に「言いたいだけ」ならば、そこらの壁にでも話しかけていればよいのだが、そこはやはり、対象が人間、それも言語を解する相手、また、状況や環境についての詳細説明、付帯説明などを要せず、さっくりと伝わる話題ながらも意見の表明は自分だけに限られるという「対象者」が好まれる。「対象者」は石と化し、そこにじっと座りながら、眠い目を隠しつつ、興味のあるふりをしつつ、相手の気が済むまで首肯し続けねばならない。これは正直、なかなか苦痛だと思うが、今、思い出せば「工作員1号」はこれが得意であった。得意ではあったが、人の裏をこよなく愛する私の底意地の悪さはこれを見逃さず、あるとき、一度「実験」をしたことがあった。

その実験とは「仕事終わりに飲みに誘い、店に入って私から一言も発さない」という内容であった。この実験結果は実に興味深いものがあった。

先ず、カウンターに座り「自分だけ」がドリンクを注文する。普段は必ず「おまえは?」と問うか、超リーダーシップを発揮する私としては、相手が男性ならば有無を言わさず「ひや酒ふたつ」と言うのだが、今回はそれをしない。さて、工作員1号はどうするのか・・

なんと、黙っているのである。「とりあえずビール」すらなく、ただ、座っているのだ。これには私よりも居酒屋の兄ちゃんが困っていた。そして、かなりの間をおき、ようやく「同じで・・」と頼んだのである。このときから私は、この実験が証明するであろう「テキトー中間管理職の社交性と処世術」の結果に期待しないわけにはいかなかった。書くつもりはないが論文ができそうだった。

そして、また私は「自分だけ」が注文する。私は大食漢だが、酒を飲むときはあまり喰わない。だから、注文する量も少なくなる。しかも、これがまた、意外にあっさりしたものが好きだったりする。「らっきょ」だけで飲んだりする。比して、工作員1号は昼から何も喰っていないはずだし、私と違ってホールを走り回っている。相当な空腹を覚えているはずなのだ。つまり、この実験体1号の趣向からすれば「からあげ」や「海老フライ」などの揚げ物は魅力的だったはずだ。金を払うのはどうせ私だし、いつもならば「チキン南蛮喰うか?」などと声を掛けてあげるのだが、この日は完全に無視である。

これまた、しばらくの時間を要して、ようやく実験体1号は「やきとり・・」と無難で中途半端な物を注文した。それでも、私は一切喋らない。ただ、黙々と酒を飲み、粛々と酒を飲んでいるだけだ。それくらいから実験体1号は、もじもじし始める。

3分ほどが過ぎた。短い時間だが、これが並んで座る居酒屋のカウンターならば相当な時間である。もはや、ホモカップルの痴話喧嘩である。もじもじしているし。

「らっきょ」も、いつもなら私が「らっきょ、喰う?」と言って「つまようじ」などを刺しやるのだが、今日はそんな過保護はしない。ただ、知らぬ顔をしながら酒を追加する。これも普段ならば、私が自分で注文するのではなく、横にいる実験体などに「グラスを振る」だけで通じるのである。横にいる者は店員を呼んで注文するか、中には席を立って厨房の中にまでオーダーしに行く者もいる。しかし、今日の私は自分で「自分だけ」のことをするのである。そして実験体1号は、そろそろ「異変」に気付き始める。なぜか、少し笑っているが、それは面白いのではなく、いま、何が行われているのかという不安を表現する、彼なりの精一杯の行動であることも私は知っている。私からの「なに、笑っとんねん?」が発せられるのを、今か今かと待ち侘びているのである。

それにしても話しかけてこない。この際「どうしたんですか?」じゃなくてもいい。小粋な話題を振ってこなくてもいい。「実はですね・・・」という重い空気からでもいい。独り言でもいい。いや、ストレートに「なんで黙ってんねん!」というツッコミでもいい。ともかく、何か喋れというだけなのだが、実験体1号は居酒屋の天井を見たり、何度もメニューを裏返して見たり、灰皿を触ってみたり、箸袋の文字を読んでみたり、店内のポップをくまなく見たり、指を見てたり、手を握ったり開いたりしたり、前髪を触ってまじまじ見ながら、はっとしたり(すべて、私からの“どうしてん?”を期待する行動)している。

「受ける」のが仕事のキャッチャーでもボールを投げ返す。この実験体1号は、少々、どんな球でも取るのだろうが、自分から投げることは出来ないのだとわかった。あるいは柔道で、どんな角度から投げられても受け身を取れるが、決して、自分から仕掛けることも出来ないのだとわかった。ならば、通常、大阪での生き方は「ツッコミ」しかないのであるが、彼はこれがとても下手なのである。面白くないのである。

「面白くない!」

私は実験を中止した。これではデーターを取る前に、私が発狂してしまう。ウリハッキョウである。無論、一日中働いて、やっと仕事が終わったら私に付き合わされて、真夜中の居酒屋で何もしていないのに「面白くない!」と責められる実験体、いや、工作員1号には気の毒であるが、私の横暴を差し引いても、こいつが面白くない事だけは譲れない。だから、その日も「私だけ」が一方的に話すことになった。トランス状態、というか酔っ払い状態である。

しかし、サラリーマン時代の私などは「それも仕事!」だという強弁により従わせてきたが、いま、それらの姿を目の当たりにすると、ちょっと反省してまぁ~すとなるのである。


良い経営者、良い上司とは「相手の話を聴ける者」と換言しても大過ない。相手が口を挟もうとすると、急に声がでかくなる人も多いが、要するに情報というモノは「発するよりも受ける」ほうが得なのである。工作員1号は、これを知っていたのだろう。

店に女の子が「客」を連れてくることもある。もちろん、酔客なのであるが、彼女らからすれば「仕事の延長」なわけだ。いわゆる「アフター」で来てくれるのであるが、この姿勢がものすごく勉強になる。要するに「話の聴き方」のプロである。

酔客はもう、何を言っているのかさえ定かではない。聞き取れないし、同じことを繰り返すし、ビデオを撮っておいてシラフのときに見せたら、土下座するんじゃないかと思うほどの不条理、不道徳を言い放つ。それでもプロの女の子は受け流し、受け止めて投げ返す。相手の肩に手をおいて、目をじっと見て話を「聴いて」いる。もちろん、次の日に聞くと「覚えてるわけがないww」と笑う。私は素直に感動する。

無論、言うまでもなく、これらの事が出来るのは「仕事」だからである。つまり「プロ」なのだ。これが彼氏や旦那にできれば、日本国内の離婚率の減少は確実だが、それは正しい姿とはいえない。旦那相手に「仕事」する素人はいない。「ちゃんとした旦那」も嫁はん相手にウダウダと絡むことはしない。晩酌する際は、嫁はんの話を「聴く」のである。




昭和初期に「カフェ」が流行った。昭和5年には大阪北新地に「接吻カフェ」という、そのまんまの名前の店ができ大ブレークしたらしい。当時の「カフェ」とは喫茶店ではなく、今のスナックやラウンジに近い店だった。客が席に着くと、そこに「女給」と呼ばれる女性がつく。そこで話しながら酒を飲むスタイルというのは今も昔も変わらない。ちなみに、夜の繁華街で働く女性の事を「夜の蝶」というが、これはこの「カフェ」からきている。白いひらひらしたエプロンに大きな「蝶々結び」がその由来である。今でいう「メイドさん」のような格好だ。時代は明らかに繰り返している。


驚くのは、その当時の「女給」は店から給与をもらわないということだ。ミナミでもキタでも「キャバ嬢の時間給」を聞けば働くのが嫌になるこのご時世だが、当時はなんと、無給だったそうだ。その収入の全ては「客からのチップ」とのことだ。そして、実のところ、これは理に適っているともいえる。素晴らしい時代だったのだ。

今、「女の子がいる店」で飲むと「チャージ料金」とか「セット料金」というモノが発生する。店にもよるが、高級クラブだと数万円という店もある。これは安い店だと「オシボリやアイス」などの値段ともとれるが、実のところ「アイス」や「ミネラルウォーター」に値段が付いている店も珍しくない。ならばこれはもう「座った値段」だといえる。つまり、椅子の値段である。そこに指名料や女の子が飲むドリンクなどが加算され、一時間4千円だとしても、支払いが1万円を超えるということは、ちょっと外で飲む男性なら知っている話であろう。そしてこれのほとんどが「人件費」だということもわかる。すなわち「女の子(ホステス)」が商品になった瞬間だ。

過日、ホステスさんで作る労働組合があるとニュースで見て笑ったが、つまり、商品ならば管理されるのは当然となる。店側からの要求もあろうし、“よく売れる商品”ならば店から重宝されることも当然のことと言える。「労働者」としての権利も主張するならば、その成果、成績を問われることも「雇用される立場」なら当たり前だ。

しかし、昭和初期は違ったわけだ。今、この時代に働く「夜のモンシロチョウ」からすれば「そんな、酷い!」というかも知れんが、ちょっとマッテみよう。

先ほどの「接吻カフェ」が出来た昭和5年、大阪には3000を超える「カフェ」があった。そこで働く「女給」は1万8千人以上とのことだ。無論、現在からすれば「女性の権利」は無いに等しいだろうが、それでも、その当時の「女給」が「いわゆる従軍慰安婦」よろしく、意に反して強制的に人権を侵害されていたかといえば、そうでもなさそうである。それに当時は売春が合法だ。そんな時代に「一緒に座って酒を飲む」だけの仕事に2万人近い「女給」がいたことから察するに、その「生業」が自立したものであったことを証明してはいないだろうか。すなわち、給与をもらえずとも生活が成り立ち、そこには厳然たる「プロ意識」を見つけることが出来る。

逆に問えば、今の時代「チップだけ」で生計を立てることは可能だろうか。もちろん、時代も違うし、風適法もあるし、なにより「女性の働く権利」と声高に叫ぶ時代となったから、そのままその価値観を移行させることはできない。ならば、過去の日本の歴史、激動の明治から昭和時代にあって、男性が「もし、その時代にいたら何をしたか?」を夢想するが如く、もし、その「カフェ」全盛の時代に生きていればどうなのかと問うてみることの意義はある。すなわち「しゃべりと愛想だけで金が取れるか」である。


ちなみに、太宰治が最初の心中の際、一緒に鎌倉の海に身を投げた相手は「カフェの女給」だった。もちろん、今の時代でもキャバ嬢を刺し殺してしまうようなストーカーもいるが、私は先に挙げた「話を聴くプロ」として確立した女性だけが、男性客を虜にしていたのではないかと思うのである。いわゆる「エログロナンセンス」の時代であるが、そこは今と変わらぬ鼻の下を伸ばした酔客相手である。そこからチップをもらうことは、今で言うところの「性的サービス」もあったに違いない。しかしながら、それら男性客の要求を受け流し、あるいは受け止めながら、(性的にではなく)満足させ「続ける」技量というモノが必須だったと考えるのである。

とあるママさんは言う。

「コンビニでバイトする感覚では困る」

客からの誘いを無礼に断る女の子がいると嘆く。無論、客相手でも好き嫌いはある。中には「身の危険」を感じるようなチンピラもいる。しかし、そこは「そういう世界」なのだということなのだ。「夜の仕事」とは、そういう世界で生きることなのだ。単純に「収入が良いから♪」だけでは生きていけない、ある意味、ハイリスクの世界、小娘が小遣い稼ぎに出来る仕事ではなかったはずだ。だからこそ、その世界で古く生きる女性は慕われるし、後進の指導や管理にも責任を持つ。会社の上司や雇い主ではなく、その世界での先輩ということで権威がある。連綿と受け継がれる「仕来たり」がある。これを伝統という。



ところで―――


「夜の蝶」とはいうが、蝶にもいろいろある。

例えば「モンシロチョウ」は「花の色」に近い。これは保護色である。鳥などから喰われないように、周囲と同じ色にして目をくらますだけだ。ちなみに「アゲハチョウ」は鳥に喰われない。なぜかというと、アゲハは体内にアルカロイドという植物毒を溜める。これはアヘンから抽出される成分、つまりモルヒネだとされる。

保護色など通じない相手もいる。夜に飛ぶならば麻薬のような毒を持っていたほうが良い。

男を酔わせて喰う仕事なんだから。

5 コメント

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Unknown (久代千代太郎)
2010-03-13 14:25:26
>あんのうん

・・・・?


「20人くらいいる」という件だが・・・



と、とりあえず、ま、待ってますねw


ん?


もしかして・・・



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Unknown (Unknown)
2010-03-12 03:45:12
あw 以前、千代太郎様に会社でお世話になっておきながら、ひどい辞め方をした奴です(3年前くらい?)。会わせる顔が無いというのは重々承知ですが・・・

久々にお店のHPを見たところ 無かったものでして、ブログ検索で状況がわかった次第でした。誰なのかという点ですが、思い当たる節があればそいつだと思います。

では時間ある時にでも行きますので
お会いした際にはどうぞ罵ってくださいww


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Unknown (久代千代太郎)
2010-03-11 12:25:29

>Unknown さま



アンノウンはやめてw


だれですか?w

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すいません。 (Unknown)
2010-03-10 03:38:38
場所わかりました。
近いうちにでも伺いますですw
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おひさしぶりですw (Unknown)
2010-03-10 03:12:23
お店の場所教えてください。
飲めないですが、挨拶にいきますよw
悪い意味じゃなくw
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