忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

酒粕の話

2010年02月28日 | 過去記事

太平洋側から「ナスカプレート」が南米大陸にある「南米プレート」の下に沈み込んでいく。ゆっくりゆっくり、しかしながら確実に、強大な力でぐいぐいと、巨大な岩盤が深い海底を巻き込みながら沈んでいく。そしていつか、必ず、限界まで達した南米プレートは、勢い良く上に跳ね上がる。いわゆる「プレート境界型」の大地震である。

現地時間2月27日午前3時34分、日本時間でも午後ながら同じ3時34分、ちょうど日本の裏側にある南米チリで発生したマグネチュード8.8の大地震がこれだ。

南米の下に広がる海の底、つまり「南米プレート」が跳ね上がり、太平洋の海水を下から上にかきあげた。原爆であろうが水爆であろうが、人間の作る武器兵器など遠く及ばないパワーで、太平洋にある海水を全部、下から一気に持ち上げて大波を作った。

その大波が「tsunami・津波」となって日本の沿岸まで達する。何とも計り知れぬ地球のパワーであろう。日本沿岸部に大きな被害は出ていないようだが、警報、注意報が出ている沿岸部ではくれぐれも注意してほしい。また、現地の被災者の方々には、心からお見舞い申し上げる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100228-00000014-maiall-soci
<大津波警報を津波警報に変更>


もちろん、世界で発生する地震の1割が日本周辺で起こるという地震大国も他人事ではない。日本列島はちょうど南北で半分ずつ、ユーラシアプレートと北米プレートに乗っかっているが、その下には太平洋プレート、フィリピン海プレートが突き刺さっている。今更だが、実に4枚ものプレートに影響されるというグラグラした国なのである。ちなみに、その中心部分に静岡県があったりする。

日本でこのような「プレート境界型」の大地震が起こるかどうかとなれば、それはもう、あるかないか、ではなく、いつ起こるかというレベルであるということも有名である。無論、日本の建築物は厳しい耐震基準を課せられているはずだから、ハイチやチリよりは建物の倒壊は免れる確率は高いとは思うのだが、それでも民主党は日本人が通う学校の耐震強化よりも、日本人を拉致して返さない国、国交のない独裁犯罪国家の子供らが通う工作員養成機関、拉致事件にも関与していたことが自明となった朝鮮学校の無償化をするかどうか、連立内閣で協議しているのである。国民新党がいなければ通っている可能性も高い。


また、何かで偶然知ったのだが、友愛総理の選挙区「北海道第九区」にある日高地方には「津波の神様」の言い伝えがあるらしい。細部、間違えていたら済まんが、そこには二つの集落があって、ひとつは小高い土地にある集落、もうひとつは沿岸に近いところに住む集落ということだった。そこに巨大な津波が押し寄せる。

「波の壁」が押し寄せてくる現実を目の当たりにした沿岸部に近い集落はパニックになる。そこに集落の長老が登場。なぜだか「酒粕を撒け」と指示を出す。なんでも「津波の神様」は「酒粕」が大嫌いなんだそうで、酒粕を撒いておけば津波が避けて通るとのこと。沿岸部の人々は家から酒粕を持ち寄り、必死で周辺に撒き始める。

それを見ながら小高いところに住む集落の人々は笑う。手伝うどころか、酒粕なんか撒いたって津波が避けてくれるはずもない、と小馬鹿にして嘲笑う。

しかししかし、あら不思議。その長老の言う通り、巨大な津波は沿岸部だけを避けて通る。地面を舐めながら上に上にと登って行く。余裕をぶっこいていた小高いところに住む集落の人々は津波に飲まれてしまう。嗚呼ぁ!酒粕ありがとう!長老ありがとう!なるほど、年寄りの言うことは聞くもんだ!というお話だったような気がする。


さて、変な話だなぁと思って調べてみたら、酒粕=魔よけというのはアイヌ民族の風習だった。なるほどである。健康にも良い酒粕は貴重だったのかもしれない。寒いところだから、今で言うところの「粕汁」みたいな温まる喰い物もあったかもしれない。それがアイヌの伝統と文化の一例なのだろう。災害すらなんとかなるほどの「ありがたいもの」として伝え続けていたのかもしれない。また、そのような伝統と文化を嘲笑うような真似はするなという警句でもあったのだろう。知らなきゃ津波に飲まれることになるぞと・・。


先人に対する感謝を忘れ、恩義を忘れ、意義を忘れ、「小高い」程度で安心して惰眠を貪り、日本の伝統文化に唾棄する団体が教師を送り出し、日本の伝統文化を破壊する法案を提出しようと気勢を上げる政党を与党とし、私腹を肥やすためには売国すら厭わない不動産屋に力を与え、理念や目標など露ほどもない世間知らずの無責任を友愛だと許し、それらをバックアップする企業、マスコミ、政治家、役人が大手を振り、日々、元気を吸い出されているかのような日本国民は、東から西から北から襲い来る「津波」がはっきり見えている日本人が、否、北からの津波には既に攫われている日本人がいることが許せない日本人が、国旗や国歌、日本の伝統や文化、そして何よりも日本国の主権を護ろうと奔走する姿を「酒粕撒いている阿呆」くらいにしか見ていないのかもしれない。

自分だけは「小高い」ところから見下ろしているつもりかもしれないが、日本列島を覆う巨大な津波には関係ないと知ることになろう。また、当然の話だが「津波が来ても(自分だけは)大丈夫さ♪」と「津波なんか(自分のところに)来るわけ無い」と「津波って何?」という連中から飲み込まれることになる。

少なくとも、この世に愛する人がおり、護らねばならない人があるならば、津波であろうが地震であろうが、常に「ある」という前提で物事を考える義務があるはずだ。事実、災害や犯罪、事故や病気も現実問題として「ある」わけだ。すなわち「安心して暮らせる」という保証はどこにもない。そして、その原因は先に挙げたモノ以外にもある。


「国が壊れる」ということや「何万人が死ぬ」ということは、災害だけではなく人災でも起こると自明である。これらはつまり、「安心して暮らせる」ことを失うということだ。災害であっても、普段からある程度の備えがある場合と、そんなことあるわけないを比してみれば明らかに「実害」は変わってくる。生きているはずも死んでしまうことになろう。

このまま「保守政党の受け皿がない」などと呑気抜かして民主党政権が続くならば、その被害は甚大となろう。取り返しのつかないほどの被害、それこそ建国以来最大の「実害」を被る可能性すらある。先の大戦に負けたよりも、65年以上かけてじわじわと攻められ続け、ましてやそれに気づかない、あまつさえ受け入れているわけだから、これはもう立ち直ることすら危うい。外国人地方参政権であれ、選択制夫婦別姓法案であれ、人権救済法案であれ、こんな不埒な法案を国会で議論させていること自体が危険なのである。

これは民主主義がどうの、議会制がどうの、言論の自由がどうのという話ですらない。「議論の余地がない」という判断も民主主義なのである。これらは、例えば「殺人を合法化するかどうか」に等しい愚論であり、亡国の法案であり、日本解体が目的だと明白な売国工作に過ぎないのである。「人を殺す権利」「女性を犯す自由」を論じることが狂っているように、日本国が日本国を壊すような議論など許してはならないのである。


同じく、祝日に国旗を掲げる、卒業式に国歌を斉唱することを、津波に備えて「酒粕」を撒くような目で見る連中を許してはならない。長老の助言を「古い発想」と一刀両断する危険を理解せねばならない。「国とは何なのか」がわからなければ、必ず「人はなぜ生きるのか」もわからなくなるように、伝統文化を軽視すれば「新しい価値観」など扱えることはない。国も人も、ある日突然に湧いたわけではない。至極当然、創らねばならないならば、護らねばならないものもある。そして、捨てねばならないモノもある。

次の夏、日本国と日本人にとって切って捨てねばならない政党がある。2度の失敗は致命傷となる。公金使って不動産を買う幹事長や、脱税しても捕まらない総理大臣がいる国で納税拒否運動もせず、真面目に血税を納める国民性は世界に誇って良い。さすがは私が愛する日本民族、私が忠誠を尽くしたい大和岩根に住む民族、人類史上、最高の道徳観念、それはもう凄まじく高い民度かもしれない。「あんな脱税総理と俺は違う。払うべきはしっかりと払う」という信念は光り輝くだろう。私は「難しいことはともかく、今のお年寄りが困るだろうから年金を払うんです」という若者も知っている。その若者を顎で使う経営者が「もらえるかどうかわからないのに、年金を納めている奴は先を読めない阿呆」と斬って捨てるのを、心の底から軽蔑するものである。だからこそ、

だからこそ、2度の失敗はないと信じる。自分たちが選んだ政党だからと、我慢して我慢して、身を削りながら、血が噴き出しても堪えたわけだ。優しさの延長線上には甘さがある。責任感に任せて放擲することは無責任となる。もう、これ以上ないというほど「ダメな政党」だということもわかった。史上最悪の売国政党だと疑う余地もなくなった。


日本の下を走るプレートの軋む音を聞かねばならない。ちゃんと備えねばならない。雑音で聞こえないからといって、安心に暮らせる保障とは成り得ない。過去の日本人も、少し前の日本人も、天災であれ戦災であれ人災であれ、どんなことがあっても乗り越えて日本という国を続けてきた。命を賭けて護り、人生を賭けてやり遂げてきた。失敗も成功もあっただろう。それでも、なんとかやり抜いてきたのが日本人だ。


そして、いま、津波に備えて「酒粕を撒く人」は確実に増えている。

2 コメント

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ホンマ、そうでんなぁ (近江(イタコ)謄写堂)
2010-03-01 20:28:29
近いうちに、また寄せてもらいますさかいに、よろしゅうに!
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Unknown (久代千代太郎)
2010-03-03 19:17:01
>りじちょ


ボトルがさびしがってますョ
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