忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

5月212日は雪です。

2010年04月16日 | 過去記事
一応、これでも日本国の首相なわけだから、あまり外国から馬鹿にされるのはいい気分ではないのだが、日本でこれほどまで日本人から馬鹿にされる日本人は、最近で言うと「亀田と鳩山」くらいであろうか。普天間問題もそうだが、選挙前に票が欲しくて言ったことが、ぜんぶ、自分たちに降りかかってくるわけだから、なんともまあ、因果応報、自身の言動が後の自身を封じ込めるという因果は亀田親子も同じではある。

さて、人のふり見て我がフリオイグレシアス。とみちゃん、3万円もありがとう。びっくりしたよ、という今日この頃、この総理大臣をフォローするにはもう、法律を変えて「5月は300日とする」とかするしかない。5月末が来たら、オバマにこう言うんだ。

「明日は5月32日ですね。その次は33日。100日経ったら5月133日です。ちゃんと“5月末”には決着をつけます。とらすとみ」

・・・・。

2010年の「5月生まれ」は多くなる。参院選の7月も先伸ばせる。「ちきうおんだんか」のサボタージュで4月は「100年ぶりの寒さ」とかいうが、今度の5月には海に行けるし雪も降る。5月82日とかは暑いが、5月も200日目を過ぎるころには寒くなるだろう。というか、年齢も1歳くらいは「取らない」計算だ。女性層からの支持があるかもしれん。ただ、6月の給料日は遠い。

それにしても酷い(笑)。2007年にアメリカ下院で決議された、いわゆる「慰安婦決議(121号)」に対し、日本から「全面撤回」の意見広告が出された際に掲載した新聞から、日本国の総理大臣が「loopy(変わった・馬鹿な・愚かな)」と馬鹿にされているから、民主党の中の人や駐米大使も怒っている。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100416/plc1004160843004-n1.htm
<「一国の首相に失礼だ」 藤崎駐米大使が米紙のコラムに不快感>

国民に失礼な総理大臣が失礼なことを言われたと怒るのも無理はないが、これは怒る前に恥ずかしいという気持ちが沸き上がってくることも否めない。嗚呼ぁ、恥ずかしい。

<記事は風刺調のコラムとして掲載された。この中で鳩山首相を「不運で愚かな日本の首相」と紹介。米軍普天間飛行場の移設問題で首相のことを「まったくあてにならない」とこきおろし、「あなたは同盟国の首相ではなかったか。首相を相手にしたのは中国の胡錦濤国家主席だけだ」と皮肉った>

ま、なんというか、だ。

自分で自分の子を「阿呆な子」というのはまだしも、他人から「お前の子供は阿呆だ」といわれると気分が悪いはずだが、これも亀田親子同様、この場合は「すいません、うちの子、このとおりの阿呆なんです」という気持ちになるから不思議だ。

んで、阿呆を担ぐ集団には阿呆しかいないわけで、そういえば、こんな阿呆もいた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100415/plc1004152054010-n1.htm
<「ジェンダーフリー」や過激な性教育への歯止め削除 男女共同参画中間案、福島氏の意向色濃く>

小学生に「糊」と「牛乳」で精液を作らせたり、親や近所の人に性行為の回数を聞かせたり、性器の名称を連呼させたり、特別講師にニューハーフを呼んだり、などという変態教育を復活させようと必死な阿呆だ。そういえば、自分の夫婦の営みを録画して子供らに見せた教師もいた。教科書に出てくる男の子は髪が長く、女の子は半ズボンを履いているイラストも、男女を同じ部屋で着替えさせるという変態実験や、男女混合で並ばせる意味不明も同じく、必然的に存在する「性差」というものを否定したいがためだけに繰り広げられる、ある種の愚民化政策の一環であることは自明である。

<現行計画では「ジェンダーフリー」という用語を利用して男女の性差や男らしさ、女らしさを否定する動きについて、「国民が求める男女共同参画社会とは異なる」と指摘。発達段階を踏まえない行き過ぎた性教育についても自制を求めているが、中間整理案ではこれらの表現は削除された>

朝日新聞なども「男女」とすればいいものを、わざわざ「女性と男性」と書いたりしながら応援していたが、それは、この「らしさ否定」というものが「日本人らしさ」とか「日本らしさ」というもの、つまるところ「国らしさ」を破壊する行為に底通する工作だからである。自己主張が強く、精神的に未成熟な子供に「ゆとり」を授けて大変なことになったのと同じで、子供らしさ、大人らしさ、を曖昧にする弛緩した世の中のおかげで派遣村ができたりもする。

例えば、国のセーフティネットの前に「自前のネット」を張ることは「大人らしさ」のことだ。「なくなっちゃった、どうしよう」は子供なのだ。大人ならば「なくなるかもしれない」と考えて対策を講じておく必要があると身に沁みていないとダメだ。「仕事がなくなったらすぐに生活保護」の人数が急激に増加しているが、それは不安定な雇用形態や不景気だけの所為ではない。過去の日本ではもっと深刻な不景気があっても、生活保護者は増えていない。無いなら無いでなんとかするのが「大人らしさ」でもある。周囲の「大人」と連携したり、借りたり貸したりしながら、なんとかしてきたのである。その理由は、大人ならばそれでは「国が持たない」と知っているからであり、自分のことだけ優先的に考えることは、コミュニティから浮いてしまうことを覚悟せねばならなかった。

ちゃんと「庶民らしさ」を知っていた。無いものは「無い」と言えた。見栄を張らなかった。虚勢を張り、何かを「隠す」という行為は精神的未成熟の典型である。「金が無いのにあるように見せる」必要などまったくないのだが、中身を空っぽにされた人間は、そういう些細なことにこだわる。だから、生活保護を受けていても、人が持っているモノが欲しいのである。「月に一度は回転寿司くらい」となる。幼児的思考なのだ。

また、「らしさ」を失うということを換言すれば「虚勢を張る」ということかもしれない。(金だけでなく)生活全般において不自由なく育った者は、貧乏か金持ちかを問わず、往々にしてリアルな社会では通じない。世の中とは、基本ベースが「上手くいかない」で出来ているから、甘ったれたまま社会に放り出されたりすると「出来ないことだらけの現実」が待ち受けるわけだ。ならば、これはもう、自分が悪いのではなく、運が悪いか、周囲が悪いか、相手が悪いか、時期が悪いか、ともかく「自分以外の何か」に原因を見つけ出そうとするも、ちゃんと苦労して育った人間は、世の中で普通に起こりえる不都合全般に関しては、その過半以上が「自分自身が原因」であるということに、それは、もう、嫌というほど思い知っているからなんとかなる。がんばろう。

しかし、その「らしさを失う理由」を繰り返すと、それは「隠す」からだと私は書いた。「出来ないことを出来ないと言えない」や「知らないことを知らないと言えない」という幼児病は「らしさ」と正反対のところにある病理なのだ。周囲の迷惑や実害などを一切考慮せず、いつまでも自分だけが被害者であると本気で思っている。例えば、こいつだ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100416/plc1004161506008-n1.htm
<鳩山首相、責任転嫁?混迷普天間「メディアが動きすぎ」>

この期に及んでも他人の所為である。これは「総理大臣らしさ」というか、もう「政治家らしさ」を失っている状態だ。もっとも、このルーピーくんはその資格や資質に関する疑念も重大な問題ではあるのだが、阿呆でも馬鹿でも、ちゃんとした姿勢を示すことはできる。この幼児病はそれすらしない、出来ないのである。これは普通もう、入院するレベルだ。つまり、この友愛くんは「大人ですらない」可能性があるのだ。

<鳩山由紀夫首相は16日、国会内で自らの後援者らと懇談し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について、「普天間なんてみなさん知らなかったでしょう。それ(普天間問題)が国民の一番の関心事になること自体が、何かメディアがいろいろと動きすぎているなと思っている」と述べた>

本人はおそらく、

「僕が頑張ると言っているのに、これは日本の安全保障の問題だし、沖縄の人たちも基地は嫌だろうし、アメリカの偉い人にも会って頼んだり、他の人にもいろいろ頼んだりしているのに、なんでみんな悪口ばっかり言うんだ。少しは協力してくれてもいいじゃないか。ゲンダイ以外のマスコミも、鳩山総理は頑張ってくれています、とか書いてもいいじゃないか。なんかもう、バカバカしくなってきたよ。連立してやってる小さな政党もうるさいしさ。もう、5月になったら、ぼく、知らないからね!夏用のシャツを買いに行くんだ」

というような感じではなかろうか。半分以上当たっているような気がしてきた。こわい。

昨年の8月12日、選挙直前の党首討論で鳩山幹事長(当時)は「一番いいのは国外、最低でも県外」と明言して選挙に勝った。政権を取ってからの迷走も酷いものだが、期限が迫りつつある中、その壊れっぷりはもう、民主党員でも庇いきれないだろう。


また、今になって鳩山内閣や小沢民主党に幻滅しているという人もいるが、是非とも次の参院選は気をつけてもらいたい。わずか半年と少しで国の背骨がぐらつくのである。それが選挙の威力なのである。また、私を含める虹の会メンバーは、この政権のこの結果には誰も驚いていない。まさに予想通り、こうなるとずっと言っていたし、書いてきた人は少なくない。今だからではないが、虹の会にも来てくれていた民主党の長尾敬衆議院議員のブログで「財源はある!」と選挙前に書かれていたのを見て、こりゃどうしたものか、と悩んだものだ。んなもん、いくら長尾敬であろうが100回聞いても納得できるものではない。無論、個人的には長尾敬衆議院議員の当選は心の底からおめでとうございますだし、今でも「民主党の良心」だと信じているが、とはいえ、だから「民主党政権歓迎」など、私の周囲には一人もいなかった。こうなると知っていたからだ。

昨年の党首討論の動画もあるが、これなども「ちゃんと見れば」誰でもわかることになっている。要するに「わからない」ではなく「知らない」レベルであるのだ。

昨年の夏、民主党に入れて「あっちゃ~」と頭を掻いている人は「隠さずに」ちゃんと見よう。ちゃんと知ろう。長いとか言わない。関係なくないのだ。次がラストチャンスだ。

http://www.youtube.com/view_play_list...
<党首討論 麻生総理・鳩山幹事長>


冷静にこの討論を見て、それでも民主党だという人がいてもいい。もちろん、個人的主観だが、それはやはり希少な人ではなかろうか。これは理屈の問題である。好きとか嫌いの先にある「判断」の問題である。「良い人だから」で採用してくれる会社ばかりだったら、それはやはり社会のレベルを下げるだろう。それと同じ、あくまでも客観的な判断、それも当事者としての責任ある判断が必要なのだ。「民主に入れたけど、こんなんだとは思わなかった」は、このルーピー友愛脱税総理を笑えないというのだ。「出来ないこと」を出来ると言った人間を「出来るだろう」と安易に信用したツケは大きい。当然なのだ。


http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100416/stt1004161840004-n1.htm
<首相「来週にはすべて決着」 偽装献金事件、判決前に“予告”>

みよ、この安易さ。阿呆さ。迂闊さ。杜撰さ。

批判するモチベーションを根こそぎ折るかのような低レベル。

<鳩山由紀夫首相は16日、国会内で後援者らと懇談し、自身の資金管理団体の偽装献金事件に関し、「この問題は来週あたりに、ようやくすべてが決着する。それ以降はご心配いりません」と述べた。行政の長である首相が司法判断に予断をはさむような発言で、波紋を広げそうだ>

確認する必要もないが、この「勝場被告」とやらは「なにをして」裁判に訴えられるのか。「誰の金をどうした」から禁固2年を求刑されているのか。それに鳩山は過日「私のような政治家がいなければ~」などと間の抜けた発言をしたばかりである。当事者意識など皆無なのか。それとも、本当に「物事を理解していない」のか。不安は募るのである。

もちろん、さすがに誰かが注意したのだろう。すぐに釈明はしている。しかし、だ。


<首相は同日夜、記者団に対し、「本来、司法判断(への言及)まで申す必要はなかった」と釈明。そのうえで、「(勝場被告の)判決が下されるのを待つという意味で申し上げた」と強調した>




これで「ああぁ、そうなんだ、ふぅ~ん」という日本人はいないというのだ。



「武士に二言はない」とまで言わない。しかし、政治家、それも総理大臣の言葉というものは、そこらのオサーンの言葉よりも重いはずだが、場末の酒場で交わされる「え?それはそういう意味じゃなくてww」と変わらぬレベルでは困る。出来ぬことは安易に口にすべきではないし、口にしたならやらねばならない。友愛は知らぬかもしれんが、それで出来ねば何かを失うことになるのは世の常識だったりする。また、それを何らかの利益のために、意図的に嘘を吐くことは「詐欺」と呼ぶ犯罪だということも教えてやれ。










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