忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

宝くじ怖い民主党怖い

2010年03月13日 | 過去記事
パチンコ屋のホールを走っている頃、私はとある支店で勤務していたのだが、その店舗の常連さんで「じゃいあん」というあだ名のお客さんがいた。単純に容姿が似ていることと、いつもオレンジ色のトレーナーを着ているから、という理由からであったが、ある日の朝、その「じゃいあん」が私に対して一万円札数枚を差し出し、真顔で「今日は、これだけやねん」と言いながら手渡して来た。私が理由を問うと「どうせ使うから、一緒やん」と言ったから私はツボってわろた。そんなん、わかりませんやんwwとわろたのだ。

「じゃいあん」は、今日という時間の中、その金を無くすためにだけパチンコ台に座らねばならないのならば、朝一番に店員に渡した方が「時間」というモノを失わずに済む、という理屈を真顔で述べていた。実にその通りだw

どうせ負ける――――

パチンコに限らず、世の中、少なくともそういうリスクはありまくりである。ギャンブルに限らず、金儲けに「絶対」などあってはいけない。あったとすれば、それはもう、すでに犯罪の臭いがするのである。もしくは、ウソなのだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100311-00000054-jij-soci
<危ない投資話に注意! =「必ずもうかる」、被害増加-HPで呼び掛け・警視庁>

ここにも何度か書いたが、私は宝くじなどを買わない。妻はコソ―リとたまに買っているようだが、私は伊勢神宮で買った三千円だけだ。ノリで買ってしまったのだ。

馬券も買ったことがないし、競輪も競艇もやらない。マージャンも出来ないし花札も知らない。社員旅行では定番の「おいちょかぶ」とかもよく知らない。最近ではなにやら、宝くじ売り場でスクラッチをこすれば金が当たるような「くじ」もあるらしいが、私はそんなモノに近寄ったことすらない。10年も朝鮮玉入れで働いて、出ます出します!とやってきた人間ならば、そんな、あんた、夢のような話は寝ている時だけで結構となるのだ。

しかしまあ、理由はそれだけではない。私が妻に「宝くじは買ったらダメよ」とソフト口調で注意する理由は他にもある。それはまさに、

当たったらどうするんだ?

という恐怖である。

そう、道理に合わぬ大金など得てしまえば、どれほどのツケを払わされるのかと思うに、身の丈に合わぬ銭は恐怖の対象でしかない。はっきり言っていらない。

例えば、会社が利益を出して臨時賞与が貰えるのは嬉しい。出世して昇給するのもやったぜべいびーであろう。経営者が安定した事業運営に基づいて新たに投資をしてみる・・というのも結構なことだ。日本の経済をよろしくお願いしまつであろう。

しかし、ある日突然、3億円!は怖いと思うのが普通である。使い慣れていない大金を持てば、必ずや金に使われる。今でも結構、ボカぁ、幸せだなぁ~という人生かもしれないのに、そこで得る「謂れのない大金」は先ず、それを「失う怖さ」を生む。また、出来れば「増やしたい」という欲すら生む。頭の中は何を買うか、つまり、何に使うかが巡り、瞬間、多幸感は絶頂まで達するかもしれない。しかしながら、本当に偶然、久しぶりに鳴った携帯電話に表示された親戚の名前はどう映るのか。それでも、懐かしい友人が訪ねてきた嬉しさは、己の疑心に勝ると言えるだろうか。何も知らない友人が、「実は会社がうまくいってなくてさ」とこぼした愚痴を受け止めるでもなく、金ならやらんぞというお門違いの警戒心を抑えきれるだろうか。

これらはすべからく、持ってなければ発生しない「心の動き」なのである。失う、(盗られる)取られる、減る、などは、すなわち周囲を警戒するという意味だ。自動車を無免許で運転するのが危険なら、同じく便利な道具である「金」というものも「何の謂れもなく得る大金」なら危険なのである。金とは「量によって性能が大きく変わる特徴を持つ道具」なのである。ペダルのついた玩具の車も車なら、でかいエンジンの付いた自家用車も同じ車なのである。要するに「量」や「大きさ」による、のである。

極論すれば、3歳児程度に3万円渡してみよう。何に使うだろう。駄菓子屋で豪遊した後、その残りの2万9千円ほどはどうなるのか。しかも、である。その周囲には中学生程度の悪餓鬼がウヨウヨしているとしよう。もちろん、道端に寝ているおじさんもいる。

まあ、良くてもだまし取られるか、力づくで奪われるか、だろう。最悪の場合は・・・わかると思う。しかしながら、その3歳児が「真っ当な手段で3万円を得ている」とすればどうか。世の中で3万円を報酬として受け取る、もしくは3万円に見合うだけの価値を提供したとすればどうか。おそらくは3歳児ではなかろうと思う。ちゃんと成長して、社会や世間を学んで、アルバイトでもしたのだろう。使い方も駄菓子屋で豪遊はなかろう。


で、記事を読んでみよう。

<「必ずもうかる」「元本を保証する」。甘い言葉で事業への投資を持ち掛け、現金をだまし取る被害が増えているとして、警視庁は11日、ホームページで注意呼び掛けを始めた。
 同庁生活経済課によると、投資話に関して同庁に寄せられる相談や関係省庁からの情報提供は2007年が232件、08年が218件だったが、昨年は372件と急増。今年も2月末現在で75件となり、昨年を超える水準で推移している>

被害金額も相当らしい。記事によれば、なんと、1654億2千万円とのこと。「オレオレ詐欺」なんかも日本の文化(笑)らしいが、世界でいちばん治安が良いと言われる日本が、世界でいちばん詐欺に遭うのかもしれん。誰か調べてくれ。

しかしながら、これはまあ、わかりきったことでもある。答えは言うまでもない。この手の詐欺に「ホンマか?どうやってさ?んで、どうなるのさ?こんなときはどうするのさ?」とやれる国民性ならば、昨年の夏、詐欺政党は勝ってない。

だから、はっきり書くと、だ。被害に遭った人には申し訳ないが、

「必ずもうかる」などの甘い言葉に騙されるのは阿呆である。これはもう「1億円差し上げます!」と目の前に積まれて、なにぃ?そんなもんいらん!と言えるだけの阿呆より阿呆なのである。そんなもんいらん!は少なくとも「自分の金を減らしていない」からだ。

子供手当で飛びついて、中身も知らねば何にも知らない。ともかく、民主が勝てば子供一人当たり2万6千円くれるらしいよと、市役所に電話して「いつからもらえるのですか?」と聞き倒す連中、金なんぞ持っていたら「必ずもうかる」に根こそぎやられると知れているのである。小さな欲は大きな欲に取り込まれる。吸い寄せられる。「楽して儲けたい」などという凡慮は「人を騙してでも儲けたい」に及ばない。

また、若干フォローすると「日本人の警戒心のなさ」は、相手の道徳観念に信頼をおくことからも生じる。もはや、このお人好し加減はDNAに刷り込まれているのだろう。日本国憲法に馬鹿のように掲げてある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」騙され続けるのと同じく、要するに馬鹿みたいで無責任な性善説だ。

昔の日本人は「敵意がない」こと、もしくは「武力は使わない」という意思表示として、刀を利き手側に置いたという。諸説ある坂本竜馬暗殺事件に「新撰組謀略説」があるが、その犯人は「新撰組最強の男・斉藤一」ではないかと言われるのも、斉藤が左利きだったからである。決して世間知らずではなかったと思われる坂本竜馬ですら、武士道からなる礼儀は守られて然るべき、これを破るまでの不道徳など想像もつかず、致命傷となる一刀目を喰らったのではないかという話も物語としては面白い。

しかしながら、こういう話は日本以外にもあって、例えば先日、虹の理事長が「山田バー」に来てくれたのだが、その理事長がボトルキープしているスコッチ発祥の地、グレートブリテン島の北部、スコットランドにもある。理事長が1杯飲むあいだに3杯も飲んですいませんでした。やっぱ、スコッチはウマいっす。早く空けて次、入れましょうね。

んで、スコットランドの民芸品で「クエイク」と呼ばれる酒杯がある。今度、理事長が買ってきてくれると思うが、これはハイランド地方を支配していた氏族(クラン)たちの伝統的な杯のことだ。氏族たちは腰から下げた「スポーラン」と呼ばれる袋の中に、この「クエイク」を入れていたとされる。理事長、スポーランも買ってきてね。

この「クエイク」という杯は「両側に取っ手が付いている」というものだ。すなわち、片手で飲めない造りになっている。しかし、この面倒な杯が氏族のあいだで愛用されたのは、これが「友好の証」だったからだ。これは日本の「利き手側に武器を置く」と同じ意味で、あなたには、あるいは、今は剣を抜きません、という意思表示であった。

しかし、ここが日本人と違うところ、この「クエイク」の底が水晶とかガラスで作られ始める。理由は明白だ。飲んでいる時に相手の挙動を観察するため、である。騙し打ちは当たり前なのだ。また、これも何度も書いたが、日本では「人を騙すな」と子供に教えるが、お隣の支那朝鮮では「人に騙されるな」と教える。で、どうやら、こちらが世界標準らしい。

日本人は「政治家が国を売るなんてあり得ない」という性善説をまだ抱いている。「テレビでやっているんだから嘘なんてない」と思ってしまう。「新聞に書いてあるんだから信用してよし」と疑わない。政治家先生が「国民の生活が第一」といえば、それがいったい「どの国民を指すのか」を問わずに丸ごと信じてしまう。だから、安易に「楽して金くれる」という政党を勝たせてしまうのだ。日本人は少し、この「クエイク」の底にガラスを張ったほうが良い。ガラス越しでいいから、少しはちゃんと相手を観たほうが良い。

世の中、タダより高いものはない、と誰かが言うように、美味い話には裏があり、甘い話には毒があり、暗い夜道は危険なのである。布施の夜も危険と誘惑がぷんぷんなのである。

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