忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

野球のはなし

2012年10月17日 | 過去記事



草野球チームに所属していた時期がある。20代半ばだった。私はこう見えても野球好き。体型と思想から「捕手」と思われるかもしれないが、守備位置はやっぱり右翼、ライトで5番だった。

チームは全員、スーパーで働いている商人会メンバーだった。若い人や経験者もいて、少な過ぎる休日ながら練習もやった。試合になると地元の小さな球場を借りた。そこは電光掲示板もあって、なかなか立派なモノだった。スタンドにはチームの家族やら店で働く女性従業員とその友達が詰めた。黄色い声援と黄土色の声援があった。

チームの4番バッターは鶏肉屋の大将。これが腹の出た中年だったが、経験者らしくぱかぱか打った。ここの「からあげ」がまた最高でよく売れた。だから打球が詰まってフライになると「あげるのは“からあげ”だけでいいぞ」とかヤジもあった。

この大将が左打席に立つと、ぽてっとした腹をそのままに、右手に持ったバットをゆっくりと立てた。それから剣道の竹刀を持つように前後に揺すってタイミングをとった。「広角打法」である。私が「左の落合」とあだ名すると喜んでいた。

とある日、対戦相手は他店舗の連合チーム。「助っ人OK」のルールだったのだが、なんと、相手の先発ピッチャーが元高校球児の20代、いまでも社会人チームでピッチャーをしているという現役の「本物」だった。ずるいぞ、というのも悔しいから黙っていたが、投球練習の球をみたらもっと黙ってしまった。相手チームのキャッチャーミットから聞いたことのない衝撃音がしていた。

ましてやその日、我がチームの「左の落合」は娘の結婚式で欠場。私が4番を務めることになっていたが、そんな私は素人相手に連続三振記録中だった。好きと上手いは関係ない。それでも4番だったのは、私が言い出しっぺだったから。

こちらが先行。もちろん、3者連続三振で終了だった。それはもう、これは完全試合されるな、という声が漏れるほどの連続三振だった。阪神タイガースそっくりのユニフォームを着た我がチームは、なんか楽しくないぞ!とかヤジを飛ばしながら守備についた。

どうにか抑えた2回の表の攻撃。4番の私が先頭打者になる。初球、球が速いのは仕方ないが、なんと手元で曲がった。私は思わず、主審を務める駐車場のオッサンに「球が曲がった、反則じゃないか」と詰め寄るも、あれはカーブというんだよ、と窘められた。そのとき、マウンド上で元高校球児が笑っていた。なんか馬鹿にされたようで腹も立ってきた。

私はマウンドに向かって「素人相手にカーブとか恥ずかしくないのか!」と恥ずかしい文句を言った。向こうのベンチも大爆笑になった。「このあとの打ち上げで虐めてやる!居酒屋でコブラツイストしてやる!」とか脅してからバットを構える。次は速球が来た。新幹線かと思った。打てるとか当てるとか、なにそれ?という威圧感。やはり「本物」は違うのだった。2ストライク。

次も直球だった。私が見送ることはない。つまり、ぜんぶ振る。出鱈目で振ったバットに感触があった。ベンチとスタンドから歓声が上がった。みるとセンター前に弾き返していた。センターが拾ったとき、私は既に2塁にいた。ツーベースヒットだ。デブの短距離走を舐めてはいけない。これで完全試合どころか、ノーヒットもなくなった。みたか、鶏屋のオッサン、ということで私の三振記録はストップした。

それから、まさか点をやるわけにはいかない、と本気になった相手投手に後続が連続三振。得点には成らずだった。しかし、私の第二打席の初球、あとの居酒屋で本人に聞いたら「カーブだった」という球を私はセンターバックスクリーン右、その向こうに放り込んだ。打球は球場の隣、道路を挟んだゴルフ練習場のネットを揺らした。

「長打力」というものは天性の素質らしい。結局、その一点だけに抑えて勝利投手になった彼は「あんな八重樫みたいな構えなのに・・」とビールを飲みながら笑っていた。私は完全に振り遅れていた。チームの7番を打つセカンド、肉屋のオッサンは「それがよかった」と解説していた。だからタイミングが偶然合った、それでも最初はセンターフライだと思った、でも放物線の大きさが違った、結果、大きな弧を描いてそのまま飛んで行った、と説明してくれた。「ライン・サンドバーグ」を思い出した、と懐かしいことも言った。

1986年の日米野球だ。日本の先発は江川だった。その初回、江川の速球をライン・サンドバーグが打ち上げる。だれもがレフトフライだと思った瞬間、まだまだ上昇する打球に度肝を抜かれた。落ちて来ない。そのまま後楽園球場のレフトスタンドにホームラン。続くデール・マーフィーも右中間スタンドに特大ホームラン。日本を代表する速球派投手、怪物と呼ばれた江川が「メジャーのパワー」に屈した象徴的な場面だった。

それから更に日本の4番、落合博光は第二打席、メジャーリーグ奪三振王のマイク・スコットの直球を完璧にとらえる。しかし、誰もが「いった」と思った打球はいきなり失速、センターフェンスぎりぎり手前で落下した。打った落合は一塁を過ぎたところで茫然、慌てて一塁ベースに戻った。センターオーバーのシングルヒット、ちょっと珍しいことになった。

この年、日本のプロ野球では2年連続でランディ・バースが3冠王になった。阪神ファンは「神様、仏様、バース様」だった。そんなバースはアメリカではマイナー選手、通算本塁打は9本という選手だった。アメリカでは万年マイナー、でも日本では連続三冠王。まだまだ日米の差は歴然としていた。落合は日米野球のあと「日本の野球がアメリカに追い付くのは、半永久的に有り得ませんよ」とインタビューに応えた。

その頃、大阪では野茂英雄が高校生。甲子園など縁のない公立高校で投げていた。その妙な投げ方はまだ「トルネード」とは呼ばれず、監督からは「つむじ風投法」とか言われていた。それから新日本製鐵堺へ入社。手取り9万円の新入社員として働きながら、スライダーが投げられない、という理由でフォークボールを練習していた。

1986年といえば私は中学三年生。つまり、イチローは中学1年生。近所のバッティングセンターの速球が物足らず、専用のスプリングを入れて調整したマシーンでバットを振っていた。松坂大輔は小学3年生。剣道をやっていた。松井秀喜は小学校6年生。柔道を続けたかったが、進学した中学では柔道部がなかった。ダルビッシュは赤ちゃんだ。

落合の「日本の野球がアメリカに追い付くのは、半永久的に有り得ませんよ」は結果的に間違っていた。その証拠に多くの日本人選手がメジャーで活躍している。「通用している」というレベルではなく、中心選手として認識され、様々な記録も達成する。

日米野球もそう。歴史を遡れば1908年から始まっているが、10点とか20点とか取られて負けるのはお決まりだった。日本人の野球ファンも「歯がたたない」「手も足も出ない」ことを楽しんだ。凄いなぁと感心し、それこそ<半永久的に>どころではなく、これはもう未来永劫、日本人はアメリカ人に適わないと思ったことだろう。アメリカ人も気分がよろしいから、このあとも何年かごとに続けられ、戦後も1949年にはさっそくサンフランシスコ・シールズがやって来た。日本の狭い球場でぱかぱかホームランを打った。

しかし、落合が<半永久的に>と言った4年後、日本は4勝3敗1引き分けで勝つ。相手はマイナー選手の小遣い稼ぎでもなく、豪華絢爛、メジャー選抜メンバーだった。1993年にはドジャースにも勝った。そろそろ「アレ?もしかして勝てるンじゃ?」となる。

それから日本人選手がたくさん、メジャーに行ってしまう。全体的にレベルが上がったから、野茂やイチローじゃなくても、日本人選手の需要が増えたわけだ。そして2006年には「イオン日米野球2006」があった。5戦全勝したアメリカに、イオンは賞金の1億4千万円をプレゼントした。アメリカの全勝は実に72年ぶりだった。

でも2006年にはWBCもあった。第1回大会は日本が優勝したが、その第二ラウンドのアメリカ戦、メジャーでも主審をやっていたデービッドソンの「世紀の大誤審」があった。8回表の日本の攻撃、岩村が放ったレフトフライで3塁走者の西岡がタッチアップして生還、日本が1点を勝ち越した瞬間だった。ショートのデレク・ジーターは「離塁が早かった」とアピールした。しかし、いちばん近くで確認していた二塁塁審の判定は「セーフ」。

VTRも流れたが、誰が見ても西岡は「キャッチされたあと」に走りだしていた。ジーターのアピールプレイは、あくまでも「プレイ」だった。だから、普通はそのまま無視されて終わるはずだが、バック・マルチネス監督が主審に抗議すると、なんと、判定が覆った。王監督はびっくりしてベンチを飛び出した。

もっとびっくりしたのは、その後のマルチネス監督の行動だった。「アウト」の判定が出ると、彼はガッツポーズをした。結果、9回裏に日本は痛恨のサヨナラ負けを喫するが、ガッツポーズはそのときに出たのではなく、自分の抗議によって判定が覆った瞬間だった。

アメリカ人は一応、フェアプレイを重要視する。だから「相手を侮辱する意味」ともなるガッツポーズはしないとか言われる。しかし、こういう「いくつか負ければ敗退する」ことが決定されている大会、いつものように余裕をかましているわけにもいかない。マルチネスもいろいろと背負ってやってくる。そもそもWBCはメジャーリーグベースボール(MLB)が日本野球機構(NPB)を脅かして参加させた大会だ。

あまりの不公平に参加保留をいうNPBだったが、MLBは「日本が不参加でWBCが失敗に終わったら経済的に補償を要求する」と警告した。それから「日本の国際的な孤立を招くだろう」とも言った。日本が参加せねば韓国も盛り上がらない。キューバとかベネズエラ、ドミニカ共和国に支那朝鮮、果ては南アフリカまで、色のついた国を参加させても、肝心の日本がいないと盛り上がりに欠ける。それに日本がいないと資金も不安だ。そのいじましさはTPPに似る。

アメリカでは視聴率が2%だったとか言うが、それは先ず、アメリカがベースボールシーズンではないからだ。WBCの開催時期、アメリカ人はバスケットボールやフットボールを観る。WBCであがった収益は47%が賞金、残りの53%は運営側が収める。主催者はMLBとその選手会、ほとんどをそこが取る。つまり、シーズンオフでヒマな関係者の商売だった。そして行き掛けの駄賃よろしく、「優勝チームは10%」という賞金も取るつもりだった。だからつい「本音」が出た。大仰だが「アメリカの正体」がちらりと見えた。

脅して無理矢理、日本のプロ野球が公式戦の最中、バタバタ参加させておいて、2回連続で優勝を持っていかれるのが笑えるが、もっと笑えたのは第1回大会の「アメリカ対メキシコ」だった。この試合、デービッドソンがまたやった。メキシコの打者が打った球はライトスタンドのポールを直撃した。実況も入った入った、解説者も「ポール直撃」を言った。しかし、判定はツーベースヒット。球場は騒然となった。

YTRが繰り返し流された。画面ではどうみても黄色いポール中段、当たって跳ね返る白い球が見える。メキシコ選手は球に付着した塗料を見せていた。「物証」もあるわけだ。しかし判定は覆らない。4人いた審判のうち3人はアメリカ人、わかってるな、と話し合った。

メキシコ選手は試合前日、みんなでディズニーランドに行っていた。勝つ気がないとは言わないが、まあ、楽しんで帰ろうくらいのノリだった。それが一変する。誤審で2塁にいたランナーをメキシコ代表の2番打者、ホルヘ・ルイス・カントゥがタイムリーヒットで返す。5回にもカントゥは内野ゴロで1点をもぎ取る。勝ち越し点だ。

アメリカの自慢は強力打線。しかも自国開催となる公式試合。負けるわけにはいかないところだが、メキシコチームは遊び気分が吹っ飛び、本気の継投策で抑え込む。アメリカ、まさかの2次リーグ敗退が決まった。その御蔭で日本は三度、韓国と戦わねばならなくなったのも記憶に残る。まあ、盛り上がったから良いのだが。


アメリカはルールを都合よく解釈する。それでも無理なら変更する。それが通じぬならズルもする。「フェア」を気取れるのは「勝てる相手」だけになる。相手が未熟で文明を知らず、貧しくて汚くて、その上飢えていたらもう最高、そういう相手には真上から聖書をみせて、心優しい態度をとることが出来る。「フェア精神」とか綺麗なことも言える。

しかし、負けそうになると支那人と変わらぬズルをする。それから開き直る。反抗してくるとなれば、なにがなんでも許さない。素直に白人文化に憧れていればいいのに、それがどした、みたいな有色人種は目に余る。経済にしろ技術にしろ、アメリカの次のまた次、くらいなら我慢できるが、あんまり接近したり、追い抜こうとすれば話は別で、それは「白人に対する脅威」になるから看過しない。頭に「リメンバー」をつけて嘘でも何でもやる。

ヤンキースのイチローが先日、プレーオフ第2戦でファインプレーをやった。キャッチャーのタッチを2度も避けてホームイン、アメリカ人は「忍者」とか喜んだ。全力でホームに突っ込む最中、急に速度を落として体を入れ替えるのは至難の業。だからオリオールズの捕手、ウイータースも慌てふためいていた。それでよかったのに張本勲コト「張勲(チャン・フン)」は例のテレビで喝!とやった。野球は鬼ごっこじゃないと。

チャン・フンはイチローがヤンキースに移籍したばかりのころ、同じ番組内で「もう引退したら」とも言った。ベンチスタートに下位打線、それに<お金もしこたま残っているだろうし>。そんなチャン・フンの心配には及ばず、イチローはその後、ちゃんと上位打線に定着した。だからプレーオフで活躍もしている。

支那人やアメリカ人はルールを曲げて、それからズルもする。そんな大それたことをできない朝鮮人はケチをつける。日本はその全部をやっつける。来年のWBCも楽しみだ。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (近江謄写堂)
2012-10-19 04:10:25
スカッとしました
返信する
Unknown (久代千代太郎)
2012-10-19 09:50:11
>りじちょ

一緒に観に行きたいですね~~(チカラ使ってチケットとって)
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。