忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「結婚記念日」

2008年02月24日 | 過去記事
■2007/12/20 (木) ガチコメ的「結婚記念日」1

今日、12月20日は「シーラカンスの日」(笑)でもあるが、私たち夫婦の結婚記念日である。いやはや、ありがとう、どうもどうも。いやいや、なんの、いや、どうも。なにいってるんすか、いやいや、そんな、ははは。

ということで、今日は「結婚(離婚)」というものを考えてみたい。もうすぐ40歳になるのに、独身生活を満喫している当店主任にも、是非とも考えてもらいたい。というか、気持ち悪いから早く結婚しる。独身女性で興味のある方はメールください。当店主任を紹介します。

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結婚とはつまり「家庭を持つこと」である。だから、離婚とは「家庭をなくすこと」であり、未婚とは「家庭を持っていない状態」であろう。結婚生活とは、そのまま家庭生活と相成るわけであり、その中において、子供を産み育て、消費しながら財産をつくり、日常生活を送りながら老後のことを考え、社会を構築する基本単位として過ごすわけだ。

せっかく指輪をあげたのに、なんと、己は首輪につながれて、とほほ・・・という、いわゆる「人生の墓場」とはこういうことである。とほほ。

「墓場から蘇った」らしき、平成17年度の離婚数は26万件。そのうち15万件は10年未満の結婚生活であるという。結婚ゾンビが徘徊する日本国・・・嗚呼、にふらむ!!

アメリカや韓国には及ばないにしろ、ましてやソ連崩壊後のロシアの離婚件数に含み笑いを浮かべながらも、これは尋常ではない数字であると、今更ながら言っておく。

「2」へ

■2007/12/20 (木) ガチコメ的「結婚記念日」2

「夜這い」や「通い婚」、ましてや「一夫多妻制」という魅力的な時代からして、男と女が所帯を持つというだけのことを、ワザワザ六法全書を前に契約するという「建前」が崩壊しつつあるわけだな。そう、ひとつ目のキーワードは「建前の崩壊」である。

また、離婚の原因とされる「価値観の違い」や「ドメスティックバイオレンス」、はたまた「浮気」などの不動の理由と色々ではあるも、なんとも栓無い話が「束縛される」などという近代病的な理由である。日常生活というものを、単なる反復行為として「退屈」や「焦燥」の温床であるとする愚昧な理由である。

「刺激がない」という近代進歩主義よろしく、低レベルの変化を希求し、人生の王道である「普通の生活」を小馬鹿にする。何度でも書くが、「普通」とは「普く(あまねく)」「通(ツウ)」に生きることである。チャラ餓鬼は、やれるもんならやってみろ。

20代のころ、周りを見ると結婚結婚結婚・・・
30代になって周りを見ると離婚離婚離婚・・・

変化が欲しくて結婚して、変化が欲しくて離婚する。

結婚=家庭をもてば、ドラマのように刺激的な出来事が頻繁にあって、変化に富んでいて、楽しいもんだ(往々にして自分だけが)という認識、あるいは、最近のくだらん映画で「不倫」を扱ったC級のエロ映画かなんかわからん作品がもてはやされることから、「恋愛」という人生の一時期に陥る不安定な感情を重宝する傾向、もしくは、感情を共有しやすい人間関係である「家庭」というものの、最高の賜物である「安堵感」を理解できないことからも、およそその価値をぶち壊すことでしか変化を感じられないという個人主義の弊害がみられる。おっと、2つ目のキーワードは「ミーイズム(個人主義)の弊害」である。

「3」へ

■2007/12/20 (木) ガチコメ的「結婚記念日」3

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と、まあ、ここで、なぜに「家庭」というものが平凡で退屈と感じるのかを考えたい。

これはまず、前述したとおり「感情の共有」が行われやすいからである。「身内」という言葉の通り、家庭を持って生活を営むということは、通常の社会生活で経験する「組織」などと比して、感情の伝播が容易く、且つ、その移入する速度と量も比べものにならんからである。

たとえば、私が会社で不当な扱いを受ければ、妻や子供は我がことのように憤るだろう。それは、私の収入における「利害関係も共有しているから」だけではあるまい。我が子が運動会で一番になったら飛び上がって喜ぶのと同じだ。そこは無条件となる。

そして、当然ながら、そういった「ハプニング」や「イベント」などは、平常の生活では頻発しない。だいたいは仕事が終わって家に帰り、とくに美味くも不味くもない夕食、平凡な会話、何事もなく就寝・・・(※繰り返し。一生ww)

そして、独身時代からは考えられない小遣いの額、愛情だけでは邪魔くさい日々の雑用、「好きとか嫌いだけ」で会話が成り立ったあの頃とは違う空気、考えねばならない嫌なこと・・

結婚とは男の権利を半分にして、義務を倍にすることである・・・
by・・忘れたww

そこに「浮気」なんかが発覚すれば、これぞ神機到来!さっさと離婚して、あの楽しくも刺激的だった独身時代へタイムスリップだわん!!

「3」へ

■2007/12/20 (木) ガチコメ的「結婚記念日」4

と、このような阿呆な思考経路を辿って離婚して、テキトーな相手と「恋愛ごっこ」して、週末の居酒屋で同僚に「疲れちゃってね・・・」とか言うのだ。嗚呼、阿呆の至極・・

感情の共有が強いということは、当然に発生する問題は「刺激的」なのである。

たとえば出産と育児。これほど非合理的で不公平な出来事があろうか。野郎は痛くも痒くもない思いで父親となる。女は死ぬ思いで母親となる。「ごめん、おとしゃん、ゴミ捨てて!」ってわけにゃいかんのだ。代わりが務まらん行為が厳然としてあるのだ。

そして、七難八苦の子育て。これほど、大変なことがあろうか。出来の悪い社員は切り捨てればよいかもしれんが、我が子であれば「感情の共有」がそれを否定させるのだ。

で、これを、なんと「生甲斐」とできるのである。

無論、それだけではない。

共同して得た収入を元に新たな生活基盤の計画を立てたり、隣近所という社交を要する場所において共通した認識をもって接したり、動物を家族の一員として加えたり、なにより、互いの「支え」となって「生きる(生きた)=存在する(存在した)」という最強の意義がそこにあるのだ。

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神前で誓ったはずの愛の決意は「建前」として隠さなくともよくなった。祝儀袋を開けて1年待たずに離婚して「返せっ!」と冗談で済まされる世の中になった。「嫌なことがあったら帰ってきていいよ」と「本音」を添えて娘を送り出す親は少なくない。

等身大の個人のみを尊重するあまり、家庭というものを構築し、それを継続させていくことを困難にさせた。バラバラな個体がひとつ屋根の下に生活するだけならば、それは苦痛以外のなにものでもなかろう。無意味化されて然るべきである。

「5」へ

■2007/12/20 (木) ガチコメ的「結婚記念日」5

社会の基盤を成す「家庭=結婚」というものを軽んじるのは、近代主義が吐き出す最たる不道徳なのである。だから、周囲の保守的な人(とくに虹の会の野郎ども)を思い起こすに・・・

な?

デレデレしてるだろwww

なにを言おうが、愛情が隠れ見えるだろwww

つまぁり!!

家庭生活の意義がしっかりと確立しているのである。

責任に裏付けされた覚悟に基づいて思考しているのである。

男に言う!

余所さんの娘さんを独占するのだ!幸せにせんかいっ!

女に言う!

己が人生をかけて尽くすのだ!ちゃんと立てんかいっ!!

家庭をつくったのは、女性の偉大なる貢献である・・・
by・・ゲオ・・ルク?・・忘れたww

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で、知り合って13年の我ら夫婦は、実は結婚1年目だ。新婚さんだな(笑)。

結婚1年目は「紙婚」というらしい。「紙」だと、「紙」。

75年目で、やっとこ「プラチナ婚」だと。
え~~~~だから、我ら夫婦はあと・・・???

むぅぅ・・・しゃらくさい。

100年目を目指して生きるのだ!!
齢136才です!!妻が139才!3つ差なんかどうでもよくなってるなww

えっと、で、100年目は・・なんというか、無ければつくるが・・

!!

「はぐれプラチナキング婚」!!!

・・・・。

・・・・。

早く急いで、大人にならねば・・・

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