忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

みなさん、こんばんは

2010年05月25日 | 過去記事
みなさん、こんばんは。

ま、これは一般常識だが、鉄人ルー・テーズは「猪木、馬場、木村では誰が日本人最強ですか?」との問いに迷うことなく「それは木村だ」と答えている。

また、私が中学三年生だった1986年、朝刊を配達しながらドキドキと、あのアパートの階段付近でこっそりとめくったディリースポーツには大きく「猪木、アンドレからギブアップ勝ち」と書かれていた。「史上初の快挙!」とも書かれていた。その頃の猪木は不倫がバレて丸坊主にしていたが、あの大巨人ジャン・フェレ、いや、モンスター・ロシモフ、いや、つまり、アンドレ・ザ・ジャイアントの巨大な体躯に跨り、腕を絞り上げて「参った」と言わせたのかと興奮して学校をサボったほどである。学校なんざ行ってる場合じゃねーのである。

ちなみに、これも常識だが、アンドレの本名は「アンドレ・レネ・ロシモフ」である。旅行に行けば、道中118本の缶ビールを飲み、着いた先で5ガロン(19リットル)のワインを飲みながら、ジンギスカン30人前喰った後、スナックでウィスキーのボトルを4~5本空けて寝るという怪物である。

しかし、だ。中学3年当時の私は知らなかったが、まだアンドレが「モンスター・ロシモフ」として国際プロレスのリングで試合していた頃、既に「逆エビ固め」でギブアップさせている日本人レスラーがいた。

金網の鬼、怒涛のラッシングパワー、ラッシャー木村こと木村政雄である。


昨日亡くなった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100524-00000014-mantan-ent
<アントニオ猪木 ラッシャー木村さんに「冥福を祈ります」>

私の青春時代におけるスター選手がずんずんいなくなっていく。これはもう、あっちに行ったら天国特設リングで行われている興行には是非とも参加したいのである。そのころにはちゃんと、アニマル浜口や寺西勇、マイティ井上や剛竜馬、稲妻二郎にキラー・トー・ア・カマタ、ジプシージョーにアレックス・スミルノフ、ストロング小林にモンゴリアン・ストンパー、アポロ菅原に鶴見五郎なども死んでいるだろう(既に何人かはあっちに行っている。というか、だいぶ行っちゃった・泣)。

新日本プロレスや全日本プロレスで活躍する外人スター選手の多くが、この国際プロレスに「初来日」したことは日本の義務教育では教えているが、国際プロレスは日本プロレス全盛期のころから、やれフレッド・ブラッシーだビルロビンソンだルー・テーズだニック・ボック・ウィンクルだと盛り上がる日本プロレスを横目に「だれだよそりゃw」というような外人選手を呼び寄せ頑張っていたのである。でも、それだけじゃないぞ!

日本人初の覆面レスラーである「覆面太郎」もそうだ。中学で習うことだが、中身はもちろん「豊登」だ。レスラーの入場の際、テーマ曲を流したのも国際プロレスが最初なら、女子プロレスと合同興行したのも最初、日本人同士の軍団抗争というテーマをつくったのも最初なんだってば!!

しかし、最も有名なのは金網デスマッチだ!(興奮してきた)

大阪で国際博覧会などという平和の祭典が開かれる1970年、吹田では「世界の国からこんにちは♪」と眠たいことを言っていたようだが、同じく場所は大阪、府立体育館では日本初の金網デスマッチが行われた。人類の文明と調和どころではない。血で血を洗うデスマッチ、まさに相手を殺さねば、この地獄の金網から出られないという「人類の戦いと狂気」の祭典である。ラッシャー木村の好きな食べ物はアンパンであるのだ。

またこれは、当時の国際プロレスが打ち出した超画期的な企画が真因であった。「あなたがプロモーター」というプロレスファンならばもう、万博などどうでもいいような魅力的なイベントである。なぜというに、ファン投票によって「来日参戦する外国人レスラーを選ぶことが出来る」という夢の中の夢、もう、そんなことができるなら寿命の20年くらいは悪魔に差し出してもよいと思うほどの魅力的イベントだったからだ。自宅で風呂に入ろうとしたら、先にジャイアント馬場が入っていて「まあ、一緒に入りなさい」と言われたような夢の中の夢であろう。その多幸感は万博の比ではあるまい。

また、当時、バーンガニア率いるAWAと提携したばかりの国際プロレス渾身のイベントであろう。当然ながらファン投票は殺到した。その数、6億人みたいな感じの雰囲気だったと言われる。大阪万博が6800万人入れて万博史上最高などと喜んでいたが、プロレスファンはそれどころではなかったのだろう。実に、久代千代太郎、そのとき0歳である。

そして、そのファン投票のダントツ1位とは、もはや書くまでもないほどの常識であるも、それはスパイロス・アリオンであった。あの国民的プロレス漫画「あいつがゴッチ」のモデルともなるカール・ゴッチが、まだカール・クラウザー(本名)としてヨーロッパで戦ってるとき、その「神の申し子」を破ったギリシャのレスラーである。

しかし、誰も来なかった。アリオンも来なかった。ファン投票させておいて、1位から発表して、盛り上がった結果、誰も来なかったのである。国際プロレスはこれを自民党の所為にもせず、んじゃ、代わりに金網デスマッチやっちゃうぞ!とやった。さすがである。もちろん「プロレスファンを虜にさせる思い」は伝わったことだろう。その証拠に、大阪府立体育館では誰も文句など言わない。プロレスファンの度量を舐めてもらっては困る。胸に燃えるファイティングスピリットは、そのような些細なことなどどうでもよいのである。

無論、これは企業の面接などでも必ず聞かれることだが、その試合とは「ラッシャー木村VSドクター・デス」である。「え?はい、私はドクターです」ではない。また、これも「朝起きたら朝飯を喰う」くらい当たり前の話であるが、ドクター・デスとはムース・モロウスキーのことだ。しかも、である。そのデスマッチを行う金網だが、スタッフがなんと「出入り口をつくるのを忘れる」というサプライズもあった。つまり、ただの網だったのである。だから二人とも、ちゃんと登って入ったのである。

試合は凄惨を極め、血みどろの戦いとなった。中継を予定していたTBSはなんと、あまりの流血試合に自主規制してしまい、結局「放送されなかった」というからもう、国際プロレス、愛すべきである。

しかし、その後、ビル・ロビンソンやストロング小林がいなくなり、ラッシャー木村は国際プロレスのエースとして頑張らねばならなくなった。ラッシャー木村はマッドドッグ・バションを破ってIWA世界ヘビー級王者となった。初代チャンピンのビル・ロビンソンに次ぐ26回の防衛記録も達成、華のないプロレスは金網で補い、「セメントでは誰も勝てないんじゃないか?」といわれた実力に裏打ちされた昭和プロレスは根強いファンを持つ。

また、ラッシャー木村といえば「マイクパフォーマンス」であろう。数多くの明言の中、私が好きなのはあの「ジャイアント・キマラ」に対して放った「日本の団子はウマいから、国に帰るときは買って帰れ」である。何でも思い付きで話すのだろうが、その絶妙の間と激しい試合の後とのギャップが面白かった。寂しい限りである。


ンで――――だ。

ちょっと興奮して前置きに3000文字もプロレス話を書いてすまんが、やはり、こいつのパフォーマンスに触れておこう。ラッシャー木村と違って、ぜんぜん面白くないけどね。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100524/plc1005242203014-n1.htm
<首相“言葉の軽さ”反省の弁>

程度の低いプロレスを見せられた国民は呆れ果てて脱力して、もう慣れてしまって何も感じなくなりつつある。プロレスを愛するファンは、ブックありきのプロレスを楽しめた。「本気でやったら死人が出る」プロレスというものを理解し、会場に足を運んでテレビのチャンネルを合わせて盛り上がった。「ロープに振って返ってくるとかありえねーww」と小馬鹿にするボクシングファンや格闘技ファンなどにも反論せず、阿呆な奴だ、これはこれでなきゃダメなんだと、独自の価値観において「プロレスファン」であることを止めなかった。40どころか50になっても60になっても「現役」で頑張るレスラーを応援した。

それでも「プロレス界の政治的ゴタゴタ」には呆れてしまった。選手や裏方さんが一緒になって考える「プロレス界」には魅力があった。ファンはついていくことが出来た。全体や団体のことよりも、先ず、自分が前に出たいという人気選手は、結局、自分で自分の首を絞めることになった。より危険なプロレスをするのか、それとも総合格闘技に出るのか、いずれにしても大きなリスクだった。

2代目のタイガーマスクだった三沢光晴は、ラッシャー木村から「今度やったらドロップキック9連発喰らわせてやるぞ!」とマイクで言われて覆面の下で笑った。全日本プロレスは「明るく楽しいプロレス」を提唱していた。ジャイアント馬場の主導である。その馬場の弟子であった三沢はバックドロップで死んだ。「プロレスファン」とは「レスラーが強いからファンになった」のではなかった。本当にプロレスが好きなだけだった。三沢を殺してまで危険な試合など観たくない連中だった。ただ、プロレス界を護って欲しかった。

新日本プロレスにも全日本プロレスにもそれぞれ支持者はいて、互いの良いところ悪いところも知っていた。ストロングスタイルにこだわる新日本、ショープロレスを取り入れようとする全日本、共に魅力的で共にプロレス界を背負っていた二大勢力だった。今思えば、バランスのとれた関係であり、猪木信者であった私なども、こっそり全日本も観た。

どちらにも言えたことは、その前提としてプロレスを愛し、試合をするための練習は怠らず、まさに「プロ」の選手がたくさんいた。しかし、馬場が前座に出始め、猪木の衰えが隠せなくなり、次世代のレスラーが自分をプロモートするにつれ、だんだんとプロレスファンは冷めて行った。アブドーラ・ザ・ブッチャーはリングで選手を血まみれにするが、移動バスが停車すると他の選手の缶ジュースを買った。タイガージェットシンもスタンハンセンもリングを降りれば普通の良い人だとファンは知っていた。

現在の日本政府が馬鹿なのは、日本国民は日本が好きだという事を忘れているからだ。政治家は能力の前に日本が好きで、日本のために頑張ることが出来る「プロ」でなければ困ると思い出し始めたからだ。くだらぬ政治のドタバタだけでなく、メディアのご都合主義の偏向報道だけではなく、口だけは達者だが、その実、本当に日本の国が好きなのかどうかわからぬ連中が、見てられないほどのヌルイ試合をやっている姿にウンザリし始めている。ブックではなく、八百長丸出しの安モンはプロレスだけではなく、どの世界でも通じないのである。

<首相は首相官邸で記者団に対し、普天間問題で「少なくとも県外(に移設する)」と述べた自らの発言を念頭に、「自分の発言という重さを感じながら、できる限りそれに沿うようにと努力してきた。なかなか、その意に沿わないこともあったことも率直に認めなければならないと反省している」と述べた。その上で「新たな国づくりに向けて力強い発信をしている姿も認めていただきたい」と強調した>

サッカーで負けただけの監督でも「これでも続けてよろしいか?」と進退伺いをたてた。国民の期待と日の丸を背負った責任から、遊びでやってるんじゃないという覚悟から出た態度であろう。サッカーで日本が韓国に負けても対馬は盗られない。勝っても竹島は戻らない。それでも結果が出せねば、その監督権者は責任を問われる。しかし、その国の総理大臣は大きな国益を損ないながらも、まだ<新たな国づくりに向けて力強い発信をしている姿も認めていただきたい>などと抜かしている始末だ。私はプロレスファンだから言うが、こんなの、まさに「プロレス以下」なのである。

プロ意識の欠如した者は「プロの世界」から追い出されねばならない。かつてボディビルしか能のないローン・ホークというレスラーがいた。肉体美だけで日本に来た下手糞なレスラーだ。ある日、運悪く藤原義明と試合することになった。プロのレスラーがプロレス下手とは先ず危険を意味する。怪我をしてもさせても喰えなくなる仕事だ。また、なによりファンが白ける。客が入らなくなる。これも喰えなくなることを意味する。だから藤原は怒った。これまたセメントで有名な選手だ。「なかやまきんに君」と変わらぬローン・ホークをボコボコにした。すると、ホークは試合中に会場から逃げて、なんと、アメリカ大使館へ逃げ込んだ。そして「日本人のレスラーに殴られた!傷害罪で捕まえてくれ!」とやった。職業を問われたホークは「プロレスラーです」と答えて大使館を放り出された。

総理大臣までやって「海兵隊が抑止力とはしらなんだ」と言って恥じぬ政治家は、藤原組長に脱臼でもさせていただけばどうか。資質を問う前に資格がないと思われるが、そんなの、いつまで通用すると思っているのか。
また、是非ともこれも書いておきたい。

グレート・アントニオという有名なレスラーがいる。バスを5台並べて引っ張る怪力レスラーだ。この馬鹿力は、ある意味、本当の馬鹿でもあったから、チンチン電車を引っ張ろうとして止めてしまったこともあったそうだ。馬鹿である。

そんなグレート・アントニオは自分の人気に驕り、なんと、先帝陛下を会場に呼べとやった。先帝陛下は猪木と自分の試合を観に来たいはずだとミスター高橋に迫った。試合が始まり、リング下に落ちても会場を見渡して探すグレート・アントニオをみて、ついに猪木はキレて鼻骨と頬骨を蹴り折った。「蹴ってはいけない角度」で「蹴ってはいけない箇所」を容赦なく蹴り飛ばした。グレート・アントニオは何が起こっているのか分からず、リング下で起き上がれなくなった。俗に言う「グレート・アントニオリンチ事件」である。

旧ソ連や北朝鮮が大好きな猪木ですらが、これほどまでキレた理由とは「ショープロレスを嫌ったから」だとされている。しかし、私はそう思わない。その本当の理由、民主党の大物幹事長にわかるだろうか。





最後に―――――国際プロレスのエース、ラッシングパワー炸裂。ラッシャー木村さんの冥福を祈り、この稿を捧げたい。

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