忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

歩道にロープ18メートル、自転車の中3転倒しけが(朝日新聞)>2012.6.12

2012年06月12日 | 過去記事

    




歩道にロープ18メートル、自転車の中3転倒しけが(朝日新聞) - goo ニュース

<11日午後7時45分ごろ、大阪府四條畷市田原台の府道で「人が倒れている」と、通行人から110番通報があった。四條畷署によると、自転車で走っていた中学3年の男子生徒(14)が歩道に張られたロープに引っかかって転倒し、頭に軽いけがをしたという。同署は何者かが故意にロープを仕掛けたとみて、傷害事件で捜査している。

 同署によると、ロープは歩道わきの支柱と電柱を結び、約18メートルにわたり張られていた。男子生徒は胸付近にロープが当たり、転倒したとみられるという>









いまはもう取り壊されてなくなったが、我が実家は文化住宅だった。その隣は一戸建てのペンキ屋さん。悪餓鬼していた頃にバイトさせてもらったこともある。そこのオッサンは猟犬を数匹飼っていた。怖かった。イノシシの肉とかくれた。美味かった。

ところで、その文化住宅の前には駐車場があって、その横の舗装道路を進むと曲がり角になる。そこには電柱があって街灯があった。その場所とは今は亡き悪友と朝まで缶コーヒーで語り合ったり、数人で酒飲んで屯したりした「思い出の場所」だったりする。

少し前、そこに警察官がたくさんいた、という情報を叔母らから得た。新聞記者も来て、その「思い出の電柱」の写真を撮っていたという。我が叔母らはまだ、あの辺に生息しているのである。その娘や息子らも大きくなり、ちゃんとした「河内浪速のアレ」になっているから、もちろん、警察が事情を聞きに来たそうだ。どうせ、おまえらだろう、と。

何のことかと思えば、25年ほど前、私がもたれかかっていた、その「思い出の電柱」に誰かがロープを張り、そのロープをそのまま近くの工場の門(ツレにしかわからないw)に結び付けていた、というのである。つまり、悪質な悪戯だ。帰宅途中の女性が見つけて警察に通報したとのことだった。四条畷だけではなく、我が地元の東大阪でも同様の事件があったわけだ。

自信を持って言うが、25年前なら完全に私が疑われていた。というか、たぶん、私だけではなく、ツレの何人かは決めつけられて逮捕されていた。そのくらいあの辺りには屯した。評判も極めて悪かった。事実、屯していて警察に「帰れ」と叱られたり、タバコを取り上げられて捨てられたりは枚挙に暇ない。だからいま、我が身内のイトコなどが疑われた。

しかし、妻に誓って言うが、例えば「隣のペンキ屋さん」の娘さんなどは、私やツレの性質、素性、特性などを理解すると、逆に「夜道は怖いから、あんたらがいたら安心」と言ってくれるまでだった。ガラの悪いゴツイのが数人、真夜中に屯していれば怖いと思うのが普通だが、中身の顔ぶれを知れば危険はない、どころか、イザというとき助けてくれそう、という信頼を得ていたのである。たしかにあの当時、我がツレらが屯している近くで痴漢など行い、現行犯で我々に確保されればボロ雑巾にされて砂場に埋められている。

だから夜中に住宅街を走りまわる原付、いわゆる「小便小僧」もあの辺りには来なかった。からまれるからだ。止められてバイクを壊されたり、シートに火をつけられたりする。我々がやったこととは、例えば餓鬼の喧嘩の仲裁、シンナー遊びの撲滅などであり、その辺で屯していたのは単純にカネがないからだった。あと女っ気がなかった。本当は「お好みハウス」とかで女の子も交えて酒飲んだりしたかった。したかったのである!!

我々は我々のことを「DC」と呼んでいた。なんの略か。「ドツボ・クラブ」である(泣)。

カネなし、オンナなし、シゴトなし。これが「DC」の掟。ときには「彼女ができた」とか「仕事を始めた」というのが出るが、ちゃんとマッテいれば、いつかは帰ってくるのであった。ドツボ・クラブからのブレークスルーは簡単ではないのだった。

そんな「DC」の聖地ともいえる、あの「電柱」を使って、そんな頭の悪そうな悪戯は許せん。こういう誰かが怪我するだけ、という面白くない悪戯は阿呆なのである。それに対象者が無差別なのもダメだ。ちゃんとフォローの利く「身内」でないと面白くない。あとは教師とかツレのオカンとか。ちゃんと自己完結できる相手でなければ面白くない。

こんなのは「線路に置き石」みたいな異常者、変質者の類である。そんなのは単なる犯罪行為であるし、結果が重大過ぎて笑えない可能性がある。最近の悪餓鬼はそんなこともわからないのだろうか。想像力が足らないと言うか、独自性がないと言うか、いずれにしても陰湿、且つ、暗愚なイメージだ。

フロイトは悪戯のことを「タブー破り」と説く。子供の頃、その成長過程では社会の規律や常識に対し、それを破ってみたくなる、あるいは、破ればどうなるのか、という好奇心から、餓鬼はいろいろとやることになっている。女の子のスカートをめくったりするアレだ。これも中学1年生の私は燃えた。めくりまくりだった。ブスでも何でも誰でもめくった。もう、ただの痴漢だった。私が廊下を通れば女子はスカートを抑えた。しかし、今思えば、私は女子らのリアクションが面白かっただけだった。きゃぁ~という反応もある。むっとして睨みつけるだけの子もいる。ビンタしてくるのもいる。蹴ってくるのもいる。

しかし、その表情の裏にある「本音」も垣間見える。あまり詳しく書くと、私が本当に変態みたいだから止めるが、要するに原動力は好奇心、それも知的好奇心なのであった。

また、そのときは笑えないが、時間が経てばまあ、笑ってもいいかな?という「悪ふざけ」もある。しかし、その条件とは、あくまでも「被害者が自分」となる。大怪我をしたり、大恥をかいたり、ということだが、その結果は全て「自分に返る」場合のみをいう。

無礼極まる話だが、私が笑ってしまったのは、例えば四条天皇陛下だ。四条天皇陛下は12歳の少年君主。時は仁治3年(1242年)、四条天皇陛下は正月に参内する公卿や女官を狙って「滑石」を御所の廊下に撒かれる。さて、連中、すってんころりんして面白いぞ、ということだが、四条天皇陛下は自分で転んでしまって頭を打ち崩御される。このあと、当然ながら深刻な政治空白を生むわけだが、これも700年過ぎれば笑ってもいいだろう。

子供の悪戯はユーモア、ジョーク、サプライズ、そして好奇心が含まれていないとダメ。可愛くないし、面白くない。秩序なんか壊れていて普通、常識も危うい、社会規範も薄れゆく今日この頃、子供が破ってみたくなるタブーは少なくなっているのかもしれない。




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