忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2012.1.3

2012年01月03日 | 過去記事

今年は諸事情から元旦ではなく、3日に初詣た。しかも、我が家では初めて「妻と二人」という「初詣―ト」だ。倅はバイト、娘と孫は「トカゲ(娘の旦那)待ち」ということで時間がずれた。こうして子供達は親から離れ、相手をせず、我ら老夫婦は淋しく新年を・・・ということではなく、帰りは居酒屋で晩飯を喰った。ふたり&チビなし、という状況は小回りが効くのだった。おみくじは最強だった。「今までの死ぬ苦労が終わり、行く先には幸があります」と書いてあった。「新しい境地が開けます」ともあった。期待してOKだ。

妻は毎年行く「甘酒屋」が閉まっていたから嘆いていたが、すぐに「他の店もあるで!」ということで持ち直した。200円だった。私が飲んだ清酒は300円。ま、安い。





また、この「POP」が最高だ。味があり過ぎる。




※新春大特価、と書いてある。







「去年は凄い人やったなぁ~」



妻がリンゴ飴を買いながら言う通り、去年はもっと人がいただろう。2011年は伏見稲荷大社の1300年めの誕生日だった。正確に記すと711年(和銅4年)2月7日となる。秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)の先祖となる伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が餅を的にして矢を放つと、その餅が白鳥に変わり飛び立った。白鳥が舞い降りた場所からは「稲」が生えてきた。これで「稲成」・・・いねなり、いねねり、いなねり、いなり・・ばんざいばんざい、ということで「稲荷」となる。五穀豊穣ということで「御食津神=みけつかみ」という神様がいる、とされる。「みけつかみ」は「三狐神」と誤解されて「流行神」となる。だから伏見稲荷大社には狛犬ではなく、白狐が宝玉を咥えている。稲荷神の使いは狐とされた。「キツネ=悪者」というお話を聞いて育つアングロサクソンには違和感がある。

キツネの好物は油揚げだ。これはカラスが「マヨネーズが好き」と同じ理由だと思われる。だからキツネを捉えるとき、餌とされたのは「ネズミの油揚げ」というグロいものだった。しかし、いくら好物とはいえ「神の使い(眷族)」となられた白狐様に「ねずみ」を供えるのも悪趣味だ。それに鼠を捕まえるのも面倒だし、ということで豆腐を使った。コレがまた美味かったから、酢飯を包んだり、饂飩に入れたりしたわけだ。それらは稲荷大社の名物となった。いま、妻が喰っているのもそれだ。

また、この伊侶巨秦公というのも、本当は碌でもない人物だったようだ。強欲で自分の財産しか興味がない、小沢一郎のような人物だった。

娘が三人いた。長女がタギ、次女がタゴ、三女がイチという。伊侶巨秦公が百姓に無理を言うと、三女のイチ姫がコレをたしなめる。イチ姫だけは心優しく、民のことを想う人格者だった。しかし、ある年、領地内の葛野川(桂川)が干上がる。このままでは田んぼに水をひけない。百姓も牛馬も飢えて死ぬ。それでは儲からないから伊侶巨秦公は困る。

伊侶巨秦公がいろいろと悩んでいると、賀茂川(鴨川)には水が満ち満ちている、と誰かが教える。伊侶巨秦公はなるほど、それは助かった!と喜ぶが、加茂川はライバルの賀茂氏が管理している。水を分けてくれ、助けてくれ、と言えば、その代償は安くない。しかし背に腹は代えられぬから使いを出す。賀茂氏はもちろん代償を求めてきた。「嫁をくれ」だ。

タギ姫もタゴ姫も嫌がる。賀茂氏は嫌いだと。伊侶巨秦公は、それでは田が枯れるではないか、と懇願するも長女も次女も、そんなこと知ったことではございませんと、また、百姓のケツを叩けばよろしいではございませんか、と相手にしない。そこに「私が参ります」と出てくるのが三女のイチ姫なわけだ。伊侶巨秦公は胸を撫で下ろす。

「アマテラスとスサノオの誓約」でアマテラスはスサノオの持っていた十束剣(とつかのつるぎ)、これは「天羽々斬(あめのはばきり)」というかっちょよろしい剣(※ヤマタノオロチとの戦いで使用。尾にあった草薙剣にあたって刃がかけた)のことであるが、コレを三つに叩き折ると3人の娘が産まれる。そういえば、この三女は「イチキシマヒメ」だ。お姉ちゃんふたりは「タコリヒメ」と「タギツヒメ」である。なるほど、である。

このイチキシマヒメ(市杵嶋姫命)はヒンドゥー教のサラスヴァティーと神仏習合して、日本では「弁天さん」と呼ばれることになる。サラスヴァティーとはサンスクリット語で「水を持つ者」となる。水と豊穣の神だ。


「弁天さん」を失った伊侶巨秦公は百姓に殺される。餅を的にして矢を放っているとき、だ。長女も次女も同じく、百姓から「我らが飢えているのに、我らが作った餅で遊ぶとは何事か」と殺される。奈良時代、子孫の秦中家忌寸は稲荷山に祠を建てる。祖先の過ちを悔いて、だ。それがいまの伏見稲荷大社だ、という言い伝えもある。

711年からずいぶん経った2012年の日本でも「我らが困っているのに、増税してどうするのだ?」と怒った人々がいる。野田総理の額に矢を放ってやろうかと思う人もいる(だろう)。小沢一郎は選挙に勝ちたいから「増税反対」を言う。伊侶巨秦公よりも始末が悪い。

居酒屋の帰り、無性に「味噌ラーメンが喰いたい」と思ったら専門店があった。早速にもおみくじの効果が出たようだ。また、相変わらず、妻は「たべる!」と言いながら8割以上残った状態で「もう食べるところがない」と言い出した。負けん気の強い妻は「お腹一杯。もう食べられない。ごめんね」とは言わない。私が「大盛りにしない理由」である。

娘からは電話もあった。後ろで孫が騒いでもいた。「おめでとー」とのことだが、よく考えたらトカゲは田んぼに水も引かないのに「娘さんをください」ときた。せめて「息子さんをください」ならば考えないこともなかったが、まさか、手ぶらで娘をくれ、もないだろうと腹が立ってきた。もう、娘を盗られてから5年近くになるが、未だに解せない。そもそも、だ。何が悲しくて「トカゲ待ち」ということで娘も孫も来られないのだ。放ってくればいいじゃないか。それに正月から玄関開けて、真っ暗な部屋に佇むほうがトカゲに合っている。爬虫類に正月もヘチマもわかるまい。毎年毎年、真っ白い無表情ながら、人のことをおとうさんおとうさんと、おとうさんみたいに呼びやがって・・・・

妻がまた、嬉しそうに「おみくじ」を持っている。ったく、当たりクジじゃないんだから、そもそも神道というモノは稲作儀礼、コメを握るから「おむすび」ということで、日本人なら「結び」という作法に則りなさいと、つまり、木に結んできなさいと、あれほど・・・・

聞いているのか?おおぉう?

「おとしゃん、お爺ちゃんみたいなことばっかり言わんと、そーちゃん(孫)のとこいく?」

――――行く。

我ら祖父母は、まだ、人生のおよそ半分残っている。共に白髪の生えるまで、宜しく願いたいのである。(ちょっとモミあげのとこに生えてる)

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (久代千代太郎)
2012-01-04 18:52:35
>りじちょ

おめでとうございます。今年もよろしくです。

ところで「もしゃ毛」というのは、どこの毛かわかりますか?うふふ。
返信する
もみあげ (近江謄写堂)
2012-01-04 17:46:58
謹賀新年! 本年もどうぞよろしくお願いします。

ちなみに「もみあげ」のことを、泉州弁では、「チャリ毛」といいます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。