ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旅の豆知識「千町歩地主」

2017年07月25日 | 旅の豆知識
 『テーマのある旅』で日本の歴史の跡を追いかけてみるのも、また楽しいものです。江戸時代や戦国時代の史跡を巡る人は結構いると思いますが、近年、明治時代以降の歴史に目を向ける人も多くなってきています。
 近代史は、日本が資本主義国へと発展していく過程のもので、近代化へと向かう、各種の工場や産業機械・施設、鉄道や道路、港湾などの交通関係のもの、農業関係の用水路等の灌漑施設、棚田、果樹園などの産業関係の遺産にもを注目が集まってきています。
 その中で今日は 「千町歩地主」を取り上げてみます。明治時代から大正時代にかけて、寄生地主による土地集積が進み、その下で多くの小作人が働く農業生産関係になっていきます。
 その中で、裏日本の平野部中心に千町歩地主と呼ばれる大地主が出現します。新潟県では五家(市島家、伊藤家、斎藤家、田巻家、白勢家)に及び、東北三大地主( 山形県の本間家、宮城県の齋藤家、秋田県の池田家)などが誕生します。そして、天皇を中心とした戦前の日本の支配体制を明治期以降に勃興してきた産業資本を中心とした財閥と共に支える両輪になったと言われているのです。
 これらの地域を旅してみると、大地主の旧邸宅や庭園跡が残されていて、見学できるところも結構多いのです。そんなところに立ち寄って、いろいろと当時の大地主と小作農のことを考えてみるというのはいかがでしょうか。

〇「小作農」とは?
 自らは土地をほとんどもたないで、土地所有者(地主)から借りて耕作し、小作料を支払う農民をいいます。明治時代前期の地租改正・松方デフレ政策を経て、自作農から没落して増えていき、1888年(明治21)には95万戸(全農家の20.6%)、1908年(明治41)には149万戸(全農家の27.6%)にまで増加し、以後も大正中期まで漸増したものの、その後少し減少しました。これら農民の生活水準は低く、日本資本主義の低賃金構造を支えるものとなったのです。そして、第二次大戦後の農地改革によって、大幅に減少し、全農家の数%にまでなりました。

〇「寄生地主」とは?
 農民に土地を貸し付けて、高額な現物小作料を取り立てるだけで、自らは農業に従事しない土地所有者のことです。地主は、主に二種類に大別され、対象となる農村に居住し、自らも耕作しながら、小作から地代も受け取る“在地地主”と、別の所に居住し、所有する農地から地代だけを受け取る“不在地主”とに分けられますが、一般に“不在地主”のことを寄生地主と呼んでいました。これは、明治時代前期の地租改正・松方デフレ政策後に急成長し、1923年(大正12)には5,000戸にも及んで頂点に達し、中には、千町歩地主と呼ばれる巨大地主も登場しました。小作地の割合も5割近くに達しましたが、その後少し減少したものの、第二次大戦後の農地改革で解体されるまで存続しました。

☆「千町歩地主」の関係地
 
(1)旧池田氏庭園・私設図書館<秋田県大仙市>
 池田家は、山形県の本間家、宮城県の齋藤家と共に、東北三大地主の一つに数えられ、13代当主池田文太郎の頃の最盛期には、耕地1,046町歩を所有していました。本家の約42,000平方メートル(12,700坪)の広大な屋敷地は、池田氏の家紋にならって亀甲の平面形を成していて、周囲は石垣を伴う堀や土塁で囲まれています。その中に、明治時代後期 ~ 大正時代に、池泉廻遊式の庭園が作庭され、巨大な雪見灯籠、1922年(大正11)竣工の洋館(私設図書館)が配されているのです。2004年(平成16)には、国の名勝にも指定され、初夏、夏期、秋期の一定期間に特別公開されています。また、池田家の旧払田分家敷地に残る池泉回遊式の日本庭園も、2008年(平成20)に名勝として追加指定を受けました。

(2)本間家旧本邸・本間美術館<山形県酒田市>
 本間家は、戦後の農地解放までは、日本一の大地主といわれ、最大時約3;000町歩(3,000ha)の農地を保有し、およそ3,000人の小作人を抱えていたと言われています。本間家初代の原光は、1689年(元禄2)に酒田市本町に「新潟屋」を開業し、関西方面の豪商らと、瀬戸物や薬、小判、米など様々な商品取引を通じて、台頭していきました。そして、二代目・光寿、三代目・光丘と繁栄を重ね、江戸時代中期には25万石もの豪農であったそうです。「本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿様に・・・・」と歌まで読まれたと言われています。明治維新後も繁栄を重ねて、昭和時代前期まで興隆していったのです。本間家旧本邸は、1768年(明和5)年に三代目・光丘が藩主酒井家のため、幕府巡見使用宿舎として、旗本2,000石の格式をもつ書院造りを建造したものです。その後、拝領し、本間家代々の本邸として使用されてきましたが、本屋は22の間数で、桁行(南北)33.6m、梁間(東西)16.5m、敷地1,322平方メートルあります。本邸の敷地には大きな長屋門と東側に薬医門があり、桟瓦ぶきの平屋建てとなっていて、旧本邸と長屋門は、1953年(昭和28)に山形県指定有形文化財になっています。周囲には樹木をうえ、北側に4棟の蔵を配置し、土塀がめぐらされていて、豪壮な構えです。1982年(昭和57)から有料で一般公開されています。また、車で10分ほどの場所に本間美術館がありますが、ここは、四代目・光道が、藩主酒井侯の領内巡検宿泊施設として造った別荘(京風の純和風建築「清遠閣」、庭園「鶴舞園」)を中心に1947年(昭和22)に開館したもので、本間家に伝わる庄内藩酒井家・米沢藩上杉家など東北諸藩からの拝領品を中心に展示しています。1968年(昭和43)には、創立20周年を記念して美術展覧会場が建設されました。

(3)齋藤氏庭園・宝ヶ峯縄文記念館<宮城県石巻市>
 齋藤家は、山形県の本間家、秋田県の池田家と共に、東北三大地主の一つに数えられ、山形県の酒田本間家に次ぐ全国第2位の地主でした。その齋藤家九代当主、善右衛門が、明治後期に造成したのが現在の庭園です。邸宅から背後の丘陵地まで、一体感のある空間は見るものを圧倒します。2005年(平成17)に国の名勝にも指定されており、近代庭園として学術上も高く評価されています。庭園内にある、「宝ヶ峯縄文記念館」には、宝ヶ峯遺跡から発掘された縄文時代後期の土器等を保存・展示していて、見学することができます。

(4)市島邸<新潟県新発田市>
 市島家は戦前の越後千町歩地主五家(市島家、伊藤家、斎藤家、田巻家、白勢家)の一つで、丹波に発する家系であり、1598年(慶長3)に越後新発田藩主に任ぜられた溝口家に伴って、加賀大聖寺から現在の新発田市近辺に移住し、薬種問屋を営む傍ら回船や酒造、金融で富を蓄え、福島潟の干拓による新田開発で北陸でも屈指の大地主となったとのことです。現在の建物は、明治初期に建てられたもので、敷地面積8,000余坪、延床面積600余坪、これを囲む回遊式の庭園は、自然の風致に富み、広い池を取り巻く樹木はそれぞれの四季を映しています。1962年(昭和37)に、邸内の12棟1構が新潟県の有形文化財に指定され、一般公開されるようになりました。また、市島邸内の資料館には、市島家にゆかりの深い会津八一に関する資料などが展示され、庭園内に点在する屋敷の至る所には、歴史を感じさせる美術品などを見ることができ、千町歩地主の豪壮さを感じることができます。

(5)北方文化博物館(旧伊藤邸)<新潟県新潟市江南区>
 伊藤文吉家は戦前の越後千町歩地主五家(市島家、伊藤家、斎藤家、田巻家、白勢家)の一つで、江戸時代中期以降、豪農として富を築き、越後随一の大地主となった伊藤一族は、1908年(明治41)には、所有地が1,384.7町歩(1,385ha)となります。現在の建物は、1882年(明治15)から8年の歳月をかけて造られたもので、敷地8,800坪、建坪1,200坪、部屋数65の純日本式住居で、広大なものです。まわりには、土塁を築き塀を建て、濠をめぐらし、土蔵造りの門、総けやき造り唐破風の大玄関、正三角形の茶室兼書斎の三楽亭など、豪壮さを備えています。敷地内には、多数の古美術品が収蔵される集古館、回遊式庭園などがあり、庭園は松の緑におおわれ、春はサクラ、フジ、サツキ、秋の紅葉と、四季折々に趣があります。1946年(昭和21)に遺構保存のため、『財団法人 北方文化博物館』が創設され、これに全部寄付されたことにより、これらの建物が守られることになります。その後、2000年(平成12)に、主屋をはじめとした主要建造物計26件について、国の登録有形文化財に登録されました。館内には、全国から買い集めた陶磁器や装飾品、エジプトのミイラのマスクまであります。隣の民家園に移築されている土間しかない茅葺きの小作農住宅と比べると、その差を強く感じます。

(6)孝順寺(旧斉藤邸)<新潟県阿賀野市>
 ここは、真宗大谷派の寺として、また親鸞聖人にまつわる越後七不思議の一つ“保田の三度栗”の寺として知られています。開基は1207年(承元2)で、親鸞の法弟専念坊の創建とのことです。現在の本堂と境内の敷地は、越後の千町歩地主五家(市島家、伊藤家、斎藤家、田巻家、白勢家)の一つとして有名な斉藤家の邸宅を農地解放後の1950年(昭和25)に孝順寺が買い取ったものです。この建物は、1931年(昭和6)に建てられたもので、瓦ぶきの大屋根をのせた豪邸で、本宅は紫檀、黒檀、タガアサン材等を多用し、離れ別館は欅材が多用された総縁側の二階建てで、随所に銘木が採用されています。また、建物と一体となった見事な池泉回遊式の日本庭園があります。これらを巡ってみると、当時の千町歩地主の生活の様子を垣間見ることができます。

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