朝起き出して、明るくなり始めた頃から、宿の周辺を散策してみたが、景色は良いものの、あまり巡るところもないし、寒いので、15分ほどで戻ってきてしまった。後は、朝風呂に入って、冷えた体を回復した。浴後は、すぐに食堂で、朝食を取り、出立の準備を整えた。
丘を下ったところにある国民宿舎のバス停まで、5分ほど歩いたんだけど、往路はここまで来るバスがなかったので、30分も歩く羽目になってしまったのだ。時刻表を見ると、休日は1日6本ほどしかないが、この辺では妥当な本数なのだろう。
8時47分発のバスはほぼ定刻通りに姿を見せ、それにに乗り込んで、土庄港のフェリーターミナルまで直行した。新岡山港行きフェリーは9時50分まで待たなければならなかったので、平和の群像の写真を撮りに行き、お土産も買った。
その後、船に乗り込んだのだが、この季節のこととて、観光客も少なく船内は閑散としていた。まして、寒風の吹き抜ける展望デッキに立つ人などいなかったんだけど、海上からの写真が撮りたくて、がんばってみた。土庄港を離れると、左手には産業廃棄物の不法投棄で有名になった豊島が見える。しばらく進むと、右手に何本かの古びた煙突群が確認できたが、これが犬島の火力発電所・精錬所跡だと知れた。でも、民家や学校のようにな建物も見えたので、まだ生活している人がいるようだ。そんな風景をカメラに収めている内に、児島半島の先端にある米埼灯台が見えだした。2年ほど前に、この灯台へ陸路で行った時には、道らしい道もなく、海岸沿いの崖をよじ登ったりして、苦労してたどり着いたことを思い出した。海上からは、障害物もなくよく見えるので、進行にあわせて、何回もシャッターを切った。
米埼灯台
フェリーは児島湾の奥へと進んでいき、右手には臨海工場地帯が見え、正面に児島湾大橋が近づいてきた頃に、右に大きくカーブして、新岡山港へ到着した。ターミナル前からバスに乗り、JR岡山駅まで到ったが、すでに正午近くになっていた。
駅のコインロッカーに荷物を入れると、カメラを携えただけで、路面電車に乗った。たった3駅だけだが、乗りながら写真を撮りたかったのだ。西日本の都市には、路面電車が残っている所が多く、都市景観に彩りを添えている。排気ガスも出さないし、地下鉄やモノレールと違って、階段を上り下りしなくていいので、お年寄りや障害者にもやさしいし、便利な乗り物だと思う。最近、世界中で見直されて来ていて、新たに路線を造るところもあるように聞く。とても良いことだと思うのだが...。
城下の電停までは、数分で着き、歩いて岡山城天守閣の方へと向かった。腹も空いてきたので、途中の食堂に入って、名物ままかり寿司をたべたんだけど、とても美味しかった。
食後は、本丸へと入っていったが、天守閣は太平洋戦争末期の1945年(昭和20)の 空襲時に焼けてしまい、1966年(昭和41)に鉄筋コンクリートで再建されたものだ。内部は資料館になっていて、岡山城の歴史が順を追って展示されている。まず、エレベーターで最上階へと上ったが、眺望はすばらしく、特別名勝の後楽園がきれいな姿を見せている。東西南北の窓から景色を眺め、カメラに収めてから、階段を下りつつ、各階の展示を見ていった。
岡山城天守閣(復元)
天守閣を出てからは、後楽園へと向かい、園内を一巡したんだけど、さすがに天下の3名園の一つと言われるだけにすばらしい。池泉回遊式の大名庭園で、後景に天守閣を配する造りがみごとだ。所々で立ち止まりながら、写真を撮りつつ、じっくりと見て回った。
後楽園
それからは、正門前にある「県立博物館」にも立ち寄り、知見を得てから、月見橋を渡った。往路と同じように、城下の電停から路面電車に乗って、岡山駅へと戻っていき、15時5分発の「のぞみ号」東京行きで、帰途に着いた。
今回の旅は、小豆島がメインだったけど、とても気に入った。とにかく風光明媚で、のんびりしていて、海の幸に恵まれていて...。天気もまずまずで、いい写真も撮れたので、良い旅だったかな...。
丘を下ったところにある国民宿舎のバス停まで、5分ほど歩いたんだけど、往路はここまで来るバスがなかったので、30分も歩く羽目になってしまったのだ。時刻表を見ると、休日は1日6本ほどしかないが、この辺では妥当な本数なのだろう。
8時47分発のバスはほぼ定刻通りに姿を見せ、それにに乗り込んで、土庄港のフェリーターミナルまで直行した。新岡山港行きフェリーは9時50分まで待たなければならなかったので、平和の群像の写真を撮りに行き、お土産も買った。
その後、船に乗り込んだのだが、この季節のこととて、観光客も少なく船内は閑散としていた。まして、寒風の吹き抜ける展望デッキに立つ人などいなかったんだけど、海上からの写真が撮りたくて、がんばってみた。土庄港を離れると、左手には産業廃棄物の不法投棄で有名になった豊島が見える。しばらく進むと、右手に何本かの古びた煙突群が確認できたが、これが犬島の火力発電所・精錬所跡だと知れた。でも、民家や学校のようにな建物も見えたので、まだ生活している人がいるようだ。そんな風景をカメラに収めている内に、児島半島の先端にある米埼灯台が見えだした。2年ほど前に、この灯台へ陸路で行った時には、道らしい道もなく、海岸沿いの崖をよじ登ったりして、苦労してたどり着いたことを思い出した。海上からは、障害物もなくよく見えるので、進行にあわせて、何回もシャッターを切った。
米埼灯台
フェリーは児島湾の奥へと進んでいき、右手には臨海工場地帯が見え、正面に児島湾大橋が近づいてきた頃に、右に大きくカーブして、新岡山港へ到着した。ターミナル前からバスに乗り、JR岡山駅まで到ったが、すでに正午近くになっていた。
駅のコインロッカーに荷物を入れると、カメラを携えただけで、路面電車に乗った。たった3駅だけだが、乗りながら写真を撮りたかったのだ。西日本の都市には、路面電車が残っている所が多く、都市景観に彩りを添えている。排気ガスも出さないし、地下鉄やモノレールと違って、階段を上り下りしなくていいので、お年寄りや障害者にもやさしいし、便利な乗り物だと思う。最近、世界中で見直されて来ていて、新たに路線を造るところもあるように聞く。とても良いことだと思うのだが...。
城下の電停までは、数分で着き、歩いて岡山城天守閣の方へと向かった。腹も空いてきたので、途中の食堂に入って、名物ままかり寿司をたべたんだけど、とても美味しかった。
食後は、本丸へと入っていったが、天守閣は太平洋戦争末期の1945年(昭和20)の 空襲時に焼けてしまい、1966年(昭和41)に鉄筋コンクリートで再建されたものだ。内部は資料館になっていて、岡山城の歴史が順を追って展示されている。まず、エレベーターで最上階へと上ったが、眺望はすばらしく、特別名勝の後楽園がきれいな姿を見せている。東西南北の窓から景色を眺め、カメラに収めてから、階段を下りつつ、各階の展示を見ていった。
岡山城天守閣(復元)
天守閣を出てからは、後楽園へと向かい、園内を一巡したんだけど、さすがに天下の3名園の一つと言われるだけにすばらしい。池泉回遊式の大名庭園で、後景に天守閣を配する造りがみごとだ。所々で立ち止まりながら、写真を撮りつつ、じっくりと見て回った。
後楽園
それからは、正門前にある「県立博物館」にも立ち寄り、知見を得てから、月見橋を渡った。往路と同じように、城下の電停から路面電車に乗って、岡山駅へと戻っていき、15時5分発の「のぞみ号」東京行きで、帰途に着いた。
今回の旅は、小豆島がメインだったけど、とても気に入った。とにかく風光明媚で、のんびりしていて、海の幸に恵まれていて...。天気もまずまずで、いい写真も撮れたので、良い旅だったかな...。